おばさん異世界でブチ切れる
「は?」
思ったより低めの声が出た。
目を泳がせる司祭を見てため息が出る。肝が据わっていない。
「ああもう、わかりましたよ、わかりました! あんたらがマトモだった試しはいっこもないからね!」
「そ、そんな、我々は……」
「うるさい、いいから帳簿出せ! ない? アァ!?」
怒りに任せて拳を振り降ろしたら机がぶっ壊れた。
青ざめた彼が座っていた椅子から慌てて立ち上がり後退り、次いでばらけた書類を見て慌ててかがんで拾い集めようとする。
それを制して、背後のソファを立てた親指で指し示せば、泣きそうな顔になりながらトボトボと歩いていった。
というかそもそも、王都にある教会だから外身は良いのに、どうしてこうも執務室内がぼろいのか。
ガタつく椅子に壊れたオンボロ机、装飾品も素人作品を粗末な棚に並べているだけだし。仕事環境悪すぎじゃないか。
応接用のソファはそれなりの物を用意しているみたいだけど、王宮で見たものに比べたら随分と貧相だ。
その証拠に、少し乱暴に腰掛けただけで軋み声をあげている。
「そ、それで、ご予算のお話とのことですが……」
震えた声で尋ねてくる司祭。
対してこちらはふんぞり返ったような恰好だ。王宮から手配された護衛騎士が背後に控えているので、さらに威圧感倍ドンしていることだろう。
「そう、聖女は王宮から予算が割り当てられるけど、私は教会の管轄だろう、と、向こうの財務担当が言うのでね」
そいつも詰問したら青ざめて目を泳がせていたっけな。
あの感じでどうやって予算管理しているんだろうな。とてもじゃないけど王宮という名の伏魔殿を渡り歩けるような性格に思えないんだけど。好き勝手予算持っていかれてそう。
「え、ええ、ですので、おいくらくらい必要なのかと」
「それね。使いたいんじゃなくて、使える範囲が知りたいわけ」
「必要であれば、その時に必要な分だけ……」
「だーぁーかーぁーらーぁー! そんで私が法外な値段吹っ掛けたら出すの?! しないけど! あらかじめ使える額を設定しておくべきでしょ!?」
「そ、それでは緊急の出費は」
「だったら最初に多めに割り振るか予備費でも用意しておけばいいでしょ、いい」
眉間に皺を寄せ、前のめりで話を聞く青い顔の男にビシッと指をさす。
ちゃんと食べてるのかこいつ、痩せこけているし髪に艶もない。元の作りは悪くなさそうなんだけど、これが宝の持ち腐れってやつか。
「金を集めるのは強欲じゃない、使いこなせないのが悪なの。管理できないのは怠惰なの。いつの間にか金がない、なんて、寄付してくる相手に失礼でしょ。傲慢っていうの。適正運用して初めて善行なのよ」
「善行……?」
「そう、救貧事業も慈善事業も結構だけど、教会の人間が倒れたら元も子もないでしょう。あんた、もうちょっとがめつく生きなさい」
「がめつく……」
何かを飲み込むように、ゆっくりと浸透させるように、俯いて考え込む司祭。
背後から噴き出すような音が聞こえたけど気にしない。
「ってことで、帳簿つけるわよ。簡単な出納管理くらいはしてたでしょ? 書類出して整理するから」
できるだけ優しく声を掛けたら、またしても震え出した。
落ち着いたと思ったんだけど、また寒くなってきたのかな。顔も青白いしね。
「出せってんだよ、アァ? 書類だよ、書類。あんだろ? あ? ない? ふざけてんのかテメェ!」
そこからしばらく、司祭を交えた聴取と実地調査が続いた。
ついでに執務室を使うため、頑丈で長持ちする木材を使った机と椅子を新調。
無駄遣いじゃないかと言われたので、ランニングコストという一言で片づけた。詳しいことは聞くな、知らんから。
所謂、異世界召喚とか言うやつでこちらに来たのが三ヶ月くらい前。
いや、そもそもは聖女を呼ぶためだったとかで、私のほかに若い娘が二人ほど一緒に呼び出されていた。
複数人出てきたことに召喚士らしき人は驚いていて、誰が聖女かと口走っていた。
知るかよ。全員一般人だよ。
ともかく状況の把握をしようと口を開こうとしたら、若い方の一人が立ち上がって、自分が聖女だと堂々と名乗った。
どんなリスクがあるのかわからないのに、自ら危険に飛び込むとはこれが若さなのかと衝撃を受けた。
とまあ、そんな経緯で聖女とそのお付き、みたいな扱いで一時王宮預かりとなり、そのうち若い子達は学園に行った。
その保護期間で私は各所に顔を出しては口を出して、いわゆるお局さんみたいな位置に落ち着いていた。
