世界一の努力家
言い終わるより先に、凛はアルディラに掴みかかっていた。
何故それを黙っていた。
どうしてそんな大切な事実を、わざわざ――日が落ちた瞬間つまり不可能が決定した途端に明かしたのか。
「それを言うのが、もう少し早ければ――」
言いかけたところで、凛は気付いた。
アルディラの面差しからは、生気がほとんど感じられなくなっている。
「……もう、諦めさせてくれ」
絞り出すように、アルディラはそう呟いた。
「これ以上期待させられると、お主と出会った時のように――また死ぬのが怖くなってしまう」
「…………」
「もう無理なんじゃ。たとえワイバーンに乗っても、朝までに魔女のもとへたどり着くことは出来ない」
体重を預けるようにして、アルディラは凛の胸にもたれかかる。
「本当はまだ死にたくないのは事実じゃし、妾の心が弱いせいで――冥界まで持っていけばよい与太話を、お主に明かしてしまった。それについては、申し訳ないと思っておる」
「…………」
「じゃが人間どう足掻いても、断念せざるを得ない時はあるんじゃ。……せめて最後の夜だけは、静かに死ぬ準備をさせてほしい」
胸の中で、微かに震えるアルディラ。
しかし何もできない。無念だろう。悔しいことだろう。
自分をこんな目に遭わせた相手は、これからものうのうと生き続ける。
天から与えられし大切な人生の時間を、奪った張本人に食い潰されながら――。
「……もし」
「ん?」
「もし朝になって――アルディラさんが生きていたら。魔女の居場所を、俺に教えてくれませんか?」
アルディラは当惑した様子で、目を白黒させた。
「妾が、嘘を言っていると?」
「だから、もしもの話ですよ。夜になったら魔女のもとへ行くことは出来ない。なら朝になったら、何の問題もなく行けるんですよね」
アルディラの目線が、砂時計に向かう。
砂の残量から割り出した寿命は、計算して導き出した正確な時間ではなく、大体このくらいだろうという不確定なもの。
意外と明日の朝くらいまでなら、生きていられるかも。
無責任にも凛は、そんなことを考えているのでは――と、アルディラは思っていることだろう。
「奇跡でも起きなければ、そんなことは有り得ん話じゃ」
「ええ、ですから起こったらの話ですよ。俺とアルディラさんが出会ったのも、奇跡の一つだとしたら、まだ諦めるのは早いかもしれません」
アルディラはつまらないものでも見るような目をしていたが、言っても分からないと判断したのだろう。
光の消えた眼差しで凛を見やり、小さく首肯してみせた。
「分かった、約束しよう。明日の朝――もし妾が生きておれば、魔女の居場所をお主に教える。仇を討とうがどうしようが、妾はお主を責めたりせん。好きにするがよい」
どうせ死後のことだと、アルディラは簡単に了承してくれた。
出会った時と同じように、人目に付かない路地で一生を終えるつもりでいるのだろう。
アルディラはふらりと立ち上がると、そのままゆらゆらと裏道へ歩を進めていった。
トボトボと消えゆく背中に向けて、凛はへらっとした声で言う。
「だから、さっきも言ったじゃないですか」
凛はアルディラの背後へ瞬間移動し、彼女の細腕をガッシリと掴んだ。
「俺が魔女の館へ行くことがあれば、それはアルディラさん――あなたも一緒ですよ」
振り返ったアルディラの顔に、驚きの色が浮かぶ。
彼女が口を開くより先に、凛は「瞬間移動」と心の中で念じた。
上空に投げたリンゴで実験済みだが、生き物で試すのは初めてのことだ。
今から凛がするのは、寿命や時間という生命の理から外れたこと。
面白半分で乱用するのはよろしくないが、誰かのためになることなら――凛は生者としての倫理すら飛び越えてみせる。
「街を案内してもらった分のお礼がまだだ。せめてそれだけは、させてもらいますよ」
アルディラの姿が、目の前から消える。
上手くいったかどうか、今この状況で確かめる術はない。
それもこれも、明日の朝になれば分かることだ。
「でもまあ――間違いなく成功するはずさ」
