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【後編 哀韻、鈴弦、そして未来】

 -回響塔(えきょうとう)-──黒曜の螺旋で編まれた巨塔が夜雲を突き破り、内側から掠れた鐘音を洩らしていた。塔を囲む瓦礫の海は過去に失われた都市の骸であり、砕けた石像の口元が永遠の嘆息を刻んでいる。鐘凪(かねなぎ)(ひびき)は、その足場ひとつごとに妹の面影を踏むような痛みを覚えながら、鈴原(すずはら)(みお)の手を引いて螺旋階段を駆け上がった。


 降りそそぐ黒羽の礫。嵐のような羽音。喧鴉軍本隊の圧力は短歌の執拗な反復のように鼓膜を飽和させる。澪は肩口の包帯を押さえ、血と汗が混ざった鉄の匂いを呑み込みつつ囁く。


 「痛みを歌に変えるには、もう少し……高さが要るわ」


 響は黙ってうなずいた。塔頂──そこに兄妹の記憶と軍の心臓が同居している。懐中鈴を握る掌が湿るたび、歯車の空洞が胸に疼き、妹・奏葉(かなは)を救えなかった夜の断片が脳裡で再生される。

 逃げて、と震える声。崩れる梁。響き渡る無音。


 「終わらせよう、今度こそ」


 塔頂は月光を呑み込む黒鏡の床だった。中央に立つ哭帝(こくてい)は烏面を外し、奏葉の面影を晒す。色を失いながらも頬だけは生者の薔薇色を残し、その対比がいっそう幻めいた。


 「兄さん──鈴の音で、わたしを置いて行ったね」


 奏葉の声は鈴を凍らせた結晶のように脆く尖る。響の肺が縮み、澪は一歩前へ出た。

 「哀韻は誰のものでもない。あなたが背負った痛みを、わたしが抱くわ」


 哭帝が腕を振る。塔壁に埋まっていた黒羽の刃が一斉に射出され、夜空を切り裂く流星めいて降り注ぐ。澪は肺の奥へ氷菓のような空気を吸い込み──


 「――哀韻、解放」


 低い喉音は石床を震わせ、痛覚の残像を伴う青い波紋となった。響はその波を計算し、鈴を真上から振り下ろす。


 ――カシャリ。


 鈴音と哀韻が二重螺旋で噛み合い、黒羽は虹の屑へ分解、哭帝の外套は衝撃に膨らみ裂けた。奏葉の瞳に人間らしい怯えが灯る。


 「兄さん、わたしを忘れて……」


 その囁きに、響の中の後悔が臍の緒を引きちぎられる痛みで目覚めた。彼は鈴を捨て、両腕で空気ごと妹を抱き締める。奏葉の温度は冬芽ほどの儚さだが、確かに“生”の残響がある。


 「置いて行ったんじゃない。取り戻す力がなかっただけだ。だけど、もう逃げない。澪の声も、俺の鈴も──君を浄めるために響く」


 澪がそっと哀韻を重ねる。声は今や鎮魂の子守唄。哭帝のマントがほどけ、黒羽が光へ昇華していく。奏葉は兄の胸で安堵の吐息をこぼし、音のない「ありがとう」を唇で綴った。


 だが浄化の余波は塔そのものを蝕み始めた。螺旋階段が音を立てて崩れ、天頂の虚空に亀裂が走る。異界と現世の境界がきしむ轟き──まるで過去の重さに耐えかねた世界が自壊を望むようだ。


 「長くは保たない。戻るわよ!」


 澪は伸ばした手で響の袖を掴む。奏葉の幻影は塵となり風に混ざり、白光が塔を満たしていく。その間際、澪の肩紐が弾け、薄い布が宙に舞った。

 狼狽より先に、響は自らのジャケットを脱ぎ、彼女の肩へ掛ける。指が触れた瞬間、二人の心拍が──刻んだはずの別拍子を忘れ、同じテンポで鳴りはじめた。


 「助けられてばかり……」澪が照れくさそうに笑う。

 「助けられてるのは俺だよ。君の声のおかげで、まだ“生きた鈴”だ」


 崩落の白光が臨界に達し、視界が塗り潰される。その刹那、響は澪の手を強く引き寄せた。


 ────冷たいアスファルト。朝焼けの薄紅。蜩の鳴き始め。


 目を開けると、そこは東京郊外の歩道橋だった。瓦礫も塔もなく、ただ夜明け前の風だけが頬を撫でる。澪は隣で瞬きを繰り返し、濡れた髪から夜薔薇の香りを落とした。


 「戻って、来られたのね……」

 「境界は消えた。でも記憶は残ったさ」


 響は胸ポケットを探る。砕けた懐中鈴の代わりに、掌ほどの*-哀韻石(あいいんせき)-*が温かく光る。澪がそれを覆うように手を重ねた。


 早朝の風が、二人の衣をはためかせる。破れたシャツの隙間から覗く肌が互いに赤面を誘うが、遮るように蜩の声が大きくなった。

 澪はほほえみ、薄桃の耳を赤らめて囁く。


 「この空に……歌を。悲しみだけじゃなく、あなたへの恋も乗せて」


 響は軽く頷き、哀韻石の輝きを鈴がわりに掲げる。

 ――チリリ。

 細い余韻が朝焼けへ跳ね、ビル群の屋根でこだまし、まだ眠る街に小さな目覚ましを届けた。


 鈴の欠片が胸の奥で静かに合図を送る。ここからが本当の“序章”だと。


 歩道橋の階段を降りる二つの影が、長く伸びて重なり、陽光の中へ溶け込んだ。


(後編・了)

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!

実は――並行世界を舞台にした 『鈴骨ノ緑雨-失われた彼女の“音”を求めて-』 を、別サイト Tales に投稿しています。


澪が居なくなった世界線。

雨の湖で“彼女の音”だけを追い続ける鐘凪響。

鈴の欠片を頼りに、彼は誰も知らない緑雨の深層へ――。


本作とは異なる選択肢を辿った響の物語です。

「もし澪がいなかったら?」という IF を描きつつ、鳴りやまない鈴の余韻と共に、彼の成長と葛藤をじっくり掘り下げています。


気になる方はぜひ Tales で《鈴骨ノ緑雨》を読んでみてください。

https://tales.note.com/noveng_musiq/w1qf7g9lmrj89


今後とも応援よろしくお願いします!

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