元々、人のすることに干渉する性質ではないけれど、生活が不便でどうも……いや料理の味付けとか衛生面とか服装とか、生活環境の劣化は許せなかったもので。
召喚された経緯もあり、そのせいで一部からは聖母様とか呼ばれるようになった。若くなくて悪かったな。
「ああ、それで思い出したんだけど、治癒魔法が使えるか試したいんだった」
一週間くらいかけて、帳簿をまとめたり教会内部の環境整備に精を出していたんだけど、急に思い出したので書類仕事を頑張っている司祭の所へ訪ねて行った。
随分と仕事がはかどるようになった彼が、ポカンとした顔で私の事を見上げている。
予算のほうがついでだったのにすっかり忘れて熱中してしまった。
「あ……ええと、神聖力はお持ちで……?」
「王宮付き魔法使いが言うにはあるらしい。召喚された時に、聖女と同時に付与されたんだろうって」
でも、魔法使いだと力の大きさがわからないようで、お前じゃあ大したことないだろうなって顔されたよね。
まあ報復くらいはわけないので、今では彼も立派に私の顔を見て怯える人になっている。
「そうですか……一度、適性をみさせていただいても?」
「ああ、うん」
手を出してくるので握手するのかな、と、こちらも両手を差し出せば、いつもは後ろで笑いを堪えているだけの護衛になった騎士さんがずいっと進み出てきた。
「失礼。これでも女性ですので、直接手を触れるのはいかがなものかと」
「そういえば。ええと、手袋越しでも確認できますので、ご準備いただけますか」
これでも、とか、そういえば、とか、完全に忘れていますね貴方達。
そこは別に良いけども。不浄扱いされるのはちょっとイラっとする。
「貴族では、男女がみだりに肌を触れ合わせてはいけないとされていますので」
「みだりもなにも、握手したり手を握って歩いたりくらいはするのでは」
「親世代……失礼、貴方世代の方々だと、はしたないと言われますよ」
言い換えるな。若くないのはわかってるけど言われると腹立つから。
わざとか? わざと怒らせようとしているのか?
差し出されたものを渋々身に着ける。私を恐れてか侍女が付かないので、こういう荷物も護衛が持っているらしい。今度から自分で持とう。
「ええと……名前何だっけ?」
「ウィリクです。七回目の自己紹介になりますね」
「それは護衛し甲斐がないね。異動するならこちらからも話を通しておくよ」
「構いませんが、そうなると次が来るまで自由に動けなくなりますよ。皆さん貴方に怯えているので、決まるまでにどれほどかかるか」
いなくても自由に動き回れるけど、前にそれをして城内が一部パニックになり、その時の護衛がクビになった事件がある。
場合によっちゃ勝手できないように一時的な監禁をされかねない。
ただの一般人に対して大げさすぎるけど、これも召喚された弊害なのだろう。大きすぎる力とは差別されるもの。発揮した覚えないけど。
「チッ」
「この会話も七回目ですね」
「歳だから覚えてられなくてね。今後も何回も言うと思うからよろしく」
「司祭様がお待ちですよ」
「ああ、すまん。じゃあ頼む」
「……はい」
なんで疲れた顔をしているのだろうか。
結論から言うと、神聖力はだいぶあった。
なぜ今まで確認しなかったのかと問われたが、その前に生活環境を整えるのが先だっただけだ。
聖女は別にいるんだからオマケでついてきた私なんて後回しで構わんだろ。
「ありえませんよ、聖女様と同じレベルです」
頭を抱える司祭。
そんなに絶望する事だろうか。
「結婚されてなかったんですね。その歳で」
「そこら辺は個人の自由だしねぇ。なんやかや言われてたけど嫌だったから、のらくら躱して年取るまで持ってった」
さすがにこれだけの年齢になったら結婚どうこう言われることもなくなったわ。
年を取るメリットは世間から放置されることだよね。健康に支障が出てくるのがデメリット。
「というか、恋人の一人もいなかったんですね。聖女って、異性交遊経験のない人しかなれませんよ」
そんなことで処女性を確立なんてしたくはなかったが。
そういう目で見られるってことね、はいはい。山奥で修行でもしてたことにするかな。
「……もしかして、そちらの世界では若い女性しか異性交遊をしてはならないといった不文律でも……?」
「若い女性時代を経由しているんだわ、不穏な話はやめてもらおうか」
「失礼しました。……その、聖女様の事なのですが」
ん?
