最後の願い
俺は宇宙ステーション内の基地から出て居住地区に向かう。
居住地区の手前にある馴染みの食堂の暖簾を潜る。
沢山の客で店内は騒がしくテーブル席は全て埋まっていた。
でもまあ構わないお一人様の俺はカウンターを目指し、カウンターの内側にいるマスターに声を掛ける。
「トンカツってできるかい?」
「トンカツ? ああできるよ。
ただ油を熱して無いんで、トンカツ焼きになるけどそれで良いか?」
「頼む」
「じゃ、座って待ってな」
そう言いながらマスターは顎で空いているカウンター席を示した。
俺はビールで喉を潤し、カウンターの内側で手際よく調理を始めたマスターの手元を覗き見る。
塩コショウした肉に小麦粉、溶き卵、パン粉を順番に付け、少し多めの油を引いたフライパンで肉を焼き始めた。
肉を焼いている間にトレーを用意して、千切りキャベツを盛った皿とご飯やスープのお椀を並べる。
フライパン上の肉をひっくり返す。
焼けた面は綺麗なキツネ色になっていた。
焼き上がったのか肉をフライパンから出し、まな板の上でサクサクサクサクと切り皿に盛って肉の上にソースを垂らす。
「はい、お待ちどうさん」
俺はフォークに刺した肉を頬張った。
「へー、想像していたより美味いな」
「本来は焼くんじゃ無く、油で揚げる料理なんだがな。
ってか、お前さん食った事の無い料理を注文したのかよ?」
「実は今日のパトロール中難破船を見つけたんだ。
コクピット内のとっくの昔に動力が切れ機能を停止したコールドスリープ装置内には、ミイラ化した遺体が眠っていたよ。
船のコンピューターに残っていた記録をステーションに送って調べたら、3,000年以上の昔の人類が外宇宙に進出する最初期、母なる惑星地球がある太陽系の外輪部にある準惑星冥王星に外宇宙探査前線基地建設中だった頃、建設資材を積んだ船が1隻行方不明になっていたんだが、その船だった。
眠っていた男が書いた日誌にトンカツの事が書いてあったんだよ」
コールドスリープから目覚めてから2日目、明日冥王星とランデブーする筈だったのに突然船のエンジンの出力が上がり船が暴走を始める。
救助を求めると共に修理を試みたが私の手に負えるものでは無かった。
救助も無理だろうな。
この船が太陽系の1番外側を飛行中だったんだから。
船はドンドン加速しながら銀河の最深部目指して暴走を続けている。
さっき最後の食事を摂った。
形や食感はトンカツと似ても似つかないけど、匂いと味はトンカツそのもの。
好物は最後に食べる性格のお陰で、大好物のトンカツ味の宇宙食が最後の晩餐になった。
太陽系はもう肉眼でも船外のカメラでも捉える事は出来ない。
誰にも看取られず死ぬ訳だけど悲観はしていない、だって、外宇宙探査船のパイロットになるなんて夢のまた夢だったのに、彼ら探査船パイロットより先に外宇宙に乗り出せているんだからな。
コールドスリープ装置を無期限に設定した。
眠っているうちに燃料が無くなり動力が切れて機能が停止する筈、そうすれば苦しむ事も無く死ねるだろうから。
あと最後の願いを1つだけ書いておく。
私はトンカツが大好物なんだ、だから数十年後……否……数十年じゃ無理だな数百年後かな、銀河に進出した人類の誰かがこの船を見つけて日誌を読んでくれたら、私の代わりにトンカツを堪能して欲しいそれが私の最後の願いだ。
じゃ、さようなら。
騒がしかった店内は俺が話し始めると少しずつ静かになり、話し終えた時には静まり返っていた。
当然だろう。
俺たち宇宙で生きる者たちは誰もが彼のように宇宙の果てで遭難し、誰にも看取られず1人亡くなる事を覚悟しているのだから。
マスターはカウンターの上に多数のショットグラスを並べ、ショットグラスに火酒を注ぐ。
そのショットグラスを店内の客と従業員全員が手にした。
手にしたショットグラスを掲げ、それぞれが信じる宗教の祈りの言葉を呟き、3,000年前1人寂しく亡くなった男の冥福を祈り火酒を一気に喉に流し込んだ。