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それは冒険譚  作者: 川原にゃこ
本編
3/7

002.朝日に煌めく枷

気持ちR15描写あり

終戦後、戦没者たちの弔慰もままならないうちに――国も民もまるで傷が癒えていないのにも関わらず――黒衣の男とイシルミーアの結婚式が執り行われた。

一国の王と一国の姫の婚姻であるのだから、本来であれば盛大に式を執り行うであろうはずだが、()しもの黒衣の王も民心を鑑みてか、それは質素を極めた式であった。

ステンドグラスに彩られた荘厳な教会で、イシルミーアは自らの夫となる黒衣の男の横顔を盗み見る。

恐ろしげな角に、ひび割れたような顔の傷。

人外の存在であることを物語る鋭く暗い眼は、初めて見たものとちっとも変わりはなかった。


誓いの言葉を促す異色の肌をした白髪の神父の口から、恐ろしげな牙と真っ黒な舌が垣間見えた。

この神父も、我が夫となる男と同じように、一目で人外だと分かる。

イシルミーアは覚悟を決めて、夫婦の誓いを交わしたが、心は大層冷ややかであった。

政略結婚なんてこんなものなのだな。

イシルミーアは左手の薬指に嵌められた、煌めくすてきな“(かせ)”を見て、ぼんやりと思った。


***


初夜は酷いものであった。

いくら夫となったとはいえ、故国を戦乱に巻き込んだ張本人である男と(しとね)を共にするなど、身の毛がよだつかのごとくおぞましい夜であった。

夫はイシルミーアより随分背が高かったし、自身も先陣を切って戦場に立つような戦王であったから、体格も良かった。

そんな男に覆い被さられ、何度も穿たれることはイシルミーアにとって恐怖でしかなかった。

まるで獣に襲われたときのような、根源的な恐怖。

もちろん夜伽は初めての経験だったのだから、その行為は痛いし苦しいし、イシルミーアは早くこの痛苦が過ぎ去ることを願うことしか出来ず、これからこんな恐ろしい夜が幾夜も続くなんて、信じ難い悪夢だと眩暈がした。

