〈序章 エデンへ〉〝戦乙女〟
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はるか遠い未来、もしくは、気の遠くなる程の昔……。
大地は荒れ草木は眠り、多くの争いが起こった。誰もそれを止めることは出来なかった。
ひとびとは減った。どこまでも減り続けた。
そして、深い深い地下の底、生命の存在など許されないはずの場所に、七つの箱が存在した————。
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二ヶ月前、見渡す限り一面の雄大な草原の真ん中にて。
戦国武将の鎧に似た甲冑を身に付けた者たちと、原始的で丈夫な毛皮の布を着た者たちが争っていた。
前者は背丈ほどもある大太刀、後者は二本の短剣を振り回し、あちらこちらで雄叫びが飛び交っている。そこにいるのは男ばかり。皆、荒々しく伸びた髭を揺らし、血管の浮き出んばかりに力を込めた逞しい腕を振るって斬り合いに興じている。
甲冑の男が太刀を振り下ろし、毛皮の男が二本の短剣で受け止めた。しばしの間、両者はその状態のまま睨み合っていたが、そのすぐ脇を小さな影が横切った。甲冑の男がその影に目を盗られた刹那、短剣を持った男は素早く刀を振り払い、相手の喉元を鋭利な切っ先で貫いた。
小さな影は戦場の中を素早く駆け巡る。廻る足を止めることなく動き続ける姿は目にも止まらず、その正体がこの戦場で唯一の女であることを甲冑集団は誰一人として知ることはない。
軽く丈夫な布と二本の短剣で戦いに挑む毛皮の者たちは、カザーニィという国の人々だった。集団から少し離れた場所で戦況を見守っていたカザーニィの一人の大男は、一本の竹筒のような楽器を力いっぱいに吹き鳴らした。高音で耳を劈くような奇音に、その場にいた誰もが動きを止め、音のした方角に目を向ける。一瞬のその隙を女は見逃さない。
風のような動きで甲冑集団の頭に飛びつき、喉元に短剣を突き付けて相手の動きを牽制し、草原にポツンと置かれた岩の上に登るよう指示する。敵の大将を相手に油断なき命のやり取りを行うのは、まだ思春期の最中にいるような、空のような青い瞳を持ったうら若き少女だった。
頭は武器を置いて少女の指示に従うと、戦場にいた者たちの視線の全てが少女の持つ短剣の先に注がれた。
「今すぐ刀を置いて降伏しろ!そうすれば命は奪わない、元来た方角に帰れ!お前たちの頭は討ち取ったも同然、今すぐ降伏しろ!繰り返す……」
少女のよく通る声が草原に響き渡る。短剣を持ったカザーニィの人々は目の前の敵に太刀を置くように促し、頭を討ち取られた甲冑の者どもは力なく武器を捨てて逃げていった。
その様子を確認した少女は短剣を引っ込めて岩の上に降りた。少し気の緩んだような様子で岩の上から周囲を見渡すと、その隙を窺っていた頭は咳き込む振りをして身を縮めた。男は甲冑の中に仕込んでいたナイフを静かに握りしめ、少女の喉元を鋭く睨んだ、その時だった。
「ごめんね。ちょっと刃が当たって首の皮を切っちゃったわ。少し血が出てたけど大丈夫?痛まないかしら」
そう言って少女は敵の頭の首を覗いた。ナイフと少女の喉元の距離が限りなく近くなる。
確かに少女の言う通りに血は流れていたが、怪我と言うにも大袈裟な程で、それでも少女は自分の身に纏う布の一部を切り取り、血の流れているところに当てて男に自分で持つように言った。
「はい、このままにしていれば帰り着く頃にはすっかり血が止まっているわ。国へ戻ったらカザーニィとは和解することになったと伝えてちょうだい。後日改めてそちらの王様に手紙が行くと思うから。あ、一応そのナイフもここに置いていってね。それじゃ、行っていいよ」
謝られた上に傷の手当までしてもらった頭は呆気に取られてしまい、自分でもよくわからないままにナイフを岩の上に置き、カザーニィの少女の言う通りに国の方角へと帰って行ってしまった。
「いやぁ、よくやったカズハ。またしてもこちらの死傷者はなし。流石はカザーニィの〝戦乙女〟だ」
先の戦中に楽器を吹き鳴らした大男・ダンゴは楽器を抱えたまま近付いてくると、剛毅に笑ってカズハと呼ばれた少女を褒め讃えた。
「もう、いちいちそう呼ぶのやめてったら。戦場で乙女なんて呼ばれても嬉しくないわ。それに、戦場では隊長でしょ」
カズハもそう言って笑うと、短く切り揃えられた黒く艶のある髪を風に払った。勝利を収めた一同は、曇りない顔付きで荷物を抱えて帰国の途に就いた。