第3狩猟隊隊長
「えっと、すぐ近くの――サロンギアという村から来ました。ミアと言います」
野犬に襲われていた少女――ミアは、赤茶色の頭をぺこんと下げて、凛に自己紹介した。
礼儀正しい娘である。目の前で奇っ怪な動きを見せていたにも関わらず、警戒はされていないようだ。
「助けてくれて、ありがとうございます。……お花を摘みに出かけたら、道に迷っちゃって。もうダメかと思いました」
ひっくり返ったバスケットの傍には、色とりどりの花卉が無残に散乱していた。
そばかすの散った顔を掻きながら、にへへっと笑うミア。
弥生時代風の衣服にはところどころほつれた跡があったが、ざっと見た感じでは、怪我をしている様子はない。
「本当は、村の外に出る時は狩猟隊の人と一緒じゃなきゃいけないんだけど、あまり遠くへ行かせてもらえないから……。つい黙って出てきちゃって」
脅威が去って安心したのか、こちらから聞かずとも現在の状況を色々喋ってくれた。
危険な獣のいる場所に、どうして年端もいかぬ少女が一人でいるのかと疑問に思っていたが、どうやらそういうことのようだ。
「……あの、お兄さんは、サロンギアの方ではないですよね?」
「ああ、俺はただの通りすがりだ」
サロンギアという村の名前すら、今初めて聞いたほどだ。
藪蛇になるといけないので、余計なことは言わないでおくが。
「そっか……。そう、ですよね」
膝をこすり合わせモジモジしながら、何かを訴えるような眼差しを向けるミア。
そういえば彼女は、道に迷ったと言っていた。
狩猟隊なる大人たちともはぐれ、危険な森の中に独りぼっち。
そして凛を、村人ではないかと縋るように問いかけたことから察するに。
「村に帰れなくなっちゃったのか」
そばかすの散った顔をポリポリ掻き、ミアは照れ臭そうにコクンと頷く。
軽い失敗のような表情だが、状況から推察するに、これはかなりの一大事なのではないか。
少なくとも凛が通りすがらなければ――気まぐれで人助けに興じたりしなければ――ミアはきっと、もうこの世にはいなかっただろう。
文字通り、ミアは九死に一生を得たのだ。
大人が何故子供を村から出さないようにしているか、それすらも分からない年齢の少女と、森の中で迷子。
危機管理能力も低い様だし、連れ回すのには危険が伴う。
「瞬間移動で、村にたどり着けばいいんだけど……」
恐らく成功する確率は、5パーセント未満だろう。
正確な村の場所さえ分かっていれば、どれだけ離れた場所だろうと一瞬で到達出来るが、位置が不明となると話は違ってくる。
大体の距離と方角さえ掴めれば、この世界へ瞬間移動した時のように、行き当たりばったりでたどり着く可能性も無きにしも非ずだが。
距離も方角も分からないとなると、瞬間移動で到達するのは無理だ。下手すると、村とは真逆に、どんどん離れていってしまう可能性すらある。
「どうするかな……」
とはいえここまで構ってしまった以上、見捨てるわけにもいかない。
またこの森を訪れた際に、ミアの遺体を発見するようなことになっても、寝覚めが悪い。
どうするべきかと悩んでいると、奥の茂みがガサガサと不吉な音を立てた。
まさか先ほどの二頭の獣が、戻って来たのだろうか。
ミアを庇うように立って、目先の事象に警戒する。
「ケルベロスが逃げたのは、こっちの方だ。お前ら、油断するなよ」
茂みをかき分け現れたのは、獣ではなく――ミアと同じような、二足歩行の人間だった。
女一人に、男が二人だ。全体的な造形は、元の世界の人間と大差ない。強いて言うなら、髪の色や瞳の色が特殊というところだろうか。
三人とも赤っぽい茶髪で、顔つきはヨーロッパ風の白人系。
日焼けしているのか、肌は浅黒く褐色に近い。
男二人はミアと同じような服装だが、女の方は下着同然のアーマー装備を身に着けていた。
こういう世界観では、女性の防具が紙同然になるのがお約束なのだろうか。
「……む、先客がいたようだな」
彼らも凛とミアの存在に気付いたらしく、女の号令で揃って足を止めた。
身の丈ほどもある槍を持った男を控えさせ、ビキニアーマーの女が凛に向かって一歩踏み出す。
「驚かせて済まない。私はサロンギアの村で狩猟者をしている、ルビィという者だ」
しなやかな身体を見せつけるように伸ばし、ルビィと名乗った女は真っ直ぐな視線を凛に向けた。
「サロンギアの、狩猟者だって……?」
「うむ。第3狩猟隊の隊長をしている。ケルベロスを追っていたのだが、見失ってしまってな。こちらへ逃げたと思ったのだが――」
言い終わるより先に、凛の後ろからミアが駆け出していった。
弾丸のように突っ走り、ルビィなる女の腰に飛びつく。
「ルビィさん!」
「……なんだ、ミアじゃないか。こんな奥深くまで、どうして」
優しい表情でミアを受け入れたルビィだったが。少女が一人でいることに疑念を抱いたのか。次第に彼女の面差しは険しいものになっていった。
「おい、ミア。お前と同行している狩猟者はどこだ。……まさか、逃げ込んだケルベロスに」
「……ごめんなさい、ルビィさん。ミアね、お花摘みに行きたくて、狩猟者さんに黙ってここまで来ちゃったの。だから狩猟者さん一緒じゃないの。ミア一人なの」
厳しい顔つきだったルビィは一瞬眉を吊り上げたが、やがて呆れたように溜息を吐き、腰に引っ付いたミアの頭をぐりぐりと乱暴に撫でてやった。
「まったく、森の中は危険だから一人で外出するなといつも言っているだろうに」
