あなたのお悩み、お茶屋の天使が解決いたしますⅡ ~学校編~
シリーズものの第二作目です。
感想などをいただけると嬉しいです。
新茶とは4月の下旬から5月の上旬に最初に収穫したものをさし、その時期に摘まれたものは実質いつまでたっても新茶である。
昔は八十八夜に摘んだものだけをさしていたようだが、冷蔵技術の発達などで時期が延びた。
今日は平日。
さて今日はどんなお茶を飲もうかな。
5月も後半になると緑が豊かになってくる。
「風薫る」の言葉通り若葉の香りまでしてくるすがすがしい天気。
お茶屋『一茶』の新茶もそろそろ終わりになってきた。
今日も朝から『一茶』からは2人の声が聞こえてくる。
「お母さん、最後の新茶ここに置いておくね」
「ありがとう、葉月。でも学校の用意はできてるの?」
「大丈夫だよ。ちゃんと準備できてる。お母さんこそ大丈夫?」
「私は平気よ。だって今日非番だもの」
「あっそっか」
葉月と葉月の母である美和子は顔を見合って笑いあった。
「じゃあ今日は私に任せておきなさい」
美和子は手を胸に置いて葉月に言った。
「うん。じゃあ、私は学校に行ってきます」
葉月は後ろに置いていた鞄を持った。
「気をつけてね」
「うん。行ってきます」
葉月と美和子は手を振り合って別れの挨拶をした。
そのまま葉月は店から出た。
葉月がいつもの通学路を歩いている知り合いの声が聞こえてきた。
「おー、葉月ちゃんじゃないか。おはよう」
「おはようございます、時雨さん」
声の方を向くと初老の男性が家の縁側から声が聞こえてきた。
葉月は方向を変えて時雨の元まで歩いて行った。
「まだ時間は大丈夫かね」
「はい。少し早めに家を出たので大丈夫です」
「そうかそうか。葉月ちゃんは偉いの」
時雨は頷きながら優しい顔で言った。
「そんなことないですよ」
葉月は少し照れながら返した。
「時雨さん、お茶ですか?」
「そうじゃよ。葉月ちゃんのところのお茶じゃ。『朝茶に別れるな』というからの。毎日の日課じゃ」
『朝茶に別れるな』とは朝に飲むお茶は1日の災いから守ってくれるため毎朝飲むべきだ。と言う意味でる。
「時雨さんがお茶を飲んでくれているのがなんだがうれしいです。私も毎朝お茶を飲んでます」
「ほほほ。それで葉月ちゃんは元気なんじゃの」
「そんな、時雨さんの方がお元気ですよ」
「はは、ありがとう。優しいの」
ほのぼのとした会話を2人は優しい顔でしていた。柔らかい日差しが二人を柔らかく照らした。
「あっそう言えば、そろそろうちの新茶がなくなりそうなんですよ」
「おー、そうかい。それじゃあ買いに行かねばの」
「今日ならお母さんがいますよ」
「ああ、美和子さんがおるのか。それなら今日行こうかの。ついでに少し話したいしの」
「お母さんも時雨さんと話せたら喜びますよ」
「それはわしもうれしいの。教えてくれてありがとう」
「いえいえ。こちらこそいつもありがとうございます」
2人は頭を下げてお礼をし合った。
「それでは、時雨さん。私はこれで。またゆっくり話しましょう」
そう言うと葉月は時雨の家の敷地から出ようとした。
「おおそうじゃ、葉月ちゃん」
それを時雨が呼び止めた。
「はい?」
葉月は振り返りながら返事をした。
「何事もやり過ぎは禁物じゃよ。『袖引き煙草に押し付け茶』じゃよ」
時雨は笑顔で言った。
「行ってらっしゃい、葉月ちゃん」
そして手を振って葉月を見送った。
それを見ると葉月はもう一度丁寧に頭を下げて、ふわりと足を動かしていった。
学校に行くとクラスにはすでに人がいた。
「葉月。おはよう」
席に向かう途中後ろから声をかけられた。
振り返るとそこには女子生徒がいた。
「紅葉ちゃん、おはよう。早いんだね」
「まぁね。ちょっと用があって・・・・・・」
紅葉が少し暗い顔をしたのを葉月は見逃さなかった。
「紅葉ちゃん、何かあったの?」
「えっ、いや、何でもないよ。はは」
紅葉は手を振りながら否定した。
「あっそう言えば、今日の三時間目って何だっけ?」
急な話題転換をした紅葉だったが、葉月はそれ以上聞かないことにした。
「三時間目は現代文だよ。『こころ』の続きだと思うよ」
「あの話面白いよね」
そんな高校生らしい会話をホームルームが始まるまで続けていた。
四時間目が終わり昼休みになった。
購買に昼食を買いに行く人、グループを作って昼食を食べる人様々である。
葉月はいつも通り紅葉と昼食を食べようとしていた。
「紅葉ちゃん、一緒にお昼食べない?」
紅葉の机の前に行って葉月は聞いた。
「ごめん、葉月。先食べてて。ちょっと用事済ませてから戻るから」
慌てた様子でそう言うと紅葉は席を立って教室から出て行った。
五分もしないうちに紅葉は戻ってきた。
その顔は朝に見せた暗い顔をしている。それが気持ちの表れであることは明白だ。
「どうしたの、紅葉ちゃん?」
聞かない優しさもあるのだろう。だが、友達を放っておけないというのも優しさである。