何やら迷ったような表情をしている。
これは面倒なことに巻き込まれるのでは。
バッと席を立とうとしたら、上からスッと肩を抑え込まれた。
おのれ護衛!
お前の仕事は私を押さえつけることではないだろう!?
「暴走しないように見張るよう言われております」
「くっ……上司命令……!」
どんな問題児だ私は。
単純に膂力では敵わないのでおとなしくする。隙あらば逃げるけど。
「最初に聖女と名乗った方は神聖力を持っていません。あの、どうして彼女は自分が聖女だと?」
「見栄じゃない?」
そもそも、向こうにそんな職業ないしな。
物語の中の、創作で登場するもの。それに自分が該当するとか、患っているか見栄っ張りかでしょ。
「そういえば二人は学園なんだっけ? 馴染めてるの? 家に帰りたいとか言ってない?」
「報告では、大きな問題はないようですが……近々、戦場に送る話があるらしく」
「は?」
思った以上に低い声が出た。
びくりと肩を震わせる司祭。
「聖女とはいえ子供だってことは知ってるんだよな? そのふざけた話をしてるのはどこのクズだ。お前か?」
「ひっ……!? ち、違います違います! 王宮でそのような話があると……!」
「そうか……長居したな」
しばらく教会に寝泊まりしていたけど、ちょっと目を離した隙に貴族たちがキナ臭い動きをしているとか。
根性を叩き直さないといけないだろうか。
「現場に乗り込むわ」
またしても背後から噴き出すような音がした。
折よく会議していたので、会場に登場して、聖女を戦場に送ろうぜって言ってるおっさん達をまるっと連行して現地に向かっている。
え? 家で剣術訓練とかしたんでしょ? 後ろで指揮をする? 何言ってんだお前ら、栄えある聖母様親衛隊だぞ喜べよ、前線行くぞ。肉盾くらいにはなれるだろ。
仕事が色々あると言っていたけれど、その場にいるほかの面々にやっといてって伝えているから、なんとかなるだろう。なんとかならなくても、どうにかするのが仕事というものだ。
どうせ労基もないんだし過労死手前くらいなんでもないって。いけるって。
倒れそうになったら司祭に頼んで回復してもらえばいいんだって。いけるって。
「相変わらずの無茶苦茶で……」
回復魔法の使い方の教練本を読んでいたら、馬車の外から声がかかった。
いつでも不敬な護衛しているらしい監視騎士さんだ。言葉のわりに楽しそうなんですけど。
「対外的な地位は我儘を通すためのものだからね。まあ、退職したかったらいつでもどうぞ」
これだけ王宮から離れていたら、拘束のための人員派遣もできまい。
それに単純武力はないけど回避能力だけはたぶんあると自分を信じてるから逃げ切るし。
「ああそうだ、この前、指に切り傷つくってたっけ?」
「よくご存知ですね……治りかけなのか、少しかゆいんです」
「そう、見せて」
素直に手を差し出してくる。
馬車と馬でそれぞれ動くからやりづらい。が、手の全体を包むようにして展開すれば問題なし。
かざした手のひらからフッと何かが出て行く感覚がして、自称護衛が瞬時に手を引いた。
勘のいい奴め。
「治癒は効いた?」
「俺で実験しないでください。戦地につくまでの間にいくつかの町村があります。そこで試されてはいかがですか」
「君、守るべき国民を人身御供にするんじゃないよ」
「治癒ですから、生贄ではありませんよ」
口の減らない奴だ。
「……その、ひとつ、聞きたいことがあるのですが」
「ん?」
馬車酔いがひどいので、自己治癒で回復を試みる。
三半規管? バランスが取れれば問題ないのかな? わかんないけど、正常状態に戻れって念じておく。
「貴方は元の世界に未練はないのですか。ご家族とか……」
「………」
帰れるなら帰りたい。元の世界の方が住み心地良かったから。ご飯も美味しかったし。
あんまり友達いなかったし親とも疎遠にはなってたけど、知ってる人がいるっていうのも、入れるお墓があるっていうのも、こうなってみると魅力的な話ではある。
あと単純に、向こうに残してきた遺品を家族が見ると思うと脂汗浮かぶっていうのもあるけども。
帰れないんだよな。