ようやくその行為が終わり、夫が寝息を立て始めた頃もイシルミーアは寝入ることが出来なかった。

体が震え、全身が鉛のように重く、だるい。

軋む体を擡げて月明りに照らされた夫の横顔を見る。

少し疲れが見えるような横顔は、それでも精悍で、荒々しく伸びる角は月光に照らされて鈍色に光っている。


この男が嫌いだ。


イシルミーアは酷く冷静な気持ちで男を見ていた。

故国を戦乱に巻き込んだこの男が、――とても嫌いだ。



***



いつの間に寝入ってしまっていたのだろう。

朝、起きると既に夫の姿はなく、夫が()していた場所のシーツも冷え切っていた。

天鵞絨(びろうど)のカーテンの隙間から差し込む朝日に目が眩む。

大きなベッドの上を這うようにして移動すると、イシルミーアはベッドのふちに腰かけた。

視線を落とした先の左手の薬指に嵌められた“枷”が、旭光(きょっこう)を受けて煌めいている。

結婚初夜を過ごした新妻の甘い胸のときめきなんてものはなく、あの恐ろしい男の所有物になってしまったのだ、という絶望と、度し難い複雑な想いが胸を打つ。

不意に、強く扉をノックされた。

まるでイシルミーアが目を覚ましたことを見透かされたようなタイミングのノックに、驚いて体が跳ねる。


「どうぞ」


そう促すと、小柄で涼しげな顔つきの女性が足音もなく、無言で入室してきた。

入室するなら何か一言くらいあるでしょ、と少々むっとしながら、イシルミーアはその女性を見る。

金刺繍の入った真っ白なケープから、豊かな金髪が覗いている。

イシルミーアの月光色の金髪とは違う、まるで日光のようなあたたかみのある金髪だった。

サラドック公国のシスターとはまるで違ういで立ちなので、おおよそ神職には見えないのだが、先日の結婚式で彼女が賛美歌を唄っていたのを思い出す。

瞼のすみれ色と、不思議な色を湛えた煌めく瞳がとても印象的で、イシルミーアは彼女の頭から伸びる大きな角に気が付くのに時間がかかった。

彼女も、あの男と同じで人間ではないのだ。


「ヴァシュニル国へようこそ、イシルミーア様。そして、ご結婚おめでとうございます。ワタシはベレガディア様よりイシルミーア様の護衛とお世話を仰せつかりました。ディネルースとお呼びください」

「ありがとう」


ちっとも「ありがとう」という気分ではないのだが、このディネルースに罪はない。

イシルミーアは少しだけ微笑みながらそう言った。


「ご不明な点やお困りゴトがございましたら、どうぞワタシにお申し付けください」


ディネルースはどこかぎこちない口調ながらも、深々とお辞儀をしながらそう言った。

愛想はないけれど、全く意思疎通が図れない人物ではなさそうで、イシルミーアは内心胸を撫で下ろした。

人外の者が治める、故国を戦乱に巻き込んだ仇――いわば敵地であるこの国へたった一人嫁いで、心細くないと言えば嘘になる。

たとえ彼女が人外の者であろうと、あの男に忠誠を誓っている以上、イシルミーアに危害を加えるようなことはないはずだ。おそらくは。


「わからないことだらけなの。たくさん教えて欲しいことがあるわ」

「ワタシにお答え出来ることであれば、何でも」


ディネルースはイシルミーアの朝食の準備をしながら、眉一つ動かさずにそう言う。

イシルミーアは席につきながら、そんなディネルースを見つめる。

新鮮なサラダと、湯気のたつスープ、そしてパンや主菜が次々とイシルミーアの前に並べられる。


「おいしそう」


思わず声が出る。

そんなイシルミーアに、ディネルースはほんの少しだけ口元を緩ませた。


「お嫌いなモノがあれば、お申しつけください。ベレガディア様もご一緒出来ずで残念です」

「……。」


暗い気持ちのなかに垣間見えた嬉しい気持ちが、瞬く間に再び萎んでしまった。

そんなイシルミーアの気持ちを知ってか知らずか、ディネルースは続ける。


「ベレガディア様は、イシルミーア様がこの国へ来られるコトをずっと心待ちにしておられました。イシルミーア様をこうしてお迎えするコトが出来て、ワタシたちも大変嬉しく感じています」

「心待ち……。そうね、あの人はサラドックの歴史が欲しくてうずうずしていたものね」


ディネルースに言ったところでどうにもならないことはわかっていたが、どうしても心の底から納得出来る婚姻でなかったことがイシルミーアの心を頑なにしてしまっていた。

少しばかりの自嘲めいた皮肉を漏らした途端、グラスに水を注いでいたディネルースの動きがぴたりと止まった。

失言であったかと後悔する間もなく、ディネルースの静かな怒りに燃えた視線がイシルミーアを貫く。


「ベレガディア様はサラドック公国の歴史だけが欲しくてイシルミーア様を請うたワケではありません。お間違え無きよう」


ディネルースの静かな怒りに触れたイシルミーアは、ますますわからなくなってしまった。

確かに、サラドック公国は歴史ある国ではあるが、資源や武力に優れている訳ではない。

国力を強靭にする目的を第一とするのであれば、わざわざその礎にサラドック公国を選ぶ必要はない。

むしろ、もっと適当な国があるはずだ。

だが、ディネルースの口ぶりからしても、どうやら様々な思惑が渦巻いているようだ。


「ごめんなさい。失言だったわ」

「イエ」


ディネルースが事もなげに言ったので、イシルミーアは安堵した。

今後長く付き合うこととなるであろうディネルースの心証を、こんな些末なことで害することは得策でないことは明白であった。

思った以上に、あの男への忠誠心は厚いらしい。


「ベレガディア様は素晴らしいお方です。ワタシはあの方以上に慈悲深く、気高く強い方に出会ったことがありません」


思わず失笑するところであった。

イシルミーアはすんでのところで表情を変えることなく、ただ俯いた。

あの男が、慈悲深いですって?