「うん、実はね、葉月」
心の奥ではこの気持ちを解放したいという思いがあったのだろう。葉月の優しさに話す気になたのだろう。葉月には人の心を開かせる優しさがある。
話を切り出した紅葉の声は少し震えていた。
「ここ1週間くらい秋人が口をきいてくれないの」
秋人は紅葉の彼氏だ。
「秋人がこの前まで浮気しててね」
これは葉月も知っていた。
しかしその後、和解して仲は戻っていたはずだ。
「和解したところまではよかったんだけど、やっぱり私心配になって秋人によく連絡を取るようにしたの」
葉月は黙って聞いていた。
「だってそうじゃない! 浮気されて心配するのは当然でしょ! だから秋人に何をしてるかとか、誰といるのかちょくちょく聞いてたの」
紅葉の目には涙が浮かんでいた。まだ流れてはいなかったが、いつダムが崩壊してもおかしくないほどの量だった。
「そしたら急にウザいとか、連絡してくるなとか言ってきたの。あげく別れ話も浮かんでくるようになって。でも私は秋人が好きなの。だから別れたくないって話そうとしたら避けられちゃって。どうしたらいいのか」
紅葉は下を向いた。髪が光りを遮って、顔を曇らせた。
「連絡だって、秋人が好きだから、大切だからしてたのに・・・・・・なのに・・・・・・なのに・・・・・・」
その目からはとうとう涙があふれていた。机に雫がストンと落ちて、粉々に砕け散っていく。
「ちょっと席外すね」
葉月は優しくそう言うと席を立った。
(ああ、葉月にも避けられちゃった)
紅葉は一人になった席で思っていた。
(私は一人か・・・・・・どうしてなんだろうね・・・・・・大切なものがどんどんなくなっていく・・・・・・もう、やだ)
紅葉はどんどん暗い世界に引きずり込まれていた。もう二度と光を見ることができないと思うほど深く、深く、沈んでいった・・・・・・
「紅葉ちゃん、お待たせ」
そこに天使の声がした。
紅葉が顔を上げるとそこには葉月がいた。
葉月は席に座るとまず紅葉にハンカチを渡した。
「紅葉ちゃん、これで涙拭いて。じゃないとせっかくのかわいい顔が台無しだよ」
そこに、からかいの色はなかった。あるのはただ優しさだけだった。
「ありがとう」
紅葉は葉月からハンカチを受け取ると涙を拭いた。
するとどこからか懐かしい匂いがしてきた。
「紅葉ちゃん、これでも飲んで落ち着こう」
葉月は水筒を持って何やら飲み物を注いでいた。
「それは?」
紅葉の涙は葉月のハンカチと水筒の驚きのよってもうすっかり止まっていた。
「緑茶だよ」
葉月は笑顔で言い、二人分のコップに緑茶を注ぎ終えた。
「緑茶・・・・・・」
紅葉は注がれたお茶を見つめていた。確かに澄んだ緑色をしたお茶が静かに波打っていた。
「うん。もっと正確に言うと、緑茶の中でも『かぶせ茶』だけどね」
紅葉は聞いたことのない名前にぽかんっとしていた。
「かぶせ茶って言うのはね、玉露と煎茶のいいとこどりのお茶なんだよ。玉露って言うのは被覆っていう茶樹を覆って日光を遮る育て方をだいたい20日間以上するんだよ。お茶のうまみのテアニンは日光に当たるとカテキンに変わるんだ。だから玉露はうまみが強いんだよ」
楽しそうにお茶の解説をする葉月を紅葉はただ呆然とみていた。
「そして、茶葉を蒸して揉んで作るのが煎茶。まぁ、玉露もかぶせ茶も収穫後は煎茶と同じ工程をとるんだけどね」
葉月は、「ははは」という感じで笑った。
「で、かぶせ茶って言うのが被覆の作業を1週間ぐらい行ったお茶のこと。玉露より短いってことだね」
「どうぞ」といった雰囲気で葉月は紅葉にかぶせ茶を差し出した。
紅葉は差し出されたかぶせ茶を一口飲んだ。
「美味しい・・・・・・」
率直な心の声が言葉として具現化した。
(緑茶ってこんなに美味しかったっけ)
紅葉は少し驚いていた。
「よかった」
紅葉が葉月の顔を見ると、本当にほっとした表情を浮かべていた。
「玉露みたいなすごいうまみはないけど、被覆をしてる分普段の煎茶よりもうまみは強いと思うよ。それに煎茶の爽やかさが加わってまさにいいとこどりのお茶だよね」
「そうだね・・・・・・」
(私と違ってみんなに愛されそう・・・・・・)
紅葉はかぶせ茶を眺めていた。秋人から避けられている自分とは大違いのお茶を眺めていた。
その表情を葉月は見ていた。そして、
「でね、お茶のうまみのテアニンっていうのは心をリラックスさせる効果があるんだよ」
「えっ・・・・・・」
紅葉は葉月の顔を見た。それが自分のためだということが言われなくとも理解できた。
そこには天使のような笑顔があった。
「紅葉ちゃんが少し大変そうだったから」
優しく、柔らかく天使の言葉を言った。
(私のために・・・・・・)
またもや紅葉の目には涙が浮かんできそうだった。
「それにね、紅葉ちゃん。お茶の花言葉って知ってる?」
「・・・・・・いや、知らない」
(って言うか、お茶の花ってどんなの?)
