結城凛流暗殺術
断るのも変な気がしたので、ルビィの申し出に了承することにした。
ミアが凛の武勇伝を明かしてから、ルビィや槍兵たちからの視線が大幅に変わったのも事実だ。
あまり人を疑ったり、裏を読むようなことをするのも失礼に値する。
感謝の気持ちは、素直に受け取っておこう。
ケルベロスの気配がなくなったということで、槍兵二人は、ミアを連れて村へ戻っていった。
本来はルビィと凛も一緒に村に赴くはずだったのだが、ここでちょっとした問題が生じてしまったのだ。
「して、リン殿。ケルベロスの死骸はいかがなされた」
ミアは凛がケルベロス――二頭の野犬のことで間違いないだろう――を倒したと説明したが、厳密には殺害したのではなく、遠方へテレポートさせただけである。
つまり死骸は存在しないし、討伐の証といったものは提示出来ないのだ。
「実を言うと倒したわけではなく、追い払っただけなんです」
今更嘘を吐くわけにもいかず、正直に説明する。
ルビィは眉を顰め口をへの字にすると、ムッとした様子で顎に手をやった。
「3匹とも全部か?」
「そうです」
「……そうか。しかしそれが事実だと、厄介なことになったぞ」
ルビィ曰く、ケルベロスは一度嗅いだ獲物の臭いは忘れないらしい。
ミアや凛の臭いを覚えたケルベロスは、絶命するまで執拗に臭いのもとを辿り、追ってくるという。
「村には寝ずの番もいるし、勝手に村を出ないようしっかりと見張っていれば、ミアが被害を受けることはないだろう」
つまるところルビィは、凛の心配をしてくれているわけだ。
身分を問われた時に、凛は通りすがりの旅人だとルビィに説明した。
野宿する機会の多い旅人にとって、人間の臭いに敏感かつ死ぬまで執拗に追いかけてくるケルベロスの存在は、かなり厄介であるという。
「村民の生命の恩人殿を、危険な目に遭わせるわけにはいかない」
「俺が勝手にしたことですから、ルビィさんがお気になさることでは――」
「何を言うか。リン殿は生命を賭けて、ミアを守ってくれたのだろう? たった一人で3匹ものケルベロスに立ち向かった貴方に、私たちは心よりの敬意を表する。貴方のような立派な“戦士”を、見捨てるような真似は出来ない。安全が確認できるまで、村の狩猟者たちで護衛させていただきたい」
ルビィ個人の意見かと思いきや、恩人に対する扱いは、村の掟で定められているらしい。
サロンギアの村民というのは、随分と義理堅いことである。
「追い払っただけなら、すぐに戻ってくる可能性が高い。安全のために、近場のケルベロスを狩ってから戻ることにしましょう。……面倒をかけることになるかもしれませんが、ご助力いただきたい」
自力では戻れないほど遠くに放ってやったとも言えず、ルビィの提案に賛同する他なかった。
「ミガサ部隊長にも比肩するヒットアンドアウェイの実力……。拝見するのが、実に楽しみです」
吊り上がった口角を手で拭い、ルビィは「うひひ……」と奇妙な音で笑った。
話してみて分かったが、どうやらルビィは“強い者”が好きなようだ。
◆◆◆
ケルベロスはすぐに見つかった。
足を引きずっている様子はないため、凛が追い払ったケルベロスとは別の個体であることは明白だが。
「とりあえず、あの3匹を狩ることにしましょう」
そう言うと、ルビィは背負っていた弓を手にし、矢を番えた。
狙いを定めて弦を引き絞り、矢を放つ。心地良い風切り音とともに、唸るような苦鳴が響いた。
胸の辺りに矢を受けたケルベロスは、二つの頭から音程の違う断末魔を奏で、やがて絶命した。
「すごい。一撃で……」
「ケルベロスは心臓が急所だ。この矢なら一発で、仕留めることが出来る」