頭上から落下してきたリンゴをキャッチし、凛は満足げに口角を吊り上げる。
ストップウォッチの示す時間を確認し、凛はひゅぅと尻上がりの口笛を吹く。
「さて、俺も俺で色々準備をしておかなくちゃな」
◆◆◆
一度自宅に戻った凛は、USBに保存した画像データを外付けHDDに移す作業に没頭していた。
それが粗方済むと、部屋の隅から死にかけの虫を3匹拾ってきて、何やら試行錯誤し始める。
だが結果は芳しくなかったようで、凛は虫の残骸をゴミ箱に捨て、目覚ましをかけて横になった。
「物理的に不可能なのか練習不足なのかは分からないけど、一つ目の計画は諦めたほうが賢明だな」
布団に潜ると、凛はすぐに寝息を立て始める。
やがて指定した時刻にアラームが鳴ると、凛はシャワーを浴び、外出の準備を整える。
時計の針が午前9時を回ったところで、凛は異世界へ「瞬間移動」した。
「――っと」
一発でアルバトロスの城郭都市に瞬間移動した凛は、そのまま昨晩アルディラと別れた道の外れまで赴いた。
ストップウォッチの数字を確認しながら、凛は大仰に腕を広げ――パンと手を打ち付けた。
「――な」
子気味良い音とともに、突如アルディラが凛の眼前に姿を現した。
バランスを崩したのかたたらを踏み、アルディラはぐるりと周囲を見回し――叫んだ。
「な、何じゃ、何なのじゃ!」
ぐるぐるぐるっと身体ごと回転し、目を回したのかアルディラはボスンと尻もちをつく。
焦点の合わぬ眼差しは、理解不能といった彼女の胸中を如実に伝えさせた。
「な、何なのじゃ……。さっきまで、ついさっきまで夕暮れじゃったのに、いきなり朝になりおった……」
驚愕を通り越し、怯えたような目付きで凛を見やるアルディラ。
何が起きたのか理解するには至っていないようだが、彼女が消える直前にしていた会話から、この異常事態に凛が関わっているであろうことには感付いたようだ。
説明しろと無言で向けられる圧を無視して、凛はアルディラの手に持った砂時計を手に取る。
今もなお深淵へ吸い込まれゆく砂の量は、昨晩の状態からほとんど変わっていない。
「実験は成功したみたいだな」
「――な、実験じゃと? お主、妾にいったい何をしたんじゃ!」
大したことはしていない。
「瞬間移動」でアルディラの肉体を、翌朝の同じ場所へ瞬間移動させただけだ。
投げたリンゴを数秒先の未来に「瞬間移動」させ、落下時間を調整する実験が上手くいったので、もしかしたらと思ったが。
どうやらその対象が生き物だったとしても、成功してくれたようだ。
「出来たらいいなって程度の期待だったけど、無事に遂行できたようでホッとしてるよ」
「無視するでない、無視するでない! この状況で返事がないと、妾――お主のことが恐ろしくて堪らないのじゃ!」
ギャーギャー騒ぎながら、凛の腰をポカポカ叩く。
ともあれ確証があったわけではない。
下手すると死体が転がっていた可能性もあったが、せっかく無事に乗り越えたのだから、ネガティブなことは考えないようにする。
「別に変わったことはしてませんよ。早く朝が来るようにお祈りしただけです」
「は、はぁ!?」
狐につままれたような顔で、凛を見上げるアルディラ。
「それよりさっきの約束覚えてますか?」
ともあれ時間がないことに変わりはない。
ここからの計画は超特急でこなさなければならないのだ。
「朝になって妾が生きていたら、魔女の居場所を教える――ということじゃろ」
「教えていただけますか?」
わざとらしく太陽を指さしてそう言うと、アルディラは観念したのか大きく溜息を吐いた。
「よかろう。正確な場所を教えてやる」
地図を広げながら、アルディラは独り言のように問いかけてきた。
「お主はいったい、何者なんじゃ……」
「強いて言うなら、頑張り屋さん、かな」
まともに取り合わない凛に、アルディラはそれ以上何も言わなかった。
とはいえ凛も、適当なことを言ってお茶を濁したつもりはない。
誰もが見限った「超能力」の存在を信じ、ずっと練習し続けた――それはきっと、凛が頑張り屋さんだったからこそ、成し遂げ得たことだろうから。