魔女の館
魔女の居場所は、すぐに分かった。
アルバトロスから北に――アルディラは『1の方角』と呼んでいた――ずっと向かった先にある、オドロフの森なる密林に住んでいるようだ。
近場まで行ければ御の字と思っていたが、アルディラは館の場所を、ほぼ正確に把握していた。
「皇帝に進言する際にも、正確な進路が必要じゃったからな。これを基に兵士を進軍させた。狂いはないはず。斥候の経験があった仲間たちが、決死の覚悟で作った精緻な地図じゃ」
「今もこの場所にいることは間違いありませんね?」
「魔女や賢者は、魔法の研究に関係のないことは一切興味を持たんからの。魔女が引っ越しをするなど、聞いたことがない」
地形や目印なども、緻密に描き込まれている。
それでいて余計な情報はなく、読み込むのにさほど時間はかからなかった。
文字はアルディラに翻訳してもらい、凛の脳内に密林の光景を浮かべさせていく。
着々と計画が進んでいる感覚。
やる気に満ちた凛とは裏腹に、アルディラは浮かない顔だ。
「のう……。やはり考え直さんか?」
砂時計の残りとにらめっこしながら、アルディラは何度も弱音を吐いていた。
「これだけ正確な地図がありつつも、今まで魔女との邂逅は果たせておらんのじゃ。館の周囲には魔法生物もわんさかいるし、そこを通り抜けるなどどれほど運が良くても無理じゃ」
幾度となく、アルディラは悲観的なことをぼやく。
それでも魔女の居場所を教えたのは、約束がどうとかそんな律儀な話ではなく、本来迎えることが出来ぬはずだった翌日の朝を到来させた凛に、僅かながらも期待を抱いているからだろう。
万に一つでも――凛なら、奇跡を起こすのではないか。
そんな希望があってのことだろう。
「では、行きましょうか」
「ここまで来たら、妾もお主にお供しよう。忙しない最期になってしまったが、妾自身で選んだ道じゃ。この生命が尽きるまで、妾はお主とともに冒険を続けよう」
「そんな縁起でもないこと言わないでくださいよ。まるで魔女と再会するまで、人生がもたないみたいな言い方じゃないですか」
能天気な凛の言い分に、アルディラは力なく笑った。
「事実そうであろう。ここからオドロフの森まで、どれくらいかかると思っとるんじゃ。たとえワイバーンを操れたとしても、妾の残りの寿命では到底――」
「へえ。魔女って意外と若々しい見た目してるんだな」
アルディラが顔を上げると、いつの間にか景色が変わっていることに気付いた。
チェスボードのようなモノクロテイストの床。遠近感を狂わせる奇妙な模様の壁。見覚えのある――遥か昔の記憶だが、絶対に忘れることの出来ない強烈な思い出が、アルディラの脳裏を焼き貫いた。
「まさか一発で建物の中まで入れるとは思えなかったけど、手間が省けてラッキーだったな」
「あ、ああ。あああ……!?」
記憶と現実が交錯する。
夢を見ているのか。それともとうとう寿命を迎え、黄泉の国へ参る途中に白昼夢でも見ているのか。
衝撃に目が眩み、立っていられなくなる。
強烈な吐き気と戦いながら、アルディラは部屋の奥――特大のベッドの上に寝そべった、妖艶な女に視線をやった。
艶やかな赤い髪をかき上げた彼女は、手に持った書物をベッドの上に落とし、やつれ細くなった喉から断末魔の如き金切り声を上げた。
見覚えのある姿に、アルディラは確信する。
魔女だ。間違いない。
アルディラを騙し寿命を奪い去った憎き魔女――ナノファルファ。
赤毛の魔女は目を見開き、痩せこけた指で頬や髪を掻き毟る。
無理解。恐怖。理解不能。驚愕。畏怖。数多の感情が一斉に押し寄せ、赤毛の女――魔女ナノファルファは、絶叫しながら後方へ飛び退いた。
「……な。ななな、な!?」
飾りも何もない真っ白な服をはためかせ、壁を背にしてこちらを見やる魔女。
アルディラはその時初めて、魔女が動転するところを目にした。
いつでも他者を軽視し、舐め腐った態度で上から目線を貫いていた魔女が、正真正銘心から畏怖の感情を芽生えさせていた。
◆◆◆
「ああ、あああ……。あああああああぁぁぁぁァァァァ――――ッ!!!」
いきなり現れた闖入者に人並みの恐怖を植え付けられた魔女ナノファルファは、ひどく動揺した様子で凛たちに向けて魔法を放ってくる。
突風が巻き起こり、室内の物が一斉に壁へ叩きつけられた。
もうもうと立ち込める煙の中に、無傷の二人が立っている。
掻き毟る指先に引っ掛かり、細い赤毛が数本抜け落ち、宙を舞う。
喉笛から奇妙な音を吹き立てながら、魔女は癇癪を起こしたように暴れ回る。