間髪入れず矢を番え、再度ケルベロスを射抜くルビィ。
しかし今度は僅かに躱され、心臓を一突きということにはならなかった。
「攻撃に気付くと、奴らは警戒する。二射目以降を一撃で済ませるのは、相当の実力がなければ出来ないな」
胸から少しズレた場所に矢を受けたケルベロスは、片方の口から血を吐きながら、ふらふらとこちらに向かって歩いてきた。
さらなる連撃を放たんと矢を用意するが、ルビィは手負いのケルベロスから視線を外す。
残ったもう一匹のケルベロスが、弾丸のように突っ込んできたのだ。
無傷のケルベロスはルビィが放った矢をひらりと躱し、突進する。攻撃が外れたことを確認し、ルビィは横跳びにケルベロスの突撃を回避した。
ルビィの注意が凛から離れた瞬間を突き、凛はようやく攻撃に転じた。
「瞬間移動」
ケルベロスの突進を回避しつつ、凛は手負いのケルベロスのすぐ傍に移動する。
腹を撃たれて死にかけの獣。被験体として丁度いい。
動きの鈍いケルベロスの胸に手を当て、凛は「瞬間移動」と念じる。
「ぐぷっ!?」
手の中で、ケルベロスの体躯が脈動する。
一瞬大きく吐血したケルベロスは、微かに痙攣した後、すぐに静かになった。
心臓が急所だと聞いた時から実験してみたいと思っていたが、どうやら凛の想定通りとなったようだ。
「心臓だけをテレポートさせることも出来るみたいだな」
鼓動を感じた部位に手を押し込むと、ベコっと手の形に凹んだ。
どうやら周辺の骨や筋肉なども一緒にテレポートさせてしまったようだが、死んだことには違いないのでよしとする。
回数を重ねれば、心臓だけをテレポートさせることも容易になるだろう。
死体の口をこじ開けると、でろりとした内臓などの塊が零れ落ちてきた。
万が一解体した時に欠損した部位があると、怪しまれるかもしれない。そう思って、今回は遠方へ放り出すことはしなかったのだ。
もう一度「瞬間移動」を使用し、心臓が元あった場所へ、埋め直しておいた。
「さて」
目標はあと一匹だ。
ルビィは近くの木に登り、太い枝に跨って、地上を駆けるケルベロスを狙おうとしていた。
件のケルベロスはルビィの存在を警戒し、付かず離れずの距離から狩猟者の姿を見据えている。
ルビィもケルベロスも、互いのことを注意するだけで精一杯のようだ。
「ミガサとかいう暗殺者さんに匹敵する速度、見せてやるか」
凛はケルベロスの背後に、瞬間移動する。
木の上からタイミングを見計らっていたルビィは、突如現れた凛に動揺し、分かりやすく目を見開く。
ミアの証言がある以上、凛に高速で移動する技術があることは、いずれ明かす羽目になることは必然だ。
人智を越えた異能に疑いを持たれるより先に、凛の「瞬間移動」を、一度はルビィに見せておいた方が都合がいい。
それなら出来るだけ遠くから――ルビィが注意を払っていないタイミングで、彼女の視界にいきなり入り込むのがよろしい。
気配を殺して、誰にも気が付かれずに背後に忍び寄れる。その情報だけを、教えておく必要がある。
消える瞬間を見られたり、物理的に不可能な距離を移動するところを見られるよりかは、隠密まがいの所作が特技であると錯覚された方が、不信感を持たれにくい。
少なくとも、高速で忍び寄り暗殺する技術は、実在している世界なのだ。
「瞬間移動」
背後からケルベロスの胸に手を回し、先ほどと同じように心臓を吹き飛ばす。
脈動し絶命したのを確認してから、元あった場所にその他巻き込まれた内臓とともに埋め直す。
崩れ落ちたケルベロスを指さし、凛はルビィに手を振ってみせた。
「終わりましたよ」
ルビィは口を開けたままだったが、凛を見つめる目付きが完全に羨望の眼差しに変わっていた。