と心の中で思った。
それを見透かしたのか、
「そうだよね、お茶の花なんて余り見ないよね。お茶ってツバキ科ツバキ属の植物で花を咲かせるのは十月から十一月の下旬くらいかな。とってもきれいな真っ白なお花なんだよ」
葉月は楽しそうに説明した。よほどお茶が好きなのだろう。
「それでねその真っ白な見た目から花言葉は『純愛』。まさに紅葉ちゃんの恋心みたいだね」
紅葉はドキッとした。葉月が自分に寄り添ってくれたことが心に響いた。
「このお茶は二つの意味で紅葉ちゃんにぴったりなんだよ」
葉月は紅葉をまっすぐに見つめた。その目はお茶のように澄んでいた。
「このお茶は、私から紅葉ちゃんに贈る、紅葉ちゃんのためだけのお茶だよ」
そう言うとより優しく葉月は笑った。
紅葉の目には今にもあふれそうな涙があった。
「私はね、紅葉ちゃんの一途な思いってとてもきれいだと思う」
葉月は続けた。
「でもね『袖引き煙草に押し付け茶』って言う言葉があるの。お別れの時にお客さんの袖を引いて煙草やお茶でおもてなししても迷惑って言うところから、好意がかえった迷惑になることもあるって意味なんだよ」
紅葉はすでに泣き出していた。
自分でも心のどこかでことはわかっていたこと。
だが、肯定したくなかったこと。
「確かに1度裏切られて心配になっちゃうのもわかるよ。でも、パートナーを信頼するのも恋だと私は思うよ」
葉月は紅葉の手を握った。
「えっ」
紅葉は驚いた。先ほどから葉月は自分のしてほしいことをしてくれる、と思っていた。
葉月の手は温かかった。
葉月の心は温かかった。
「温度は高すぎるとだめなんだよ。お茶と同じで苦みや渋みが出すぎ過ぎちゃうんだね」
最後までお茶のことを持ち出す葉月に紅葉は笑った。
そのほおを流れる涙は最初の悲しさの涙からうれしさの涙に変わっていた。
紅葉はもう一度かぶせ茶を飲んだ。
「葉月、本当にありがとう。ありがとう・・・・・・」
紅葉の顔は涙と笑顔が入り交じっていた。
ただその顔はとてもきれいだった。
あの日から1週間が過ぎた。
あれから紅葉は秋人の元へ行き謝っていた。そしてこれからは秋人のことを信用すると誓っていた。
秋人の方は困惑していたが、元はと言えば自分の浮気が原因なので心配させてしまったことに対して秋人も謝っていた。
そして今はと言うと。
「紅葉ちゃん、今日も秋人君と帰るの?」
葉月は帰り支度をしている紅葉に話しかけた。
「うんうん。秋人は今日は後輩の女の子と帰るんだって。相談したいことがあるとかで」
紅葉は首を振って答えた。
「大丈夫なの?」
答えはわかりきっているが一応聞いてみた。
「大丈夫だよ。だって私たち信頼し合ってるから」
そう言うと紅葉は葉月の手をつかんだ。
「よし、葉月帰るよ!」
「紅葉ちゃん、ちょっと痛いよ」
おっと、と言う表情で紅葉は葉月の手を離した。
そして二人は笑い合った。
今回もまた天使が迷える子羊を救った。
さあ、次は誰の番かな。
ー完ー