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それは冒険譚  作者: 川原にゃこ
本編
7/7

006.正しく生きるということ

「ミハイル。ようやくベレガディア様の行方が見つかったのね?」

「はい、グリムルース様。どうやら“白世界”で暮らしておられるとか」


 豪奢な王座で足を組み、侍らせた召使に爪の手入れをされながらグリムルースと呼ばれた少女は宝石のように輝く大きな瞳を嬉し気に細めた。

 この国──アルセリカの女王であるグリムルースは、強欲でわがままな少女だ。生まれながらに高貴な彼女は、いつだって欲しいものを自分だけの所有物にしてきた。王座の前で傅く下僕のミハイルだってアルセリカの女貴族の子飼いの下僕だったけれど、日常的に自らに性的虐待を加える主人を殺害して死刑になるところだったが、ついつい欲しくなって、自分のものにした。だって、見た目がいいし主人を殺す気概が気に入ったから、側仕えの下僕にするのにちょうどよかったのだ。


「嬉しいわ、嬉しいわ、ベレガディア様。(わたくし)に黙ってアルセリカから出ていくなんて酷いわ。あっちの世界に行っただなんて、酷いわ。道理で見つからなかったわけじゃない」


 新しいマニキュアを塗られた爪先をうっとりと眺めながら、グリムルースは嬉しそうにうふふと笑う。


「ミハイル、あっちの世界に行くわ!準備をなさい」

「はい、グリムルース様」


 ミハイルの返事は「はい、グリムルース様」としか許されていない。いくらグリムルースが無茶な要求をしたって、ミハイルはただそれに従うのみだ。しかし、周りの召使はそうもいかず、慌てて「お言葉ですが、グリムルース様」と声をかける。


「グリムルース様がお留守の間、女王の座が不在なのはどうしたら?それに、あちらの世界は野蛮なニンゲンが多いと聞きますわ。グリムルース様に何かあったら、私どもは……」

「馬鹿ねえ、下等な人間なんて怖いはずないでしょう?ミハイルだっているし、何より私自身が強くって美しいもの」


 グリムルース様は自らの頭に生えた二対の宝石の角を誇示するかのように、首を傾げて照明に煌めかせた。その美しさに召使は息を呑み、出過ぎた真似をいたしましたと深々と平伏する。


「女王代理を立てるから安心なさい。ナルルー、おいで」

「はい、グリムルース様」


 グリムルースが呼ぶと、側に控えていた少女が無表情のままでグリムルースの側に歩み寄り、グリムルースの前にひれ伏すとその爪先にキスをした。その様子に満足げに頷きながら、グリムルースはぴょんと王座から立ち上がる。


「可愛い子。ナルルーは私とおんなじくらい、わがままで、強欲だから好きよ。ナルルー、私の留守をちゃあんと守ってちょうだいね」

「はい、グリムルース様」


 ナルルーは相変わらず無表情のまま、グリムルースから大きな宝石がついたロッドを受け取った。そうして、そのロッドにも静かに口づけすると、そのまま大きな玉座に着座した。


「グリムルース様、留守はナルルーにお任せください」

「頼んだわよお」


 グリムルースはひらひらと手を振りながら、ナルルーの方を一瞥もくれずミハイルが開いた大きな扉からうきうきと玉座の間を退出した。広く、長い廊下を歩きながらうっとりと目を細め、「ベレガディア様、私が迎えに来たとなったら喜んでくれるかしら?私の愛情を知って、嬉しくって泣いちゃうかも?うふふ、早く会いたいわ、ベレガディア様」と夢想する乙女のように呟いた。


