狩猟者の本能
村長への挨拶を終えた凛は、ルビィの家のすぐ近くにある空き家の使用を認められた。
サロンギアの村長はとてもいい人で、興奮しまくし立てるルビィを窘めることもなく、にこやかに話を聞いてくれた。
村民たちもいい人ばかりで、ここで暮らすことになっても、それはそれで幸せな生活が待っているかもなと、期待できる雰囲気である。
「何か不都合なことがあったら、遠慮なく言ってくれ。夜でも誰かしらは起きているから、その辺りに関しては安心してほしい」
「ありがとうございます。何から何まで、助かりました」
「気心の知れない狩猟者に声をかけるのが嫌なら、私を起こしてくれればいいからな。寝てるかもとか、気にしなくていいから。リン殿のためなら、すぐに駆け付けるから」
最後まで面倒を見ると約束し、ルビィは自宅へ戻っていった。
扉の代わりにかかったのれんを下ろし、凛は寝る準備を始めたのだが――。
「ムシロはカビてるし、枕はゴワゴワだし……何より小さい虫がムワンムワン飛んでて、眠れやしない」
現代日本の衛生的な日常が当たり前になった凛には、森林で生活する開拓者たちの住居は、想像以上に居心地の悪い場所だった。
用意して貰ったものにケチをつけるとは罰当たりだが、文化の違いを許容出来ない以上、ここでの生活は凛にとって最悪と評するしかないようだ。
「トイレも不衛生だったし、飲み水も不潔だったしな……。そりゃ、それが当たり前の世界観なんだろうけど」
無菌室の如き現代日本で生きてきた凛では、5日もいれば病気になってしまいかねない。
晩餐の主役もケルベロスの肉だったし、心なしか胃腸が不快を訴えているような気がする。
「……背中いてーな。それに隙間風が首筋に当たってつらい」
枕の中からワシャワシャと不穏な音が聞こえ始めたあたりで、凛は堪らず寝床から起き上がった。
◆◆◆
「リン殿……」
見回りのために家を出たルビィだったが、凛の様子が気になって、自宅の周りをぐるぐると回っていた。
弓矢を背負い、思案に暮れて歩いていると、ルビィは不意に肩をポンと叩かれた。
「――!?」
「はい、死んだー。もし今のがデス・ワームだったら、今頃虫の腹の中でどろっどろに溶けてたよ」
振り返ると、第5狩猟隊こと暗殺部隊の部隊長ミガサがいた。
ルビィやミアと比べて黒っぽい髪をしたミガサは、短めの髪を弄りながら、へらっと笑ってみせる。
「はっはっは。どうしたんだその顔は、ルビィらしくもない。普段だったら、すぐに跳ね飛んで、戦闘の姿勢をとるだろうに」
「……いえ、その」
「まったく、そんな心ここにあらずって感じじゃ、見回りの意味がないじゃないか」
部隊長ミガサは、夜の見回りの際に、こうして気配を消してルビィに近寄ることが多々ある。
大抵は触れられるより前に接近に気付き、臨戦態勢をとって自衛していたのだが。
「はい、二発目」
「――っ」
思案に暮れていると、今度は喉元をコツンと小突かれた。
いつの間にか、背後に回り込まれている。
気配は全く感じられなかった。
「こんな調子じゃ、生命が幾つあっても足りないよ。仮にも第3狩猟隊の隊長なんだから、いつでも気を張ってないと――っと見せかけての三ぱ……」
「遅い!」
「――っと」
三発目の奇襲は、辛うじて見切った。
しかしミガサの言う通り、もしここが戦場だったら、ルビィは二度も生命を落としていた。
「ボクの腕が上がった――っていうのなら、喜ばしいコトだけど。どうやらそういうわけじゃなさそうだね」
「…………」
ミガサの暗殺の技は確かに凄いが、今夜いきなりレベルが上がったというわけではない。
ルビィの心が他の方を向いていて、集中出来ていないだけだ。
「あのリンって男の子に、随分と執心してるみたいじゃないか」
「……やはり、分かりますか」
「まあね。それにしても、ルビィはほんっとーに強い人が好きだなあ」
「強い人に憧れるのは、狩猟者として当然のことです」
「そりゃそうなんだけど、ルビィはちょっとその気が強すぎると思うよ。……しかし残念だなあ。昔のきみは、女であるボクにさえ、あんなにメロメロだったのに。あの時に本気で落としておくべきだったかな、なーんて」
あっはん、と変な声を出し、セクシーなポーズをとるミガサ。
アーマーから覗いた胸の谷間が、ばるんと大きく揺れた。
「本気で告白したのに、断ってきたのはミガサさんでしょう」