だったらもう、こっちの世界を理想に近付けるしかない。
子供じゃないからある程度の割り切りはできるって。
「いや、山奥で修行してたから、こっちとあんまり変わらないんだよね」
「あー、それで婚期も逃してたんですね」
「いつも一言多いのはわざとかお前。失敬なやつめ」
「いや、面白いんで」
いつも含み笑いしているのは知ってるよ、この野郎。
連れてきた面々が戦力的に期待できないことは明白な事実だったので、さっさと後方の衛生部隊に合流して仕事に従事させることにした。
とりあえずは私の助手的な位置で。いやあ、某小説の回診シーンみたいだなぁ。
失意のおっさん達がぞろぞろと歩いていく姿は医者というよりゾンビの行進に近いものがあるけど。
「責任者は誰だ!」
「俺だ! お前らはなんだ!」
「支援しに来た! 重篤患者の場所へ案内しろ!!」
「そうか! お前、連れていけ!」
話が早かった。
王宮もこれくらい話がスムーズだったら良いんだけどな。
無精ひげの、少し肌が浅黒いシブメン。衛生従事者らしく清潔。野性味はあるけれど。
責任者と言うし、顔を覚えておこう。名前を知らないし。
「あっと、案内します」
指名されたのは軽症の兵士だろうか。たぶんここに来た患者だろう。
人手が足りないのかな。
そもそも、聖女が召喚されたのは、魔境からくる魔物を浄化するため、ついでに兵士を治癒するためである。
不浄に犯された土地からは無限に穢れた生物が生れ出てくるとかで、土地そのものをどうにかするしかないらしい。
聖女たちは学園に通いながら神聖力の使い方を学んでいるという。
私はとりあえず、ここに来るまでに馬車の中で本を読んで、道々で人を癒して荒れ地に神聖力を流したりして実験もとい実地訓練していた。中途採用でまともな研修があると思うなよ、と言っていた転職したての頃の兄の言葉を思い出した日々だった。
先導する兵士についていく。
段々と臭気がひどくなってくる。
ここまでの道中で多少なりと臭いには慣れたつもりだったけど、これは方向性が違う。
腐臭と死の臭いについてくるおっさん達の何人かが耐えきれずに吐き出した。
文官出身は軒並み駄目そうだな。武官系は表情こそ険しいものの気持ち悪そうではない。
そのうちの一人と目が合う。彼は鼻で笑った。
「聖女の派遣を進言したのは、戦場の兵士を思っての事だ。彼らは常に苦しんでいる」
「聖女じゃなくとも癒し手はいるだろ。拙い聖女を前線に出すべきじゃない」
「浄化のために呼び出したんだ。さっさと仕事をするべきだ」
とりあえず、護衛騎士に合図して頭をぶん殴ってもらった。
誘拐犯が何言ってやがる。
「はっきり言って、お前らが死のうと世界が滅びようと関係ないからな。たまたま誘拐されて、なんとかしないと生きられないから仕方なく渋々手を貸してやってるんだ。むしろお前らが死んだ方が胸がすく分、心身の健康に寄与するんだが」
「せ、聖女がそんなことを言うなど……!」
「聖女じゃないから。無償奉仕とかふざけんなって話だよ、救ってほしいって言うなら国でも全部献上しろよ、それでも足りないけど」
「なんと欲深い……」
「仕事って言うなら報酬を用意してるんだろって話だ。タダ働きが普通とか思ってんなら、なんでお前がそれをしてないんだよ。ウィリク、三発くらい殴っといて」
とりあえず、価値観が違って話し合いが解決に向かう見込みがないので物理的に黙らせる。
やはり最後は力業に限る。
余計なことで時間を使ってしまったが、重篤者用のテントにたどり着いた。
中に入れば、各部位が千切れてなくなっていたり中身がモロっとしていたりと、なかなかに悲惨な状況。武官系も何人か吐いた。飯なんて食うからだ。
奥の方に、下半身無くなってるんだけど治癒師がつきっきりだからか生き延びてる人がいる。あれ、もう楽にしてやった方が良いのでは。
「そんな……貴殿がなぜ!」
そして、その半分だけの人に駆け寄るさっき殴られてたおっさん。
知り合いなのか。浅い呼吸を繰り返しているだけだった髭面の半死人がうっすら目を開けた。
なんていう生命力なんだ! つーか魔法やべぇ!
