ミガサの失策
ミガサの手腕は相当のもので、計画を立てたその日の午後には、ケルベロスの死骸を3匹とも引き連れてきた。
村に入ろうとしていたところを発見し、一撃で仕留めたとミガサは話した。
ミアと凛を狙ったケルベロスだろうとのミガサの主張に、異議を唱える者はいなかった。
「…………」
ルビィだけは、寂しそうに膝を抱え、落ち込んでいた。
顔を合わせた際に、夜いきなり姿を消したことそして心配をかけてしまったことを心より謝罪したが、ルビィは乾いた笑いを見せるだけで、元気が無さそうだった。
◆◆◆
「はっはっは。メソメソしてどうしたんだいマイフレンドルビィ」
凛の謝罪を受け流したルビィは、騒がしい友人の襲来に、あからさまに溜息を吐いた。
落胆の原因であるミガサを見やり、ギロリと睨みつける。
昨晩はイケイケと勧めたくせに、その翌日にこうしてチャンスを奪うとは、どういう了見なのだろうか。
「人の気持ちを焚きつけたと思ったら、今度は邪魔するような真似をして。……ミガサさんは私を、からかっているんですか?」
「昨夜の件については、素直に謝っておくしかないな。……正直言って、ボクは彼のことを舐めていたよ」
肩を竦めるミガサに、ルビィは眉を顰める。
彼女がこうして自分から非を認めるのは、珍しいことだ。
「彼の実力は本物だね。朝ちょっと話してみて分かったけど、ルビィがゾッコンだったのが理解できた気がするよ」
「まさかミガサさんも、リン殿のことを……」
「そうしょげないでよ、ルビィ。ボクは彼をそういう目で見てないから」
どうどうと宥めるミガサに、ルビィは疑いの目を向ける。
「ミガサさんもリン殿に惚れたから、自分の実力を見せつけるようなことをしたのではないんですか?」
「ボクだったらそんな遠回しなことはしないよ。もし彼に惚れたなら、昨日言ったみたいなことを真昼間に村民みんなの前でして『この男はボクのものだから手を出すな!』って叫びまくるかな」
身体を前後に揺らし、下品な笑いを零すミガサ。
彼女なら本当にやりかねないなと、ルビィは思った。
「でも私は、それすらもう出来なくなってしまいました……。リン殿と過ごせるのも、今日が最後。短い夢でした」
「ボクが振った時も、こんな風に落ち込んでくれたのかい?」
「……いえ、あの時も落ち込みましたけど、ここまで絶望的ではなかったかもしれません」
多分それは、凛ともう一生会えないのだろうと、本能が理解しているからだろう。
ケルベロスをともに退治した。ただそれだけの経験しかないのに、ルビィの中で凛という存在はかなり深く刻まれている。
それはきっとサロンギアの狩猟者である以上に、彼に対して運命のようなものを感じたからなのだろう。
「ボクはね、ルビィ。せっかく運命の相手を見つけたきみに、これ以上傷ついてほしくないだけなんだよ」
「それならケルベロスを退治したことを、黙っていて欲しかったです」
「ノンノン。それじゃダメなんだよ。いいかい、ルビィ。あの男の子が滅茶苦茶に強いっていうのは、第5狩猟隊隊長のボクが認めているんだ。それは同時に、サロンギアの狩猟者全てが、彼を強いと認識するということ。それは分かるよね?」
ルビィは黙したまま首肯する。
サロンギアの村で最強の狩猟者ミガサが認めるのなら、他の狩猟者が異議を唱えるとは考えにくい。
「今の時点で、彼の戦う場所を目撃したのは――ルビィとミア、二人だけだ。ミアはまだ幼いから、きみのような本能を揺さぶるほどの情熱は覚えていないはず。いくら女の子とはいえ、肉体がまだ準備出来てないからね。それは仕方がないことなんだ」
話が逸れたね、とミガサは咳払いする。
「このまま彼が村に永住し、その類稀なる戦闘技能で活躍する場所を――他の狩猟者たちも目撃したら、どういうことが起こると思う?」
「……皆が、リン殿にベタ惚れに」
「まあ全員が全員ルビィみたいな娘ではないだろうし、異性の魅力ってのは他にもいっぱいあるんだから、盲目的にあの男の子を追い求めるってこともないだろうケド――っと、おっと。別にボクはきみが直情的だと馬鹿にしているわけではないんだよ?」
言われなければ気にしなかったのにと、ルビィは半眼になる。
「つまりボクは――きみを幸せにするために、彼を村から出すことにしたんだ」
ミガサは胸の下で腕を組み、自信満々に鼻息を零す。
「危険だから護衛するとか何とか言って、無理やりでも彼に付いていけばいい。昨日も言った通り、旅人は女に飢えてるから、道中ずっと傍にいればどうあってもルビィを意識しないといけなくなる」
「…………」
「ヒョロいしパっと見頼りないけど、アレでもちゃんと付いてるだろうしね。きっと我慢できなくなれば、男の子の方から求めてくれるはずさ。……痴女みたいなことはしたくないルビィでも、あの男の子をモノに出来る」
ミガサの言い分は分かる。
しかし――。
「リン殿に付いていくなど、出来ません。私はこれでも、第3狩猟隊の隊長です。いくら惚れた男のためとはいえ、村から出るわけにはいきません」
「隊長の立場とあの男の子。ルビィにとって、どっちが大切?」
「隊長の立場に決まっております。サロンギアの村で生まれ、サロンギアの村で育った。村を守るために全力を尽くすことこそが、私にとって何よりの生き甲斐です」