「グリムルース様」

「なあに、ミハイル」

「ベレガディア様は、人間の女を妻に娶ったようです」

「なんですって?」


 ぴたり、とグリムルース様の足が止まる。

 しばらくの沈黙の後に、グリムルース様はにっこり笑いながらミハイルの方を向き直った。


「妻、ですって?」

「はい、グリムルース様」

「ふざけるなッ!」


 グリムルースから先ほどまでの笑顔は一瞬にして消え失せ、凄まじい憤怒の表情でミハイルを睨みつける。ミハイルは膝をつき、怒れるグリムルースにこうべを垂れたがグリムルースはそんなミハイルの首を掴み、少女とは思えぬ程の力で締め上げながら至近距離でミハイルに囁いた。


「どうして殺さなかった?その女」

「命令に、ありませんでした、ので」


 酸素が供給されず、息も絶え絶えにミハイルはそう言った。いつも表情の変わらない男だが、このときばかりは眉間に皺を寄せ、苦しげに目を細めている。グリムルースは憎々し気にミハイルを突き飛ばすと、思案げに唇の前に手をやった。


「可哀想なベレガディア様」


 そうして、ぽつりと呟く。


「きっとあちらの世界なんかに行ったせいで頭がおかしくなってしまったのね。でも大丈夫、すぐに治して差し上げますわ。行くわよ、ミハイル。早くベレガディア様に会わなくっちゃ……」

「……はい、グリムルース様」


 ミハイルは乱れたジャボを整えながら、グリムルースの後を追った。



 ***



「あの……」

「ああ、きみか。どうした?」


 昼下がり、書斎でたくさんの書簡や資料に目を通していた夫の元に、イシルミーアは訪れていた。その後ろに控えているディネルースがなんだか落ち着かない様子でそわそわしているし、ソールベルタは小声で「ガンバレ!イシルミーア様」としきりに声援を送っている。何より、イシルミーアが自分の元に自発的に訪れることがにわかに信じがたく、どんなことを切り出されるのかベレガディア自身も皆目見当がつかない。書簡を置き、なんとなく目線を外したまま「あの……」と繰り返すイシルミーアの言葉を待つ。


「えっと……もうすぐ、お茶の時間ですが……」

「うん」


 ようやく口を開いた妻に、出来るだけ優しい相槌を打つ。ベレガディアの相槌に少し安心したのか、ようやくイシルミーアは視線をベレガディアに寄越した。


「ディネルースが作るスコーンがとても美味しくて……紅茶も、おいしいので……よかったら、あなたもどうかと思って……」


 それきり、イシルミーアは黙ってしまった。ベレガディアは表には出さないが、内心とても驚いていた。


 ───まさか、お茶のお誘いを受けるとはな。


 イシルミーアの後ろでディネルースが念を送るようにこちらをじっと見ている。断らないでください、と言いたげな目に、少し笑いが漏れた。ソールベルタはちゃんと自分の気持ちを夫に伝えられたイシルミーアに感激し、「ワア!イシルミーア様、えらい!」と小さく拍手していた。


「……そうだな、ご一緒しよう」


 イシルミーアの心の底から安堵したような顔が、ベレガディアにとってたいへん印象的だった。



 ***



 お茶に誘ったはいいものの、なかなか会話をするまでに至らない二人に、遠くの物陰からディネルースとソールベルタはそわそわしながら見守っていた。

 二人きりにしてほしい、というイシルミーアのお願いから、少し離れたところに待機していた二人だが、ここまではさすがに夫婦の会話も様子も伺いづらく、なんともじれったい気持ちだった。


「エ~ン、ディネルースちゃん。ベレガディア様もイシルミーア様も、全然楽しそうじゃないよォ」

「うるさい。お二人にはお二人のペースがあるんだから、見守りなさい」


 そうは言いながらも、ディネルースも気になって仕方がないようで先ほどからずっと夫婦の姿を凝視している。

 そんな二人の心配に応えるかのように──ようやくイシルミーアは意を決して、唇を開いた。


「あの……聞いてもいいですか?」

「どうぞ」


 平素と変わらぬ様子の夫に、イシルミーアは恐る恐る尋ねる。夫は、ティーカップに口をつけながら普通にそう答えた。イシルミーアは何度か言葉を発しようとするものの、緊張してうまく言葉を紡げない。だが、そんなイシルミーアを責める様子もなく、ベレガディアはじっとイシルミーアの言葉を待っていた。

