貪欲なる怪物
実験は成功した。
どうやら無事に、魔女ナノファルファを遥か未来へ「瞬間移動」させることが出来たようだ。
凛としては3000年後の同じ場所を指定したつもりだが、結果を確かめることは出来ないため、時間指定が上手くいったかどうかの保証はないのだが。
アルディラをピッタリ15時間後に「瞬間移動」出来たのだから、成功したと考えて不都合はないだろう。
「リンゴで何度か試してみたけど、失敗は一度もなかったし。そこまで難解な技術ってわけでもないんだろう」
ちなみに幾度か試験してみたが、過去に何かを送り込むことは出来ないようだった。
これは時間という概念が、始点と終点のある流れによるものではなく、古い時間に新しい時間を重ねるようにして、延々と上書きされていくものという考え方が正しいからかもしれない。
ともあれ凛にとっては出来るか出来ないか以上の興味はないため、その辺りについては深く考えないようにした。
「片付きましたよ。アルディラさん」
未だポカンと口を開けたままのアルディラは、凛の声に返事を返さない。
近くまで瞬間移動して、目の前でふいふいと手を振ってやると、アルディラはようやくハッと自分を取り戻した。
「……魔女は。ナノファルファは、どこへ行ったのじゃ」
「消えちゃいましたよ。もう安心です。俺たちが生きている間には、もう二度と現れることはないでしょう」
常識的な思考ではまず信じられない戯言だろうが。
アルディラは今に至るまでの、数々の凛の偉業を目にしている。
実際にナノファルファは消えてしまったのだから、いくらおかしな論法であろうと、凛の言葉を信じるしかないだろう。
「にわかには信じられんことじゃが……。こうして実際に、ナノファルファが消える瞬間をこの目で見ることが出来た。ナノファルファが……」
とはいえ殺したわけではない。
時が経てば、彼女はまた復活する。
館を護衛する魔法生物がどれだけの時間稼働しているかは不明だし、建物自体が魔法で強化されているようなので、案外3000年後も今のままの形で残っているかもしれない。
魔法以外のことに興味を持たぬ引きこもりということだったし、自身が未来へ転移したことすら気付かずに、アルディラと凛が消えたことに満足し、3000年後の世界で悠々自適な生活を送っているかもしれないが。
凛にとってはどうでもいいことだ。
「礼を言っておかなければならないの」
畏まった仕草で、アルディラは膝をつき深々と顔を床に近づけた。
「妾そして仲間たちの仇を討ってくれたこと、感謝してもしきれない。これから一生を賭けて恩を返さなければならぬのじゃが、それが出来ぬことを許して欲しい」
砂時計を取り出し、床に置く。
深く感謝の意を示したアルディラは、やがて顔を上げ――嬉しそうに笑ってみせた。
「最期に憂いがなくなって、妾は満足じゃ。黄泉の国へ行ったら、当時の仲間たちにも報告せねばならんの……」
「そんな今生の別れみたいなこと言わないでくださいよ」
凛は先ほど魔女の手にしていた琥珀めいた玉石を、アルディラに差し出す。
お喋りな魔女のおかげで、探していた失くしものを最後の最後に見つけることが出来た。
この中に閉じ込められたアルディラの“生きる権利”を取り戻さなければ。
「無理じゃよ。一度奪われた寿命を取り返すなど、出来るはずがない」
アルディラは寂しそうな顔で、緑色に透き通る玉石を見やった。
「魔女は永遠の美貌と生命を手にするため、他人の生命の源を奪い、玉石の中に閉じ込めておる。自分の一番美しく聡明な姿を保てるように、毎日少しずつ寿命を舐めて過ごしているのじゃ」
「この中に、アルディラさんの残りの人生が入ってるんですよね?」
「そうかもしれぬ。じゃが中身を取り出せるのは、奪い封印した魔女本人だけじゃろう。……事実妾がこうして玉石に触れても、砂時計に変化はないようじゃからな」
アルディラは玉石を手にするが、何かしらの変化が起きたようには見えない。
