05 ◆元英雄のおっさん、売上の減少に思い悩む◆
「むう……」
俺こと剣ヶ峯剣一は、目の前に突き出された書類に並ぶ数字をにらんで、難しげにこう言った。
「タカアキくん。売上の前年度割れ、これで六ヶ月連続だよ。何とかならないのかね?」
「……何を俺の責任みたいに言ってるんだ、この大バカ野郎」
俺の向かいに腰掛けるスーツの男……大学時代からの親友、明智孝明は、人差し指で眼鏡を直しつつ、苦言を呈してきた。
「俺はただの顧問会計士だ。会計データの入力、決算書や税務申告書の作成は俺の仕事だが、売上をどうにかするのは、所長であるケンイチ、お前の仕事だ!」
「……良いツッコミじゃないか。だが少々セリフが長すぎる。学生時代から変わらないな」
「誤魔化すんじゃない……ったく。それでよく冒険者事務所の所長が務まるな」
「所長つってもまあ、俺一人の個人事務所だからな」
プレイセーフ冒険者事務所。
それが、俺が所長を務める冒険者事務所の名前だ。
所在地は、東京某区の某駅から徒歩十八分の雑居ビル。家賃は……忘れた。家賃の金額なんていちいち覚えてられない。もう何ヶ月も払ってないからな。
まあとにかく、吹けば飛ぶような零細事務所、ってことだ。
あちこち革が剥がれている応接ソファ(何年も前にゴミ捨て場から拾ってきた)に寄りかかりながら、俺は言った。
「ぶっちゃけ、なんで個人事業にしなかったのかわからん」
「忘れたのか? 十年前、事務所って形にした方が仕事がもらいやすいって、俺のアドバイスに従ったんだろ?」
「……そうだったか」
「まったく……」
「タカアキ」
「なんだよ?」
「そういう風に、いつも的確なアドバイスをくれるお前がいなかったら、俺はここまでやってこれなかった……感謝してる」
「な、なんだよ急に改まって……まさか、お前もついに、事務所を畳む気になったのか!?」
俺がしんみりと言うと、タカアキは急に目を輝かせた。
「そうだよな! お前のユニークスキルは、ソロでは宝の持ち腐れだが、大手に行けば絶対に輝くからな!」
「え? なんでそうなるの?」そして俺はすっとぼける。「事務所は畳まないよ? それとこれとは別でしょ?」
「……だったらせめて家賃ぐらい払え! あと俺への顧問料も滞納するな! ひとまずは利益を出せ、利益を!」
「んなこと言ったってなあ……」
俺は改めて、ガラス張りのテーブル (ヒビ入り)から月次決算書を拾い上げて言う。
「いままで通りにやってるのに、なんで売上が減ってるのか、さっぱりわからん……」
「……会計士として言わせてもらうと、お前みたいな経営者は意外と多い」
なにやら、眼鏡を光らせ、やる気をみなぎらせているタカアキ。会計士の血が騒いでいるようだ。もしかして、早くこの話をしたかったからイライラしてたのかな?
「中小企業の経営者は、常に経営の最前線に立ってはいるが、むしろそれ故に、ゆっくりとした変化に気づかずに見過ごしてしまうことがある。そういう時は、データと数字の出番だ」
「もったいぶらずに早く言えよ」
タカアキはファイルケースから出した書類を机に並べる。
「売上は、売上単価と売上数量の積で算出される。冒険者業の場合、これは冒険一回当たりの売上と、冒険回数に当たる」
「当たり前だろ」
「その当たり前のことが見えてないやつが多いから、俺の仕事はなくならないんだよ……これを見ろ」
見ると、その書類に記されていたのは、俺の冒険回数と、冒険一回当たりの売上金額の推移だった。
「これは……」
「気がついたみたいだな」
「冒険回数はそのままだが……一回当たりの売上が、徐々に減っていたのか」
「その通り。元々、冒険一回当たりの売上は変動が大きい。そういう業種の場合、平均的な売上単価が下がっていても、見逃してしまう人はけっこう多いんだ。ところが、こうして分析してみると、一目瞭然になる」
「……」
普段はおちゃらけている俺も、さすがにこれには言葉が出なかった。見事な分析だと思った。
「きっと、歳のせいだよ」
と、タカアキは言った。
「若い頃と比べてすぐに疲れてしまったり、たくさんの戦利品を持ち歩けなくなったり……そういうことが積み重なって、数字に現われてるんだ」
「……」
「ケンイチ。お前だって、売上が下がっても構わない、とは思わないだろ?」
「ああ……」
俺には(家賃を払う気はないが)金を稼がなければならない理由がある。
別に、目のくらむような大金でなくても構わない。
けれど、できるだけ多くの金額を、俺は稼ぎたい。
「タカアキ……教えてくれ」
「おう」
「売上の落ち込みを食い止めるには、どうすればいい?」
「簡単なことさ」
タカアキはこう言った。
「若い従業員を雇え……そいつに荷物持ちをさせて、お前は体力を温存すればいいんだ」
「それじゃ、売上は上がっても、利益は減るんじゃないのか?」
「そのあたりもちゃんと計算してある。新規採用によって売上が元の水準まで回復すると仮定した場合、月の人件費が手取り16万までなら、利益は増える」
「手取り16万か……未経験の新人しか雇えないな」
「まあ、そうだろうな。もちろん、採用した新人が活躍してくれて、売上アップに貢献してくれるなら、もっと高い給料を払えるが」
「……」
俺はしばらく考え込んだ後で、こう言った。
「やっぱやめよう。新人を雇うのはナシだ。利益がちょっと減るぐらい、構わないだろ」
「おい、ケンイチお前!」
タカアキは、今度は本気で怒っているようだった。
「このままじゃ、利益どころか赤字に転落だぞ! そうなったらさすがのお前も、事務所なんか続けていけない。
……『あの金』を削る気はないんだろ?」
「ああ、ない。」
「……その上、大手に移る気もないんだったら、これからどうする気だ。
まさか、三十過ぎて異業種に転職とか言わないよな? ロクな仕事なんかないぞ?」
「……勘弁してくれ、タカアキ」
「なっ……」
タカアキは、俺の声の調子に、ただならぬものを感じ取ってくれたようだった。
さすが、付き合いが長いだけのことはある。
けれど、そんなタカアキも、忘れることはある。
だから、俺は思い出させてやるために、こう言った。
「若いやつが死ぬのは、もう見たくないんだよ……」
「ケンイチ……」
俺はその時、心の中で「……フッ。我ながら良いセリフ、良い演技だ。黙らせてやったぜ。俺カッコイイ……」などと悦に入っていた。
ところが、である。
しんみりした空気をぶち壊しにするかのように、事務所のドアが、ガンガンと叩かれた。
「すいませーん! 新人採用って、やってませんかー!?」