「ごめんなさい。ルビィさん」
「まあ無事だったのなら、何よりだ。どうやら運よくケルベロスとも遭遇しなかったようだし、幸い――」
「ルビィ隊長!」
ミアの無事に安堵していたルビィに、男の一人が駆け寄る。
厳かな面差しで「どうした」と問うルビィに、筋肉質な身体をギっと伸ばした男は、地面を指さした。
「見てください。この爪痕、ケルベロスのモノに酷似しているように思うのですが」
「……確かに、随分と似ているな」
「隊長! こちらには、ケルベロスが噛み千切ったと思われる枝が散乱しています!」
男たちの報告に、ルビィは思案気に眉を顰める。
「爪痕も枝の傷も、どちらも真新しい傷だ。ついさっきまで、ケルベロスがこの周辺にいたと考えられるな」
「ですがケルベロスは、人間の臭いに敏感です。ミアがこの近くにいたとすると、遭遇していないのはおかしいかと」
「運良く行き違いになったのだとしたら、戻ってくる可能性があるな。――二人は引き続き、周辺の警戒に当たれ。私はミアを連れて村に戻り、他の狩猟隊から援軍を要請してくる」
ミアを抱きかかえたルビィは、ぼんやりと突っ立っていた凛に、不思議なハンドサインを見せた。
さっき男の一人もルビィにしていたので、多分敬礼か何かだろう。
「どこの誰かは存じませんが、ここは危険です。貴方も早く、この場から離れたほうがよろしいかと。……あまり、上質な装備を身に着けているとも、思えませんので」
真夏のビーチにでもいそうな格好の女性に、そんな忠告をされる。
確かに凛は上下グレーのスウェット姿で、防御に適していそうな服装とはお世辞にも言えないが。
ビキニ姿で森にいる女性に言われても、説得力がない。
むしろ虫刺されに関してなら、まだ凛の方が少しは防御力が高そうである。
ともあれルビィは、狩猟隊の隊長をしていると言っていた。
元の世界の感覚で言うのなら、恐らく分隊長か班長レベルの階級だろう。
ルビィ本人はセクシーな褐色お姉さんだが、屈強な槍兵を二人も従えさせていることから、ルビィ本人の戦闘技能も高いと思われる。
ミアは彼女たちに任せて、凛は安全な自宅に退散しても問題ないだろう。
「ご忠告ありがとうございます。それでは俺は、この辺で――」
そう言ってドロンしようと思ったのだが、そうは問屋が卸さなかった。
「バイバイおにーさん! 今度また、ケルベロスやっつけるトコ見せてね!」
無邪気なミアによるお別れの挨拶に、周囲の空気が変わった。
別に悪いことをしたわけではないのだから、怯える必要はないのだろうが――。
「…………」
そっと振り向くと、ルビィが凄まじい眼力で凛を見据えていた。
射抜くような目付きに、自然と背筋が伸びる。
「聞き捨てならないな。どういうことだ。ミア」
「あのね、あのね。そのお兄さんが、ケルベロスをやっつけてくれたの! ピャってなって、シュンってなって、すごかったんだよ!」
キラキラした面持ちで、凛の活躍を説明するミア。
ルビィの口元が、キュゥっと歪み吊り上がる。
怒っているようではない。どちらかというと、ニヤけそうになるのを必死に堪えている様相だ。
「ここに逃げ込んだケルベロスは3匹いたと記憶しているが、それを全部――この方が一人で?」
「うん! シュバっ、サッ、サッ――って、狩猟隊のミガサさんみたいに、すっごい速く動けちゃうんだよ!」
その名前が出た途端、ルビィの顔つきが強張った。
興奮した様子のミアはルビィら狩猟隊の変化には気付かず、しきりに凛の凄さを捲し立てている。
「ルビィ隊長……。ミガサさんって、確か第5狩猟隊の」
「ああ。第5狩猟隊――別名暗殺部隊。表向きは私らと同じ狩猟者だが、ヒットアンドアウェイの技術については村一番の実力集団だ」
不穏な単語が聞こえてきた。
ミアの説明には擬音が多く、凛がどういった動きを見せていたか正確には伝わっていないようだが。
あまりに奇天烈な動きをしていたと露見すれば、面倒なことになるかもしれない。
最悪目を離した隙に「瞬間移動」で逃走しよう。
いつでも逃げられるように体勢を整えていると――ルビィは固くなっていた表情を、ニッコリと解いてみせた。
「成程。ケルベロスの気配が消えたのは、既に始末し終えていたからだったのですね」
先ほどまでの警戒するような表情から一転。穏やかな笑みを浮かべ、ルビィは丁寧に腰を折った。
「ミアを救ってくださり、有難く思います。……生命の恩人とは露知らず、失礼なことを申し上げてしまいました」
槍兵の男たちもルビィの後ろに控え、膝をつき頭を下げる。
「ミガサ部隊長と同等の動きをするとは、相当の手練れと思われますが――失礼ながら、お名前を窺ってもよろしいでしょうか」
不審人物は逃がさない。そういうことだろうかと身構えたが、ルビィの表情から察するに、想像とは違うようだった。
ルビィの目が、子供のように輝いている。
不審や警戒というより、憧憬や羨望といった目付き。
敵意はない。名乗ったところで、悪いようにされることは、なさそうに思えた。
「リンと申します」
ミアもルビィも名前しか名乗っていないので、家名については触れないでおく。
「リン殿。ケルベロスの打倒そして幼い村民を救ってくれたことに、心より感謝申し上げる」
膝をつき、深々と頭を下げるルビィ。
大仰な対応に、凛は恐縮してしまう。
「改めてお礼がしたい。もしよろしければ、サロンギアの村に来ていただけませんか」