口を付けて舌を這わせてみるが、玉石は玉石でしかなく、中に閉じ込められているはずのアルディラの人生を取り込むことは出来ないようだった。
「これを手にすることが出来ただけでも、妾は充分満たされておる。……館まで連れてきてくれたこと、夜のうちに死ぬはずだった妾を翌朝まで生き永らえさせてくれたこと。常識では説明不可能な奇跡を幾つも連発するお主に、色々と聞ききたいことがあったのも事実じゃが。そんなことがどうでもよくなるくらい、妾は心より幸せを感じておる。改めて礼を言わせてくれ。本当に、ありがとう」
最後にもう一度頭を下げたアルディラは、砂時計を胸に抱き、祈るように瞑目した。
その顔は安らかで、心より今この瞬間の幸福を噛み締めているようだった。
「最後に一つだけ頼みがある。妾の亡骸は――アルバトロスに埋葬してほしい。費用など諸々の手続きは例の役所の知人に頼んでおるから、お主は何も心配しなくてよい。じゃからお主には、妾の亡骸をアルバトロスまで持って帰って――」
「瞬間移動」
凛は玉石に手をかざし、アルディラに向けて異能を発動した。
刹那ビクンとアルディラの体躯が脈動し、彼女は苦しそうに目を見開く。
「ちょっと時間押してるんで、先にこっちの方済ませちゃいますね」
このまま黙って聞き役に徹していたら、きっとアルディラは砂時計の砂が完全になくなるまで喋り続けていただろう。
そうなってしまえば、手遅れになる可能性もある。
アルディラは瞠目したまま、ガタガタと身を痙攣させた。
涎を垂らし白目をむく勢いで瞼を開き、頭の先からつま先まで、ピーンとのけ反るように伸び切ってしまう。
やがて透明な体液を口と股の間の両方から吐き出すと、アルディラは悪寒でも感じたかの如くブルブルと身を震わせ――。
「……なん。なんじゃ、この」
抱えていた砂時計が、パキィと音を立てて弾け飛んだ。
「…………」
大の字になってイロイロなモノを垂れ流しにしていたアルディラだったが、やがて落ち着いたのか、彼女は身体を震わせながらも、むっくりと起き上がった。
目尻も鼻の穴も口端もベトベトに汚した彼女は、開いた手を閉じたりピースサインにしたりしてから、広げた手のひらを眺め、囁くように零した。
「……生きてる、のか?」
割れた砂時計の中からは、ほんの僅かな砂が零れ落ちただけだった。
あと少し遅かったら、手遅れになっていたかもしれない。
本当は魔女の寿命をアルディラに「瞬間移動」させられれば最善だと思っていたのだが、部屋にいた虫で実験してみたところ、他人の生きる源を「瞬間移動」で譲渡することは出来ないようなのだ。
そのため一つ目の計画『魔女の生命エネルギーをアルディラに瞬間移動させ、奪った分の人生を返してもらおう』は、ナシになった。
だが凛の中で、ずっと引っかかっていることがあったのも事実。
元の世界では不可能な「人生の奪取」をこなせる世界なら、奪われた分のみなら回収できるのではないか。
成功する確率はかなり低いが、試す価値はあるだろうと、凛はそう考えていた。
「砂時計も壊れたみたいですし、これできっと本来の寿命まで人生を楽しめるはずですよ。賭けみたいなものでしたが、無事に遂行できて良かったです」
アルディラは茫然と、開いた手のひらを見つめ続けていた。
その表情に生気はない。歓喜。驚愕。恐怖。畏怖。それら全ての感情を飛び越えて、アルディラは放心状態になってしまったようだ。
「……何故」
絞り出すように、アルディラは虚ろな目のまま尋ねた。
「何故、ここまでしてくれたのじゃ」
「別に、そこまでのことをしたわけでは――」
「そうではない!」
声を荒げたアルディラは、ハッとなってすぐに口を手で塞いだ。
得体のしれない化け物を前にしたような、畏怖と逃避の色が滲んだ目で、窺うように凛を見上げる。
「妾が嘘を吐いているかもとは、考えなかったのか? ナノファルファが全て喋った故に、お主は彼女が魔女であると判断したのかもしれぬが……。ナノファルファと出会う前から、お主は妾の言い分を丸っと信じ込んでいたではないか」
