31 ― 中卒の覚醒 ―
◆
数時間後、周囲の森を覆っていた炎は、自然鎮火した。
「……さあ、火は消えたぞ! 出てこいよ!」
別に、そのエンジェルの声に従ったわけじゃないが……俺とアカリは、並んで歩いて洞窟を出て、無数の黒い影と対峙する。
焼け落ちて真っ黒になった森に、半円を描くように散らばる、白い歯を剥き出しにした黒い影たち。
遠くの方の空は、明るく、赤く染まっていた。そちらではまだ、火災が続いているようだ。
その光景を前に、俺の横にいるアカリは……震えていた。
本当に、奥歯をガタガタと、俺の耳に届くほどに激しく震わせていた。
「集中しなきゃ、集中しなきゃ、集中しなきゃ……集中しなきゃ……殺されちゃうよお……!」
そんなアカリを見て……俺の気分はまたしても、不思議と穏やかだった。
「アカリ……」
「は、はい!」
「昨日のお前の言葉……正直、ガツンと来たよ」
「は、はあ!? こんな時になんですか!?」
「まあ聞けって……そうだよな。いくら命は大事っつっても……お前みたいに、覚悟を決めて道を選んできた若者に対して、俺みたいなおっさんが、とやかく言えることはないよな」
「な、なんですかそれ! 『死ぬ覚悟は出来てたはずじゃないか』って、バカしてるんですか!? こんな時に!?」
「いや、そんなつもりは……ああ、いまの流れだと、そうとしか聞こえないか……まあいい。こっからが本題だ」
「だから、なんなんですか……!?」
「アカリ……一つだけ、俺に約束してくれ」
「……?」
俺は言った。
「俺のためじゃない」
「家族のためでもない」
「ましてや、国家のためや、世界のためなんかじゃ、絶対にない」
「……もちろん、結果として、お前のやったことが、周りのためになることはあるだろう」
「それでも……根本的なところは違う」
「お前は、お前のためだけに戦え」
「お前の命は、お前のためだけに燃やせ」
「その一つだけを……俺に、約束してくれ」
「……」
アカリは、一時、恐怖をも忘れたのか……キョトンとした表情で俺を見返して……そして、俺の気持ちの重さとは正反対に、事も無げにこう言った。
「はい……っていうか……元々、そのつもりでしたけど?」
「そうか……」
俺はそう言って、おもむろにアカリの肩に手を置いた。
別に、俺のスキルは、接触が発動条件だったりするわけじゃないのだが……この時は、そうするのが良い気がした。
そして、俺はそのスキルの封印を解いた。
十一年前、とある理由から、もう二度と、絶対に使うまいと決めていた、そのスキルを……俺は使った。
「アカリ……」
「大丈夫だ」
「お前なら、できる」
「……戦え!」
「命を燃やせ!」
「全てを……お前の、思うままに!」
俺のユニークスキル……それは【偉大なる鼓舞】。
その効果は……鼓舞する声を聞いた者の戦意を極限まで高め、同時に、能力値を大幅に向上させること。
◇
……不思議な、感じがした。
力が……無限に湧いてくる感じが……した。
◆
「何をゴチャゴチャと!」
その瞬間、しびれを切らしたエンジェルが、一斉に身構える。
「死ね!」
タイミングを合わせて飛びかかってくる、数百もの黒い影。
それに対して……アカリはおもむろに、正面に向かって手をかざした。
「炎鷲よ!」
……次の瞬間に起きたそれを、俺は、何と表現すればいいのだろう?
機関銃?
それとも、流星群?