やがて――。
「……誰。貴方たちは、いったい誰。どうやって館に入ったの」
ようやく落ち着きを取り戻したか、先ほどよりかは冷静な声になって、凛とアルディラを交互に見据えた。
「あれが魔女か」
「ああ、間違いない――魔女ナノファルファ。妾の寿命を奪った、張本人じゃよ」
瞳孔の開き切った目で、二人を捉えた魔女ナノファルファ。
ぜいぜいと肩で息をしていた魔女だったが、ようやく心が落ち着いてきたか、長い息を吐いて二人を睨みつけた。
「驚いたわ。まさかあたしの大切な魔法生物ちゃんたちの歓迎を受けて、生き延びた人間がいるなんて」
しゅるしゅると音を立てて、部屋の隅にあった植物が急速に成長し始める。
伸びたツタはドアに絡みつき、ノブから何までがんじがらめにしてしまう。
それで閉じ込めたつもりだろうか。
「でも残念ね。確かに驚きはしたけど――それだけじゃ何にもならない。どんな理由があろうと、許可なく館に入った者を生きて帰すわけにはいかないわ!」
古書を手元に引き寄せ、ブツブツと何やら呟き始める。
魔女の鎮座するベッドを囲うように、光り輝く剣が召喚された。
「本当は今すぐ殺してあげるべきなんだけど。どうやって侵入されたか分からない以上、何の備えもせず攻撃するなんて愚の骨頂だわ」
鋭く伸びた光の剣は花開くかの如く先端を増やし、神々しい防壁と変化していく。
やがてそれらは無数の鋭利な棘となって、凛とアルディラに狙いを定める。
攻撃と防御の共存。鉄壁の守備を展開しながら、ナノファルファは侵入者を排除せんとする。
「死になさい。人間風情が思い上がって、魔女の館に忍び込むなんて――なんて無礼な。あの世で後悔することね」
「その前に、一つ聞いておきたいことがある」
「聞こえないわ」
弾丸の如きスピードで、無数の剣が撃ち込まれる。
入念に、驕ることもなく。光の剣は着弾と同時に爆裂し、粒子と化す。
暴風雨を思い起こさせる猛攻。どれだけ堅牢な鎧を纏おうと、どれだけ上質な盾で受け流そうと、その攻撃全てを弾くことはもはや不可能だろう。
長い長い連続攻撃の末。ようやく攻撃の手が止まる。
やれやれといった様子で息を吐く魔女は、眼前に広がる光景に目を見開いた。
「――な」
傷一つない凛とアルディラが、先ほどと全く同じ出で立ちで佇んでいる。
今の猛攻を防ぎ切ったのか。
いや、そもそも攻撃が当たっていないと、そう言わんばかりの涼やかな立ち姿。
再度魔法を展開しようと手を振り上げ――魔女はそのまま、何もせずに腕を下ろした。
何度やっても同じこと。
今以上に長く強烈な魔法攻撃を放ったところで、状況が変わるというビジョンが見えなかった。
「……目的は何? こんな辺鄙な森の奥までわざわざ来るなんて、どうかしてるわ」
「その前に一つだけ聞かせて欲しい」
答える必要はないと言いたげだったが、同じことの繰り返しになると理解したのだろう。
魔女は魔法の研究以外のことには、出来るだけ時間を割きたくない。
手っ取り早く終わらせるにはどうするのが最善か。
魔女は僅かに悩んだが、果たして先を促した。
「何かしら」
「貴女は魔女か?」
「……知らずに入ってきたの? それにしては、随分と手練れの泥棒さんね」
そうよ。――と、ナノファルファはあっさりと自身が魔女であると明かした。
「あたしが魔女だったら、貴方たちにとって何か不都合なことでもあるのかしら?」
「この女性の仇を討ちに来ただけだ」
「仇って……そんな物騒な。あたし、誰かに恨まれるようなことはしてないはずよ。むしろ国や人々のために色々便利なものを発案してあげて――感謝されるなら分かるけど」
「恨まれるようなことはしてないじゃと? 何をぬけぬけと――」
ナノファルファの言葉に、とうとう我慢ならなくなったか。
アルディラが一歩踏み出し、自身の口から思いの丈を告げた。
「魔女ナノファルファ! お主のせいで、妾と仲間たちがどれだけ苦しんだか。忘れたとは言わせんぞ!」
「あらあら。どこかで見た顔だと思ったら、識字の目を持った娘じゃない。覚えてるわよ。貴女のおかげで、いっぱい研究が捗ったもの」
「何が妾のおかげか! 何百年もの妾の人生を、身勝手に奪い去っていきおって!」
「だからありがとうって言ったじゃない。貴女がこの先何百年生きたって、大して役には立たないでしょう? でもあたしが貴女の分の人生を消費すれば、きっと世界にとって役立つはずよ。現に貴女のおかげで、これから数百年――魔法の研究に没頭出来るわ。それって、とても素晴らしいコトじゃない?」