「当たり前でしょ。ボクも狩猟者なんだから、自分より弱い人に興味なんて持てないよ」
「ミガサさんより強い方なんて、この村にいないですよ」
「そりゃコレでも、エリートの集まる第5狩猟隊の隊長さんだからね。だからきっと――」
意味深に言葉を止め、ミガサは遠い目をした。
「もしボクが今の立場を誰かに譲る機会があったら、それはボクの嫁入りが決まった時だろうね。勿論相手は、新しい部隊長になるはずさ」
「それは、どういう意味ですか」
「んにゃ? 別に深い意味はないケド――って、ああ。ルビィはボクに、あのリンって男の子を取られるのが怖いんだね?」
図星を突かれ、ルビィは顔を赤くする。
「そういうつもりでは!」
「にゃはは。だいじょーぶ。ボクあんなヒョロい男に興味ないし。たとえボクより暗殺の技に長けていたとしても、異性として見ることは出来ないよ」
ビキニアーマーから覗く長い脚を叩き、ピシャリと音を立てる。
アーマーの中に手を突っ込みボリボリと品のない音を立てながら掻き毟ると、ミガサは凛の寝床を顎で示した。
「でも本気で惚れたなら、あんな風に遠回しなことしないで、もっと直接的に迫れば良かったのに」
「直接的……? 戦いを仕掛けるとか、そういうことですか」
「ルビィは本当に直情的だなあ。そのおっぱいは、何のためについてるんだい?」
アーマー越しの胸を突き、ミガサは「へっへっへ」と変な声を上げて笑う。
また大きくなったんじゃないの? と冗談を言いながら、ルビィより格段に大きく育った自身の胸を揺らすミガサ。
「彼はそこで眠ってるんだろう? そんなアーマーなんて脱ぎ捨てて、狩猟者らしく肉体で獲物を貪ってしまえばいいのさ」
下品なハンドサインを見せ、ミガサは高笑いする。
美人で強くて仲間思いなのに、こういうところが玉に瑕だ。
「旅人ってのは、女に飢えているものさ。ルビィほどの器量なら、一晩もあればモノに出来るだろう」
「わ、私にそんな痴女みたいなことを――」
「本気でモノにしたいなら、体裁なんて気にしている場合じゃないと思うな」
急に真面目な顔を作ると、ミガサはビシィっとルビィに指を突き立てた。
「デス・ワームを狩る時だって、そうだろう。粘液塗れにされようと、装備をパージさせられようと、生命賭けて戦う。ボクだって隊員たちを守るために、裸同然の格好にされながらも、必死でデス・ワームをやっつけた。今ではその時のことを、誇りに思ってる」
「ミガサさん……」
「最終的に答えを出すのは、ルビィ――きみ自身さ。……羞恥と後悔、どっちをとるかよく考えることだね」
そろそろ交代の時間だと言って、ミガサは暗闇の中に消えていった。
ルビィは暫し悩んだが――元々直情的な性格だ。いつまでもくよくよすることなく、割と早い段階で答えを出すことが出来た。
「し、しかしミガサさんの意見は極端すぎる。いきなり肉体を使うなんて、いくらなんでも破廉恥だ」
言いつつも、本能に忠実なルビィの足はふらふらと凛のいる住居へ向いてしまう。
様子を見るだけだ。ミガサと違って、ルビィはそこまで品のないことは出来ない。
「…………」
外から声をかけようかと悩んだが。結局は、足音を立てぬように家に近づき、のれんを捲った。
アーマーを緩め寝床に足を踏み入れたルビィが目にしたのは、空っぽのムシロと放り出された枕だった。
「……あれ?」
明かりを手に部屋を照らしたが、凛の姿はどこにも見えない。
「いない。便所か……? しかし、さっきまで目の前でミガサと話していたのだから、家を出たのなら気が付くはず」
ムシロに手をやると、温もりが全くない。
寝床から姿を消してから、大分時間が経っているようだ。
「……え、何で。どうして、いなくなった。……あれぇ?」
ムシロを捲ったり床板を外したり色々したものの、結局その夜は、凛を見つけることは出来なかった。
◆◆◆
「あー。やっぱ自分家のベッドは最高だなー!」
瞬間移動で自宅に戻った凛は、シャワーを浴びて、サッパリした気持ちで自室のベッドで横になっていた。
「ポテチうめー。ジュースもうめー。水洗トイレ最高! 電気のある有難さ!」
少し早めの時間に目覚ましをかけ、凛は布団に潜ってすぐに寝息を立て始める。
一人の少女が凛のせいで純情をへし折られていることも知らず、彼は寝心地のいいベッドで幸せな夢に浸っていた。