流星群は、悪くない……でも、まだ足りない気がする。
だってその、赤い光の洪水は……俺が見てきた、どんな光よりも、強烈なものだったから。
アカリの周囲から、翼長一メートルほどの巨大な火の鳥が、次々と、瞬き一回する間に数百も生まれ……目にも留まらぬ速さで飛翔し……
とっさに身をよじって避けようとした黒い影を、見事に追尾して、片っ端から撃ち落として行って……
一瞬にして、全て薙ぎ払ってしまったから。
「な……!」
「え……?」
「あは……!」
俺も、エンジェルも、そして当のアカリも……一瞬、何が起きたのか、わからないようだった。
いや……アカリだけは、わかっていたのか。
アカリだけは……笑っていたから。
「私って……こんなに強かったっけ?」
「……あははっ!」
言いながら、笑みを浮かべたままて、アカリは射撃を続けた。
最初の勢いそのままに、光の洪水と化した無数の火の鳥を、自由自在に使役して、次々と影を撃ち落としていく。
「ケンイチさんの言葉、不思議!」
射撃の勢いを止めないまま、アカリは言っていた。
「力が……力が湧いてくる!」
「クソッ!」
その時、エンジェルが悪態を吐きながら、垂直に上昇していくのが見えた。
逃げるのかと思ったが、そうではなかった。
「これなら……どうだッ!」
エンジェルは空中で、また膨張し、分裂した……どうやら、遮るものがない空中の方が、より速く増殖できるようだ……一度減らした数が、また回復してしまう。水平線を埋め尽くすほどの数。
だが、それでもなお、アカリの戦意は衰えなかった。
「炎龍よ!」
アカリがそう唱えると、彼女の真下の地面が赤く発光し……次の瞬間、一体の細長い炎龍が、甲高い咆哮と共に、天高く昇っていった。
よく見ると……その炎龍の背には、なんとアカリが立っている。
……『炎歩き』だ。
フレイムウォーカーの靴を利用して、アカリは炎の龍の背に立っていた。
そうして、首をもたげた炎龍の背に乗って、アカリはエンジェルの大群と、ほぼ同高度で対峙する。
「クッ……!」
たじろいだような声を漏らすエンジェルに対して、アカリは言い放った。
「それが、あなたの本気なんだね……じゃあ、私もこれを出すよ!」
「<炎の万華鏡>!」
言い終えた瞬間……アカリの頭上、夜空一面を覆う円盤状に、一斉に、数千体もの火の鳥が出現する。
「なっ……!?」
無数の火の鳥が、夜空を昼間のように明るく照らし……一体一体が独立した意志を持って、円周状に旋回している光景は……まさに<炎の万華鏡>だった。
その赤い輝きを受けて、白くて光沢のあるアカリの外套は、真っ赤に染まり……まるで、龍の背に乗るアカリが、別人のように美しく、神々しく見えた。
……もちろん、それだけの絶技が、ただの観賞用であるはずもない。
この後には……あの無数の火の鳥による、一斉攻撃が待っているはずだった。
「な、なんで……?」
アカリの、そのあまりの圧倒的な強さを前に、そう口にしたのは、むしろ俺の方だった。
確かに俺は、自分のユニークスキルの絶大な効果については、よく知っている。
しかし……ここまでの強さは、俺のスキルだけでは説明がつかなかった。
アカリの、迸る才能のきらめき……確かに、それもある。
だが、それでもまだ足りない。
「一体どうやって……一体どこで!? スキルを自在に操る技術を身に着けたんだ!?」
◇
ふふふ。
お答えしちゃいます。
それは……お父さんとお母さんのおかげです。
……私のお父さんとお母さんは、私のユニークスキルと、私の夢を知ると、「才能を伸ばすためだ」と言って、休みのたびに私を旅行へ連れて行ってくれました。
それは、誰もいない、誰にも見られない秘境に行って……私に、思う存分にスキルを使わせてくれるための旅でした。
人里離れた山奥で。
無人島で。
海の真ん中、船の上で。
私は思う存分、スキルを使いました。
無数の炎の鷲を操って。
ドーンって、大きな炎の龍を呼び出して。
私がそうすると、お父さんとお母さんは、いつも笑ってくれました。「すごい才能だ」って言って、はしゃいで、喜んでくれました。
完全に違法だから、ケンイチさんも含めて、絶対に誰にも言えないことだけど……
でも、私にとっては、本当に本当に、嬉しい思い出です。
……もしかしたら、あの旅行に行くのにも、借金を重ねていたのかな?
