35 ◇中卒、向上心に目覚める◇
翌日は、事務所で事務作業や装備の手入れだった。
我らがプレイセーフ冒険者事務所では「安全第一」がモットー。
疲れた身体で冒険に出るなんてもってのほかで、冒険は原則として月・水・金の週三回と決められている。火・木は装備の手入れやアイテム補充のための買い出し、そして事務作業にあてられるのだ。
ホワイト。
うん。
零細冒険者事務所としては、滅茶苦茶ホワイトな職場環境だった。
何度もしつこいようだけれど、中卒の私なんて、本当なら毎日クタクタになるまでこき使われるのが当たり前。
ケンイチさんの前からの習慣に、私も合わせてそうなっているだけとはいえ、本当にありがたいことだった。
だから、アイテムの買い出しなんてパシリみたいな仕事でも、私は喜んでやるのだ。フフッ♪ 私って良い子だなあっ!
「うん……全部合ってるな。ご苦労」
「はーい♪」
私は買ってきた消耗品のチェックを受け、手渡されていた現金を精算した。
「あとは何をすればいいですか?」
「ナイフの手入れ、事務所の掃除……それが終わったら、走り込みにでも行ってこい」
「はーい」
走り込みは、近頃ではすっかり私の日課になっている。
万が一、強いモンスターに負けて逃げなければならなくなった時、生死を分けるのは長距離走の能力だ……という理由で、ケンイチさんは、冒険がない日は軽めの走り込みをするよう私に命じている。強制はできないが、できれば休みの日もやれとも言われていて、私はそれも実践している。
仕事のために身体を鍛えていると、学校の体育とは違って、なんだか不思議な気持ちになる……身体を鍛えたおかげで、日々の仕事が楽になっているのを感じるのは、なんというか……誇らしい気持ちだ。
……充実している。
そう。
入学許可を取り消されて中卒になったあの日……どん底の生活に転落するかもしれないという恐怖に怯えた、あの日の自分からは想像もできないほど、いまの私の人生は充実していた。
本当に、ありがたいことだ。
……と、言ってもねえ!
人間っていうのは、実に業の深い生き物で……何かを手に入れると、もっと上の何かを貪欲に欲しがるものだ。
私の場合、それは給料である。
昇給である。
我らがホワイト上司のケンイチさんも、さすがに、相場より高い給料をくれるほど甘くはない。
よって、私はいま最低賃金で働いている。
おまけに私は常時雇用に当たるので、給料からはしっかりと税金と社会保険が引かれる。
所得税・健康保険・雇用保険・年金 (ジャンル変更の時はなかったことにされたくせに厚顔無恥にも復活しやがったのである)が引かれるのはもちろん、冒険者の場合、労災保険料の負担がかなり重い。
普通、労災の保険料というのはかなり格安だ。労災保険を使う人なんて、日本ではほとんどいないからである。
しかし冒険者は、仕事中に死亡したり、重い障害を負うリスクが、普通の仕事より格段に高い。
そうした理由から、冒険者は保険料が高い特別の労災への加入を義務づけられている。
おまけに、普通の労災が全額会社負担なのに対して、冒険者向け労災は一部が本人負担となっているのだ。
で、諸々引かれた後での私の手取りは、十五万円を大きく下回る。
いまの給料では、借金を返して実家にお金を入れると、自分のために使えるお金がほとんど残らない。
ギリギリ、日々の飲み物、軽食、お菓子などがまかなえる程度で……たとえば、服を買うお金がない。
服を買うお金が!!!!! ないのである!!!!!!!
年頃の女の子にとって、そんなことがあっていいのであろうか!?
……いや、服を買うお金がない女なんて最低だ、という意味では決してなくて……要するに、私はお金が欲しい、ということである。
とは言え……正直なところ、週三回の冒険では未だに助けられてばかりで、週に二回はお使いぐらいしか仕事がなくなる私が、最低賃金しか受け取れないのは、ある意味で正しいと認めざるを得ない……。
っていうか、今みたいにヒマな時間が多い状態が続くとしたら、ある日突然「お前、来月から週三日勤務な」って言われるかもしれないという恐怖に怯え続けなければならない。
そうなったらマジでシャレにならない。かけ持ちでエ○コーだかパ○活だかやんなきゃならなくなる。
となると……何か、新しい仕事を覚えるしかないのだが……
……よし、この手で行こう、と決心した私は、事務所の掃除を一通り終えると、手早くコーヒーを入れた。