ミガサは顔を上げ、しまったなと小さく零す。
彼女は昨晩、部隊長の座を引き渡すとき、自分は嫁入りをするだろうといった。
つまりミガサは、部隊長の立場よりも、自分より強い男と結ばれることを強く望んでいるのだ。
しかしルビィは違った。強ければ異性だろうが同性だろうが惚れるルビィだが、自分に科された使命と将来的に求める幸せとは、まったく別のベクトルで考えていたのだ。
「……やられたな。暗殺部隊の部隊長が、交渉なんて慣れないことをするものじゃない」
動揺を悟られぬよう普段通りの堂々とした笑みを浮かべつつも、ミガサは頭を抱えたい気分だった。
「ルビィの覚悟は分かった。……ボクは、ルビィを誤解していたみたいだ」
座り込んだルビィから離れ、ミガサは額に手をやって長い息を吐いた。
「ボクの魅力を駆使してでも、彼を引き留めておくべきだったかなあ……」
沈み始めた太陽を見やり、ミガサは眩しそうに目を細める。
「ルビィの言う通り、彼の戦いの才能は、ぜひこの村に欲しかったんだけどな……」
◆◆◆
村長に村を出ることを伝えると、名残惜しそうにしつつも、意外と容易に了承してくれた。
村の掟で恩人をもてなすことは定められているが、過ぎたもてなしは迷惑になる故に、恩人が拒否した場合はいつでも止めるのが慣例なのだとか。
「機会があったら、いつでもいらっしゃってください」
固い握手をして別れた凛は、ついでに一番近い国がどこにあるのか、情報を収集することにした。
「――で、私のところに来たのか」
「ええ、お騒がせしてばかりで、申し訳ないんですが」
ようやく立ち直ったのか弓矢を背負い出かけようとしていたルビィを見つけ、声をかける。
泣き腫らした目のまま、彼女は親切に凛の質問に答えてくれた。
「ここから7の方向へ真っ直ぐ行くと、アルバトロスという国がある。昔狩猟者の仲間たちと行ったことがあるから、間違いないはずだ」
「へえ、歩いてどのくらいですか?」
「さあ? 寝ずに歩けば10日くらいで着くんじゃないか?」
さらっと物凄いことを言われて、凛は思わず、目の前にいる人間を二度見した。
「そこが一番、近い国ですか……?」
「この辺一帯はフロンドロイアの大森林で埋め尽くされてるからな。……というか旅人なら、知ってて通ったのではないのか?」
ルビィ曰く、ここ一帯はフロンドロイアという巨竜が管理している大森林の一部で、「竜」の所有物とされているらしい。
どこの国も所有権を明示できず、昔年から続く一部の部族のみが、ここで暮らすことを許されているのだとか。
ちなみにサロンギアの村人たちは、竜に認められた部族の末裔なのだとか。
「下手な国より領土は広いし、森林内を抜けるだけなら通行税などもかからないから、行く当てのない旅人なんかはここを通り抜けることが多いのだ」
「管理はどなたがなさってるんですか?」
「竜がしているに決まっているだろう。実際には、竜が生み出したしもべのワイバーンが、上空から部族以外の永住者がいないかどうか見張っている」
凛のように一個人での旅人は、ワイバーンも見逃してくれるらしい。
しかし森を切り開き生活拠点を作ろうとすると、ワイバーンは勿論さらには周辺に村を持つ部族たちが現れ、制裁を加えることになるらしい。
要は竜の広い心で、個人の通行だけは認めてくれているということだ。
「領地争いが起きないっていうのは、そういうことだったのか……」
「どうする。村を出るのはやめておくか? 永住の盟約を結べば、リン殿をサロンギアの村民として認めて貰えるぞ」
村民が大森林の外に出る際は、ワイバーンが連れて行ってくれるらしい。
つまり凛が村民として認められれば、いつでも他国へ赴くことが出来る。
さらにはワイバーンが心を許した種族として、フロンドロイアの住民であることはすぐに分かるため、異国での身分証明書なども簡単に作成して貰えるらしい。
「…………」
しかし凛は、まだこっちの世界に永住すると決めたわけではない。
元の世界に戻る可能性だってあるし、今のように夜だけ自宅に帰る暮らしを続けると考えると、盟約や契約といったものをそう簡単に結ぶのはどうかと思う。
「距離に関しては、まあなんとかなるか」
凛の瞬間移動は、少なくとも地球の裏側までなら一瞬で行ける。
着地点の正確性さえ犠牲にすれば、異世界にすら到達できる。
概算とはいえ、歩いて10日程度の距離なら問題なく移動できるはずだ。
「ありがとうございます。参考になりました」
頭を下げてお礼を言うと、ルビィは言いにくそうにしつつも、モジモジしながら口を開いた。
「なあ、リン殿よ。多分リン殿が思っているより、アルバトロスまでは歩くとかなり遠いぞ。ワイバーンなら、2日とかからず行ける。異国に用があるのだとしても、大森林の永住権が足枷になることはない。これも何かの縁だ。サロンギアで、一緒に暮らさないか?」
「機会があれば、いずれよろしくお願いします」
まだこの世界の全容も把握していない状況で、最初に降り立った地が最良であると判断するわけにもいかない。
凛は手を振ってその場を後にして、出発の準備を始めにかかった。