だとしたら……お父さん、お母さん。
本当に……どうもありがとう。
……お父さんとお母さんだけじゃない。
会計士のタカアキさんも、優しいミナモおばさんも。
ナイフを売ってくれたジンさんも、外套と靴を売ってくれたイトヌキさんも。
そして何より……上司のケンイチさんも。
本当に本当に、色んな人の助けがあって……私はいま、ここに立っています。
だから。
私はいま、私の最初の就職先のモットー……『命を大事に』を果たすために。
……みんなからもらった力を、使います。
「……いっけえええええええええええええええええええええええええ!!!!!!」
◆
アカリの叫びと同時に、円盤状に展開した無数の火の鳥が、一斉にその向きを変えて、解き放たれた。
光の筋となって、怒濤の勢いで次々に影に向かって突進し、対消滅していく火の鳥たち。
明らかにそれは……影が増殖する勢いを、上回っていた。
影は、その数をみるみるうちに減らしていく。
「クソッ……だったら!」
その時、影が一斉に動き出した。
◇
それまで、私たちを取り囲むように円周上に散開していた影たちは、急に密集したかと思うと、巨大な団子のような形になった。
その団子に対しても、私は火の鳥による攻撃を続ける……だがここに来て、影の増殖する速さが、私に倒される速さを上回ってきて、黒い団子が少しずつ大きくなり始めた。団子の表面は削れても、内側にいる敵に攻撃が届かないのだ。
「やばいっ! このままじゃ押し負ける……どうしよう……!」
と、そこで私は、昼間ケンイチさんに教わったことを思い出す。
「分断して各個撃破!」
そこで私は、火の鳥に交えて、一頭の炎の鯨を繰り出した。垂直に上がった鯨が身をひねって急降下し、黒い影が集まって作る球を、真っ二つに割るように斬り込む……たまらず、影たちは二手にわかれて回避した。鯨は的を外す……でも、これで分断できた!
私は、二つに分かれた球の両方に対して、火の鳥を殺到させる。今度は一転して、二つの団子は急激に小さくなり始めた。球が分かれたことにより表面積が大きくなり、受けるダメージが増えたのだ。
「あははっ! 覚えましたよケンイチさん! これが各個撃破ですね!」
私は笑いながら、影にトドメを刺すべく、さらに攻撃を集中させた。
◆
「ヤ、ヤバイッ!」
その時、負けを悟ったエンジェルが、一斉に逃げ始める。
まずい。取り逃がせば、きっと別の冒険者が食われる。
「逃がすな!」
「逃がさない!」
俺とアカリが言ったのは、ほぼ同時だった。
瞬間、逃げるエンジェルたちの頭上からも、無数の火の鳥が次々と現われて、光の雨のように、その頭上に降り注ぐ。
「ウソだろ!?」
エンジェルの、そんな悲鳴が聞こえたと思った、数秒後……
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
結局……断末魔の叫びを上げたのは、俺ではなく、ヤツの方だった。
それと同時に、夜空がまばゆい白い閃光に包まれる。
……その閃光が晴れ、元の夜空が戻った時……周囲の空間を、数多くの青い輝きが舞っていた。魔石だ。親指大の魔石が、雪のように、俺たちの周りに降り注いでいた。
俺は知っている。それは、ダンジョンボスなど、強力なモンスターを倒した時に起こるのと、同じ現象だ。
俺たちは……勝ったのだ。
「……ふー………………」
ほっとして、安堵のため息をついた俺の前に……龍の背に乗った女の子が、颯爽と降り立ってくる。
「ね? ケンイチさん?」
その女の子は、明らかに、完全に調子に乗っていて……腰に手を当てポーズを決めて、挙げ句の果てに、ウインクまでして……俺に言ってきた。
「私、天才だったでしょ?」
「……」
俺は、それに対しては何もコメントせず……代わりに、アカリの元に歩み寄って、その頭を、自分の胸にかき抱いた。
「わっ!? ちょ、何するんですか!」
「アカリ……ありがとうな……生きててくれて」
「へ……?」
「本当に、ありがとう……生きててくれて……」
「……」
アカリは、かなり不思議そうな様子だったが……しばらくの間、何も言わないでいてくれた。
……それが、祈るだけで無数の炎の獣を呼び出し、自在に使役する姿から、後に<炎の聖女>と呼ばれて伝説になる不知火灯の……それはそれは、鮮烈なデビュー戦だった。