19 ◇中卒は異世界に旅立つ……蒸気機関車に乗って◇
窓から頭を引っ込めた私は、おっさんの視線に気づく。
「……何をニヤニヤして見てるんですか?」
「いや? ただ、昨日のスーパーカーお嬢ちゃんはどこへ行ったのかな、って思って」
「だ、誰がスーパーカーお嬢ちゃんですか!」
「スーパーカー(笑)。だいたいお前、乗ったことあんのかよ?」
「あります~小さい頃お父さんの社長仲間にランボルギーニに乗せてもらいました~」
「……え? マジで?」
「マジで~す」
「……」
おっさんは黙った。ランボルギーニ強えな……確かあの社長、経費で落としたはずだったランボルギーニが税務調査で引っかかってメチャクチャ怒られて、ドカーンと追徴課税されて泣く泣く愛車を手放さざるを得なくなったんだけど、それは黙っておこう。
『……異界新宿線異界行き、七番ホームより発車します……』
なんてバカなことをやっている間に、発車のアナウンスが流れてきた。私はゴクリと生唾を飲むが、ケンイチさんは足を組んで余裕の表情だ。
『当列車は発車直後にポータルを通過します。着席してお待ちください。お立ちのお客様は、転倒にご注意ください』
アナウンスと甲高い汽笛の後、重厚な駆動音と共に、列車がゆっくりと動き出す。
「ほら、よく見ておけよランボルギーニ……目を閉じるなよ? これからは、これがお前の日常なんだからな」
ケンイチさんがそう言ったので、私は目を閉じてやり過ごすわけにも行かなくなった。
そして、その時はやってきた。
私にとっては向かい側、ケンイチさんにとっては背中側の壁一面から、水が染み出すような感じで、波打つ鏡面が染みだしてくる。
そのまま、ケンイチさんは背中からポータルへと飲み込まれていった。
それを見て私は息を呑んだが、目は意地でも閉じなかった。
そして……鏡面が視界いっぱいに広がり、私が、目の前にいる波打つ自分自身とキスするような格好になった、次の瞬間……全てが暗闇に包まれて……
気がつくと、私はまた、客車の中でケンイチさんと向き合っていた。
「な……」
私は、いつの間にか止まっていた息を、ふうっと吐き出した。
「なんでもないじゃないですか! もう……!」
「なんでもない? どうかな……窓の外を見てみろ」
「え……うわあ!」
言われて、窓の外を見た私は、この日二度目の歓声を上げた。
ポータルを抜け出てしばらくは、都会の街並みが続く……ただし、新宿とは似ても似つかない街だ。木造や石造、レンガ造りの低層建築が建ち並んでいる。検疫の問題があるため、建物は現地で手に入りやすい建材によって造られているのだ。
列車はすぐにその街並みを抜け、城門を通って、草原へと出た……大草原だ。地平線のところでかすんで見えなくなるまで、ずっと緑色の草原が続いている。ところどころ、馬とか牛とか羊とかが、群れをなして草を食んでいるのが見えた。ジャンル変更後の混乱期、まだ検疫とか言ってる余裕がない時代に、異世界に連れてこられた家畜の末裔だ。
そんな大草原を、私たちを乗せた蒸気機関車は、煙を吐きながら駆け抜けていく。現代の日本ではあり得ない風景。こんな景色がこの世にあったのか、とさえ思わせる。
いや……もうここは、この世じゃないんだよな、と私は思う。
「ようこそ、異世界へ」と、ケンイチさんは言った。「……まあ、誰も歓迎なんか、しちゃくれないだろうがな」
「はい……でも、そんなの関係ないです」
「は?」
私は、窓の外の光景にかじりつきながら、笑顔でこう言った。
「私……こういう通勤なら、毎日でもしてみたいです!」