第12話 ハンターの常識、猫の非常識
「よぉ、ラド。開けろー。差し入れ持ってきたぞー」
夜の帳が落ちた頃、いつものようにマイロが現れた。
片手に酒瓶、もう一方には湯気の立ちのぼる包み。
ジャケットをラフに着崩し、機嫌よく玄関先に立っている。
ラドリーが無言でドアを開けると、ふわりと香ばしい肉まんの匂いが鼻をくすぐった。
「ほらよ、お前の好物な。今日は贅沢に二種盛りだ。肉汁ブシャー系と、クリームあんまん」
「……どういう組み合わせだよ」
「魂に訴えかけるやつだな。で、例の猫っころは——」
「マイロー! おかえりー!」
言葉の途中で、ソラが奥から跳ねるように飛び出してきた。
勢いよく包みに飛びつき、器用に前脚で紙をめくり始める。
「おい、落ち着け。これはお前のじゃ——」
「ボクのだもん! 今日ね、すっごく頑張ったんだから!」
「ほう?」
マイロがニヤリと笑みを浮かべた。
「そいつは聞き捨てならねぇな。さあ、肉まんを貢ぎ物にしてご報告いただこうじゃないか、冒険者ソラ殿」
ソラは肉まんを抱えてソファに飛び乗り、誇らしげに背筋をぴんと伸ばした。
「えっとね、でっかいシャークが工場の奥にいて、ボクが天井をひゅん!って走って、それで敵の注意をひゅんひゅんって集めて、ラドリーがバーン!って撃ったら、どーん!って爆発して、ボクがひょいってかわして——!」
「そりゃあすげぇ! アクロバティック・ソラの大活躍じゃねぇか!」
マイロは大げさに目を見開いてみせ、持ってきた酒をぐいっとあおった。
「……そのテンションで走ってたら、そのうち配線切れるぞ」
ラドリーがやれやれと言わんばかりに呟く。
「へーき! ボク、自己修復機能あるから!」
胸を張るソラ。
猫なのに、妙に誇らしげだ。
「じゃあ祝杯だな。なあ、ラド。お前もなんか作れよ」
「は?」
「いやさ、お祝いごはんって大事だろ。活躍には報酬ってのが基本だ。……パンケーキとかどうだ? 甘くて丸くて、猫も人もにっこりってな」
「発想が雑すぎだろ」
「ラドリー、パンケーキ作れるの?!」
ソラの目がぱっと輝いた。
「……そんなスキルはない」
「できるって! ラドリーなら、ふわっふわで夢みたいに甘くて、食べたらしあわせになっちゃうパンケーキ焼けるよ! ラド印・ふしぎな幸せパンケーキ!」
「長い。しかも重い……」
「ほらほら早くー! ボク今日は、がんばった猫なんだから!」
堪えきれなくなったマイロが、腹を抱えて笑い転げる。
「ぷっはは! なあ、ラド。今のお前、完全に飼い主の顔してたぞ」
「してねぇ」
「いやいや、これはもう立派な家族だろ? 一緒に戦って、食って、甘やかして……最後にパンケーキ焼く。これぞハンターの常識ってやつだ」
「そんな常識があってたまるかよ」
呆れながらも、ラドリーは冷蔵庫の扉を開けた。
だが、中は見事なまでの空っぽだった。
調味料とパンの残りがぽつんとあるだけだ。
「見ろ。材料がねぇ。パンケーキはまた今度な」
そう言って逃げるように扉を閉め、ソファへ戻ろうとしたその時——
「じゃあ俺、明日非番だから買ってきてやるよ。粉も卵もミルクも……ついでにはちみつもな」
背後から聞こえた悪魔の囁きに、ラドリーはぴたりと動きを止めた。
「……っ!」
その背中からは、言葉にならない絶望と諦めがにじみ出ている。
「やったー! マイロ大好き!!」
ソラが弾けるように跳ね上がり、壁を駆け、天井をするりと滑りながら部屋中をぐるぐると駆けまわる。
「明日は、スーパースペシャル・ドリーミーパンケーキ祭りだーっ!」
「おい! やめろ! 落ちるぞっ! 天井抜けるぞ! やめろって……!」
「パンケーキ! パンケーキ! ラドリーのしあわせ味~♪」
「歌うな! 跳ねるな! マイロ、てめぇ……っ!」
マイロは声を出して笑いながら、酒瓶を片手にラドリーの肩をぽんと叩いた。
「はははっ! いやぁ、これは……いい。最高に面白ぇな……ははは!」
ラドリーは頭を抱えたまま、深々とソファに沈み込む。
「……くそ、なんでこうなった……」
「それは、お前が猫を拾ったからだよ」
マイロはそう言って、楽しげに笑った。
ソラは天井からひらりと飛び降り、ラドリーの肩に軽やかに着地する。
「ラドリー、約束だからね!」
その一言に、ラドリーはまた深く、長いため息をついた。
けれど、その音さえも——どこか暖かな夜に溶けていった。
マイロはそんな一人と一匹のやり取りを、言葉もなく見つめていた。
かつて、こんなにも穏やかな時間がやってくるなんて想像もできなかった。
目の前の猫がその奇跡の鍵を握っているかもしれないなんて、もっと——思いもしなかったのだ。