「あ、あぁ……幻覚、か……?」
「残念ながら本物だ。貴殿が一部隊率いていると聞いてはいたが、相変わらず前線にいたのか?」
「ふ、は、怪物が……殿を……」
「そうか……貴殿はいつもそうだな。自らの危険を顧みず、大勢の味方の生還を考えていた」
殴られていたおっさんが首を振る。
それで上官と折り合いが合わずにいい年して戦場とかそういう事だろうか。
「しかし、これだけ瀕死だったら、まかり間違って変態しても生きてりゃ文句出ないよね?」
「なんですか?」
独り言のつもりだったけど聞きとがめられた。
無視して瀕死の人に近付く。
「ちょっと失礼」
「え?」
胸の辺りに手を当てて、細胞活性化。強制的に足を生やす。
でも細かいところはわからないので、毛とか局部とかは存在しない。
芯の部分を魔法で作った、義足みたいなものだ。徐々に自身の細胞が中身を作っていくはずなので、数年経てば元の姿に戻れるだろう。
魔力管を通しているから感覚的には普通に使えるはず。
「これは……?」
「おっと、血は失くしているからいきなりは動かないほうが良い」
起き上がりふらつく瀕死だった人。
魔法の謎の万能性もそうだけど、この人の根性も怖いな。あの致命傷ならショック死か失血死するもんだと思うんだけど。
「奇跡……?」
「奇跡だ……!」
にわかに活気づくおっさん達。
さて、私の魔力残量は……実はわからない。
ま、やるだけやるしかないな。
「次の瀕死体はどこ? 死の淵の奴からすくい上げてくよ。おら、ぼーっとすんじゃねえ! 患者の様子を見ろ! 何のために人手を集めたと思ってんだ!」
こっちを見てぼんやりしているおっさん達に喝を入れる。
慌てて動き始めるけれど、言われる前にやってほしいところだ。
さて、ここが終わったら次は重症者の所か。
何日寝れないかはわからないけど、ともかく脳死でがんばろう。
ある程度の人を治癒して。
ひと眠りしたので前線に向かうことにした。
危険だって言われたけど、瀕死の人が後方のここまで落ち延びてこれる確率はそこまで高くないって話だったので。
「もう行くんですか、姐御」
「俺達もすぐに追いかけます、それまでどうぞご無事で」
「姐御のためにこの命を使います!」
治癒しただけで随分と慕われたものだ。
しかし若い聖女ならばロマンスになりそうなところ、姐御呼びですよ。
聖母より良いけど……。
「ああ、致命傷なら治してやるから、サクッと復帰して命賭けろよ」
「ひでぇ」
「容赦ねぇ」
「姐御過ぎる」
「しかし、怪物が出たという話ではないですか。英雄ディランでも死にかけた相手ですよ」
あの下半身と生き別れた瀕死の人は英雄と呼ばれてるらしい。
いやしかし、そんな野郎でも既に男としては死んでるんだよな。実物を知らない私じゃどうしようもなかった。奥さんごめんね。
「見つけたらとりあえず浄化して、弱体化するだろうから四方八方からボコ殴りして、浄化する」
「えぐい」
「情けも容赦も必要か? 目的のために手段を問うんじゃない、やらなきゃやられるだけだ」
「思い切りが良すぎる」
「さすがの姐御」
「というか、武力はないからちゃんと守ってね。過剰防衛で良いから」
同行するのは護衛としてこんなところまで来てしまったウィリク。
それから速攻で回復したディラン。
あと、ディラン氏の知り合いらしいおっさん。名前は知らん。
それから数名の兵士も前線復帰のためともに向かうことになる。
連れてきたおっさん達は話の早いシブメンに預けてる。連れてっても役に立たないし。
「んじゃ、前線に向けてしゅっぱー」
そこまで言いかけて。
ごとりと音をさせて何かが倒れ、同時に周囲の空気がざわついた。
「な、怪物がここまで?!」
「は?」
横たわるのは先日治したばかりの兵士。
さすがに胴と頭が離れていたら即死で、私でも手の施しようがない。
「姐御、下がって……」
「はあぁ!? お前何してんの? 何してんの?!」
「あ、姐御?」
「私が! 不眠不休で治して回って! めっちゃ疲れて疲れて疲れて、臭くて不潔で死にそうで泣きそうになりながら耐えて耐えて耐えて粘って気が狂いそうなとこ気合いと根性でどうにか無理くり成し遂げたとこだったのにお前ええぇぇ!!」
浄化! 浄化! 浄化!