 そんなところも、夫のやさしさを感じてしまう。

 あんなに、恐ろしい人なのに。

 どうしてこんなところは、優しいのかしら───…



「……以前、私と結婚したのは私を愛していたからだっておっしゃっていたけれど……いつからですか?」


 その途端、ベレガディアが咽せた。慌てて背をさすろうとするものの、「いや、いい」と制止される。いつも冷静な夫が見せた、普通の人間らしい反応に、この人もこんな反応をするんだ、とイシルミーアは少しだけ安堵したと同時になんだか少し嬉しくなった。


「……覚えていたのか」

「忘れるはずないでしょう?不思議なんだもの。私、あなたに愛されるようなこと……してないわ」


 なんだか少しばつが悪くて、目を伏せながらイシルミーアは言う。しかし、ベレガディアこそばつが悪そうな顔をして、テーブルに肘をつき額に手をやっていた。かなり困っているらしい。しばらくの間、二人の間に気まずい沈黙が流れていたが、それを破ったのはベレガディアだった。


「俺は……今でこそこんな姿をしているが、昔は普通の人間だった」

「え……」


 イシルミーアは無意識に、夫が人外の者である象徴の───頭から生えている恐ろしげな角や、顔の皮膚のひび割れ、昏い瞳を見た。


「もう今は存在しない国の騎士だった。その国が亡んだきっかけの戦で俺は大けがをして、死にかけた。そのとき、サラドックがその戦での負傷者を受け入れて、看護してくれた」

「ああ……それ、少しだけ覚えています。私が五歳とか、それくらいのときかしら。たくさんの人が、怪我をして……運び込まれてきたわ」

「その中に俺もいた。そして、幼いきみが怪我人の慰安に訪れたんだ。きみに渡された薬膳のスープを飲んだとき、急に生きている実感がわいて──生きていることに感謝したものだ」


 ベレガディアは紅茶を一口飲んでから、続ける。


「きみは幼いながら、怪我人たちをいつも励まして回っていた。公女として、責務を果たしていた。目を覆いたくなるような怪我を負った者もいたのに、きみは毅然としていた。俺はそんなきみに興味がわいて、それからも度々きみの噂を耳にしていた──俺がこんな姿になってからも」

「そうだったの……」

「一人の女性として成長したきみは、公女として、人間として皆から尊敬される人物になっていた。そして何より、美しかった。見目だけじゃない、その心が」


 夫の言葉に、イシルミーアは急に恥ずかしくなって自分の手元に目を落とした。いつになく夫は饒舌で、その言葉ひとつひとつがイシルミーアを驚かせるし、くすぐったいような気持ちにさせる。夫の賛辞の言葉が照れくさく、イシルミーアはもはや夫の顔を見ることも出来なくなっていた。


「……どうしても、きみが欲しくなった。どんな手を使っても」


 ──そのせいできみや、サラドックを苦しめたことは申し訳なかった、と夫は付け加えた。イシルミーアは黙りこくったままだったので、夫もそのまま口を開かなかった。思いがけずベレガディアの気持ちを知ってしまったイシルミーアはなんと言っていいかわからず、言葉を探すがどれも適切でないような気がして発しようとしても消えてゆく。


「すまない、そろそろ行かねば。きみはディネルースたちとゆっくりしておいで」

「あ……」


 席を立つ夫を引き留められず、イシルミーアの手は行き場なく胸の前で所在なさげにしていた。夫の後ろ姿を見送りながら、イシルミーアの心の中は複雑な気持ちでひどくかき乱されて、どうしたらいいのかわからず途方に暮れてしまうのだった。


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