気高いですって?


故国に戦火を齎し、多くの人に悲しみと怒りと絶望を振りまいて、美しいサラドックの木々や家や人を焼いた男が慈悲深いだなんて、笑えない冗談だった。

これ以上あの男のことを考えると、再びあの男への怒りが沸いてくるような気がして、イシルミーアは目の前の朝食に意識を向けることにした。

あんなにおいしそうな朝食だったのに、酷く気持ちが落ち込んでしまって、やっぱりイシルミーアは暗澹(あんたん)たる気持ちでヴァシュニル国での初めての朝を迎えたのであった。



***



ヴァシュニル国は、あの男やディネルースのように人外の存在が多くを占めていたが、無論普通の人間も暮らしているようだった。

特に差別もなく、諍いもなく、ただただ“普通”であった。

ごく普通に、人外の存在が受け入れられているし、人外の存在からも人間が受け入れられていた。

いつの間にこんな国が出来たのだろう。

この人々は一体どこからやってきて、ヴァシュニル国に根付いたのだろう。


「ねえ、ディネルースはどこの出身なの?」

「ワタシは――小国の出身です。ルベイドという国」


ルベイド。

イシルミーアは学問に通じていたので、世界の地理はある程度頭に入っていた。

それなのに、ちっともピンとこない。


「ごめんなさい、あまり詳しくなくて。えっと……ルベイドって、どのあたりにあるのかしら?」

「……イエ。イシルミーア様がご存じないのは当たり前なので、お気になさらず」


そんな国、あるはずがないと思ったけれど、そもそもこの人たちは自分とは違う生き物なのだと思うと、きっと彼らの住む世界で存在する国なのだろうとイシルミーア様は思った。

なんともメルヘンというか、ナンセンスというか、不思議な気分だ。

イシルミーアは無神論者ではないので、超常的で、人知を超えた存在に対して批判的ではない。

別の大陸の――遠い国では、人外の存在がある、ということも知っていた。

それこそおとぎ話の中に出てくるような生き物や、魔法を使う者だっていることを聞いたことがある。

けれども、それらを実際に目の当たりにしたわけではないイシルミーアにとっては、遠い国に住む彼らは本の中のおとぎ話の住人と何ら変わりはない。

だから、自分の夫の頭に大きなツノが生えていて、牙がするどくて、皮膚がひび割れていて、目玉の白い部分が真っ黒だなんて、あまりにも恐ろしかった。


――あんな男の、どこが素晴らしいっていうんだろう。

イシルミーアは窓の外をぼんやり眺めながら物思いに耽った。

ヴァシュニル国は、思っていたよりはずっと綺麗な国だったので、イシルミーアは少しだけ心が慰められる思いがする。

もちろん、サラドックには及ばないと思うのは贔屓目なのか――どちらにせよ、几帳面に整然と並ぶ建築物と、それらを彩る街路樹や花なんかが綺麗だった。

もっと怖い国を想像していたのに、ヴァシュニル国はいたって普通だった。


視線を自分の手元に落とす。

左手の薬指の枷は相変わらず光を受けてきらきらと光っていた。

ためつすがめつ眺めて、いろんな角度から反射される光を見た。


心から愛している人に贈られたものだったら、どんなに嬉しかっただろう。


仲睦まじい両親の元で育ったイシルミーアにとって、婚姻は憧れであった。

両親も、イシルミーアに幸せな結婚をしてほしいと願っていたようだったから――今はどんな気持ちでいるというのだろう。


「本当に、嫌いだわ」


イシルミーアの独り言は誰もいない部屋に溶けた。


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