伸び放題になった赤毛を抱き締めるようにして、魔女ナノファルファは恍惚とした声を上げる。
「貴女みたいな何の才能もない不必要な人間に、何百年も人生を与えるなんて世界にとっての損失だわ。大損失! 貴女がこれから先何百年――何千年生きたところで、魔法なんて高等な術、使えるはずないんだから。そんな無意味な人生諦めて、必要としている人に捧げるのが最も有意義な使い方だと思わない? ねぇ? あたしの言ってるコト理解出来ないほど、お馬鹿さんじゃないわよね?」
「妾は……。妾は……!」
「それともなーに? 竜に能力を貰った自分は、特別な存在だとか思っちゃってた? あはははっ。惨めね。実に惨め。文字が読めたからどうだっていうのよ。あたしならワイバーンなんかに頼らなくても、大体の文字は読めるし使えるわ。貴女なんかに頼らなくても、魔法書だって古術書だって何不自由なく読破できるわ。貴女はたとえそれを読めたって、書いてある魔法は使えないでしょう? それで何のために数百年も生きるのよ。どうせ無駄遣いするなら、あたしが目一杯有意義に使ってあげるわ。貴女はあたしに感謝するべきなのよ? そこんとこ、ちゃんと分かってるの?」
アルディラの価値は、長い寿命だけ。
その人生を奪い去られたアルディラには、生きる価値も意味もないと、そう言い切った。
「うふふっ。ひどいこと言っちゃってごめんなさいね。でも本当のことだから、仕方ないわ」
「…………」
「落ち込まなくても大丈夫よ。貴女はよくやってくれた。ねえ? 貴女は立派に尽くしてくれたわ。だからこそあたしは、これからあなたが無駄に費やすはずだった人生を、目一杯世の中のために役立てるつもりよ」
言いながら、ナノファルファは艶めいた玉石を取り出した。
琥珀にも似た半透明の石は緑色に輝き、骸骨にも似た黒い装飾が施されている。
ドクロの形をしたソレを、ナノファルファは愛おしげに眺める。
赤い舌をでろりと伸ばし、表面を舐め回すナノファルファ。
「貴女から貰った寿命は、この中に大切に保管してるわ。毎日少しずつ舐めて、頭脳も肉体も最高な状態を保っているの。貴女のおかげよ。貴女の人生は、あたしが責任もって使いつくしてあげるわ」
アルディラは何も言い返さなかった。
ただ俯き、悔しそうに唇を噛み締め震えるだけだ。
気迫の消えたアルディラに、ナノファルファは虫けらでも見るような目を向ける。
「言いたいことはそれだけかしら? それなら早く、あたしの目の前から消えてほしいのだけど。せっかく貴女からもらった人生も、人間風情とお喋りする時間に使ってたら勿体ないでしょう?」
アルディラの人生を詰めた玉石を、ベッド脇の棚に置く。
直後。ずっと黙っていた凛が、ようやく動いた。
「そうですね。今すぐに、魔女さんの目の前から消えることにしましょう」
言うと同時に、凛の姿が本当に消えた。
瞠目する魔女。同じく狼狽したアルディラだったが――彼女には、凛がどこへ行ったのかが分かった。
アルディラの見据える先――光の剣に守られた魔女ナノファルファの背後に、凛がいる。
アリの這い出る隙もない、見事な防御壁。如何にして魔女のバリケードを突破したのか、アルディラには想像することすら出来ない。
「あら、本当に消えちゃった。しかもレディを置いて行っちゃうなんて、よっぽどあたしが怖かったのね。身の程知らずにも、魔女の館に忍び込もうとするから、こんなことになるのよ」
何をするつもりなのか。
アルディラは凛をじっと見つめる。
彼が何をする気か。この目でしっかりと、見ておく必要がある。
「……さあ、貴女もさっさと消えなさい。目障りよ」
手を伸ばし、アルディラに向けて魔法を発動しようとする。
「貴女もさっきの男の子みたいに、一瞬で消し去ってあげるわ!」
「仰せの通りに」
「――へ?」
ナノファルファが振り返ると同時に、今度はナノファルファがアルディラの目の前から消失した。
消えたのだ。殺されたとか、焼かれたとか粉微塵にされたとか――そういう次元の話ではない。
煙のように、まるでそこには元々存在していなかったとばかりに、魔女ナノファルファは跡形もなく消えてしまった。
「はい、消えましたよ。これでもう会わずに済みますね。流石のアルディラさんでも、これから3000年以上生き続けるってことはないでしょう」
ナノファルファの消滅と同時に、ベッドを囲っていた光の剣たちは粒子と化して弾け霧散した。
何が起こったのか、理解出来ない。
二人だけになった魔女の部屋で、アルディラは目を白黒させていた。