オラァ! 弱体化したな?!
「ボコれ!!」
「ぬぉおお!!」
「う、うわぁぁぁ!」
「だらあぁぁぁ!!」
「言い方」
真っ黒の蜘蛛みたいな影に躍りかかる兵士たち。
足がわさわさ動いて突き刺そうとしてくるので、神聖力をピンポイントで伸ばして巻き上げる。糸なら私だって出せるのさ。負けん!
障害物を使って飛び上がった自称護衛が陽炎の揺らめきがごとき輪郭に刃を落とせば、そこから光が入り込んで奴にダメージが入ったらしい。口と思わしき部分がせわしなくかぱかぱと動いた。
「死ねぇぇええ!」
浄化!
一瞬だけ辺りが明るくなったと思えば、空気の軋みのような音を残して影が消滅した。
というか、あんなもんと剣とか弓で戦おうとか正気じゃねぇ。
兵士の人達の武器って、聖水とか使ってエンチャントしてんのかな? 次から魔法で試してみよう。壊れないと良いけど。
「倒せましたね」
「こんな簡単に……」
「姐御のおかげっすね!」
「いや、しかし」
全員の視線がこちらを向いた。
「ガラが悪すぎるので、そこは直してください」
「すみません」
いや、ブチ切れたら誰だってそうなるよね?
どんなに温厚な人だって怒ったら怖いからね!
「ま、おいおい何とかするから、まずは出発しよう」
「本当ですか?」
疑り深いな。
直す気ない時にそう言うんだよ、スルーしといて。
数年後、成人した聖女が自分の意志で戦場に来るまで、できるだけ前線で暴れてたおかげで、いつの間にか鬼子母神という二つ名がついてしまった。
ウィリクは護衛という名目で楽しそうに戦場を駆け回っているし、ディラン氏も何度も死にかけたけどそのたびに再生していたので、今では腕が追加で四本生えていたりする。
本人たっての希望なので! ウキウキ人体実験したわけじゃないので!
だから、天狗と阿修羅を従えてるとかいうのは風評被害にもほどがあると思う。
「そろそろ聖女様が到着される予定ですが、いかがいたしますか」
「引継ぎしたらいったん王都に帰るって言ってるじゃん」
「聖女様も貴族の対応に苦慮されたようですが、鬼子母神様は問題ございませんか」
「は?」
え、聖女ちゃんが苦労しないように主戦派を戦場まで引きずっていったんだけど。
貴族同士の陰謀に彼女たちを巻き込んだってこと?
それなりに情報を集めていたつもりだったけど、やっぱり遠いと漏れがあるみたいだな。
「とりあえず全員ぶん殴る用意しといて」
「承知しました」
「おい、やめろ、おい。反逆を容認してどうする……」
「王侯貴族とか関係ないから。褒賞は免責特権にしよう。好きなだけ殴ろう」
「楽しみです」
「はあ……」
苦労人が板についたなぁ、阿修羅。
まあ、私を怒らせるほうが悪いんでね。
待ってろや王都、全員もれなく屈服させてやるからな。