第4話 ハルトネスト
広大な自然と廃墟。旧世界の遺跡。現代人類が繁栄を貪る人類圏。
それらがモザイクのように混在するこの世界で、ハルトネストは比較的安全で栄えている街のひとつだった。
人工の色。機械の音。漂う熱気。
生きた人間と、機械仕掛けの者たち。
喋る獣型ロボットや、自走型のAI店舗までもが入り混じり、喧騒の中で渦を巻くように共存している。
「普通」などという言葉は、ここには存在しない。
だからこそ、ソラのような存在も目立つことなく、この街の色に溶け込むことができた。
ホログラムの広告が空中で踊り、配送ドローンが人波を器用にすり抜けていく。
外骨格スーツを着た作業員、金属の肌を持つヒト型の機械たち。
そんな雑多で奇妙な光景の中、ソラの瞳は好奇心に輝いていた。
「わあ〜っ! すごい……! あれなに? あっちは!? わあっ、あの子、足がくるくる回ってる!」
「うるさい。はしゃぐな」
「だって、全部はじめて見るんだもん! ラドリー、あの青い屋台、何売ってるの?」
「ジャンクスープの自走式スタンドだ」
「おいしい?」
「クソまずいし、腹壊すぞ」
道行く人々が、元気な白い猫と、その隣で冷めた目をした男のコンビにチラリと視線を向ける。
だがラドリーは気にする様子もなく、ソラの襟首をつかんで腕に抱えると、通りの片隅へと足を進めた。
街の中心部から少し外れた、錆びた鉄骨と煤けたコンクリートの残る工業区画。
その一角に、古びた整備工房があった。看板には「ギアハイブ」の文字。風雨に晒され、掠れかけている。
ラドリーはソラを片腕に抱えたまま、無言で扉を押し開けた。
パーツと機械油、古い鉄粉の匂いが入り混じった空気が鼻腔を掠める。
雑然とした工房の奥、カウンターの向こうで手を動かしていた女性がこちらに気づき、顔を上げた。
整備士のナディアだ。
エプロンには無数の染み。作業着は煤け、額にはゴーグル、手には厚手のグローブ。
華奢な体格とは裏腹に、工房のごちゃついた空気に見事に馴染んでいる。
「ハイ、ラディ。久しぶりね」
額のゴーグルを持ち上げながら、ナディアが歩み寄ってくる。
「ヴァンスは?」
「修理で、朝から出てる」
「そうか。じゃあ、ナディでいい。こいつを見てくれ」
「“じゃあ”とは何よ」
口調は軽いが、どこか親しみを含んだやり取り。
ふたりの間には、年季の入った気安さがあった。
ラドリーが駆け出しの頃、ナディアは工房の主人である父ヴァンスのもとで見習い整備士をしていた。
それから10年——ラドリーはベテランのハンターに、ナディアは一人前の整備士に成長していた。
そしていつしか、互いを愛称で呼び合うほどの信頼が育っていた。
ナディアの視線が、ラドリーの腕の中でじっと収まっているソラへと向く。
そして少し目を細め、揶揄するような口調で言った。
「また猫?」
以前ラドリーが持ち込んだ猫型の一体は酷く壊れていて、少々厄介な修理になったことがある。その記憶が過ったのだろう。
だが、その冗談めいた空気は、次の瞬間、ソラの挨拶で消える。
「ボク、ソラ。はじめまして」
ナディアは一瞬目を見開き、それからすぐに姿勢を変えた。
今度の猫型は状態が良さそうだと、意識を切り替える。
「こんにちは。私はナディア。よろしくね」
ソラに微笑みかけながら、カウンターの奥へと手招きする。
「ここに座って、じっとできる?」
「できるよ。ボク、いい子だから」
「そう、偉いのね」
ナディアはソラの頭をそっと撫で、その毛並みに目を細めた。
だが、その眼差しには、単なる愛玩を愛でる温もりはなかった。
整備士として、対象の細部を冷静に見つめる視線。
可愛さの裏にある構造の奥を見透かすような、静けさが宿っていた。