「俺を騙してたんですか?」
「そうではない! たとえばの話じゃ。もし本当は妾が悪い魔女で、商売敵であるナノファルファを殺害し寿命を奪うために、お主をけしかけたかもしれないではないか」
確かに凛は、アルディラの言い分を一方的に信じて、魔女の館だと教えられた場所に飛び込み、家主を遥か未来へ送り込んだ。
もしそれらが全てアルディラの作り話で、ナノファルファを亡き者にしたいがために、嘘を言っていたという可能性は考えなかったのかと、そういうことを言っているようだ。
それは凛も、考えなかったわけではない。
最終的にナノファルファが罪を自白したために、彼女が悪い魔女でありアルディラの仇であると凛は理解したが。
魔女と邂逅するまでは、その全ての情報をアルディラから得ていた。
アルディラが恣意的に情報操作をし、ナノファルファを悪人に仕立て上げることも出来ただろう。
「俺は空腹で倒れてるアルディラさんに、リンゴ――アプリアをあげました」
いきなり何を言い出すかと眉をひそめるアルディラに、凛は話を続けた。
「アルディラさんはそのお礼に、身分証の発行を手伝ってくれました。これで貸し借りはなしです」
凛は指を折りながら、なおも続ける。
「そのうえで、アルディラさんは俺に文字を教えようとしてくれて――しかも街を案内して、酒場で飲み物までおごってくれました」
猜疑的に歪んでいたアルディラの表情が、次第に驚きの色へ変遷し、和らいでいく。
「そのお礼をしただけです。正義感とか善意とかで動いたわけじゃない。だからアルディラさんが嘘を吐いてようが騙していようが関係なく、アルディラさんの仇を討ってやろうと思っただけです」
実を言うと、それだけではなかった。
アルディラを救うために翌朝まで「瞬間移動」をしてやったり。
危険を顧みず魔女の館までアルディラを連れていったり。
魔女の猛攻を「瞬間移動」で避けながら、最終的には凛本人には何の恨みもない魔女ナノファルファを、3000年後の世界に吹っ飛ばしてやったり。
凛がそこまでのことをしたのは、とても単純な理由であった。
――せっかくの機会だから、どうなるのか実験してみたかった。
それに尽きる。
アルディラを翌朝に「瞬間移動」させたのは、死ぬことが決定している生物を未来に飛ばしたら、どういうことが起きるのか見てみたかったから。
魔女ナノファルファを3000年も先に飛ばしたのは、今現在の凛の実力では、どれだけ未来の時間まで生物を「瞬間移動」出来るのか、試しておきたかったから。
玉石に閉じ込められた生命エネルギーをアルディラに返還したのも、『人生の残り時間』という不確定な代物を「瞬間移動」させることが出来るのか、せっかくの機会だから実験しておこうと思ったから。
「…………」
涼やかな面差しの奥に隠された、貪欲なる知的好奇心に他ならない。
しかし凛には、現代日本の教育によって培われた最低限の道徳心がある。
その辺を歩いている通行人で試すなんて恐ろしいことは凛には出来ないし、たとえ自分が死ぬほど恨む相手がいたとしても、その相手をどうこうしてやろうとは到底思えない。
何故なら凛は――結城凛という男は、自分が責任を負うことを何よりも嫌うから。
自分のせいでと罪悪感を抱くことを、何よりも恐れているから。
何か失敗があった時に、他人のせいに出来る場面でしか凛は思い切った行動を起こさない。
凛は初めからそうだった。
ミアを救うために、落とし穴を作り、ケルベロスを遠くへ瞬間移動させた。
ルビィに援護を頼まれたから、ケルベロスの心臓を瞬間移動させ、戦いに貢献した。
仕事熱心な衛兵が邪魔だったから、他人の荷台に乗り込んで、都市に不法侵入した。
全て凛なりのポリシーに沿って、行われたことだ。
その代わり、罪悪感を押し付ける相手を見つけさえすれば、凛は人道に反したことでも平気でする。
それがたとえ、誰かの人生を狂わせることになっても。
「だって、人助けだから」
何でもないことのように、凛はそう告げた。