路地裏の美童女
帝国アルバトロス。
フロンドロイアの大森林に面した国の中では、一番の大国家であるという。
森林との境には緑豊かな田舎町が連なり、中心部へ近づくほど都会的な街並みになるようだ。
田舎町から都市部までは距離にするとかなりあり、起伏も激しいため、移動するにはかなりの苦労が伴うらしい。
凛は「瞬間移動」を連発してここに来たので、苦労も何もあったものではないのだが。
「――さて、とりあえず中心部までは着いたようだけど、どうしようかな」
流石は都市部ということで、城壁の周囲には結構な人がいた。
今まではちょっと裏道に潜み「瞬間移動」を繰り出して移動していたのだが、ここではそうもいかないだろう。
消える瞬間を見られたら怪しまれるし、無事に「瞬間移動」は発動できても、出現した場所が人混みだったら目も当てられない。
「間違いなく誰もいない――そう確信できる場所を見つけない限り、これ以上は進めそうにないな」
城門には複数の衛兵がいて、怪しい者がいないか目を光らせている。
とりあえずここをクリアしてしまえば、後はどうにかなりそうだが、むしろここが一番の難関だ。
門を通過する人々は金銭とそして木版のようなものを衛兵に手渡している。
無一文かつ木版の正体すら知らぬ凛には、正攻法をもってここを通行することは不可能だ。
「とはいっても、ずっとここをウロウロしていても怪しまれるだろうしなあ」
日が沈むのを待って、闇夜に紛れて突入するか。
夜間なら人通りも少ないだろうし、群衆の中に瞬間移動してしまう羽目には陥らないだろう。
一度自宅に戻って、計画を練ることにしよう。
「――ん」
そう思って人気のない場所へ向かおうとした凛は、ガタガタと地面を揺らす音に気付き、門の方を振り向いた。
行商人だろうか。大きな荷台を乗せた馬車が幾つも連なり、城郭の中へ入ろうとしている。
数が多いからだろう。通行税の計算と積み荷の確認に、結構な時間がかかっている。
物陰からその様子を眺めていた凛は、荷台の確認が終わったタイミングを見計らって、駆け出した。
「瞬間移動」
積み荷の一つに、凛は飛び乗った。
衛兵が中身を虱潰しに確認していたので、今からまたすぐに開けられることはないだろう。
荷台同士の大体の距離は、既に頭に叩き込んである。
果物。衣類。武器――と荷台から荷台へと瞬間移動し、無事上部が格子状になった荷台へと移動することが出来た。
隙間から外を確認すると、どうやら無事に城郭内に入れたようだ。
「……あとは、人目につかない場所さえ見つけられれば」
具合のいい路地を発見し、凛はそこへ瞬間移動した。
気を抜かず、連続して瞬間移動。大通りから見えないよう物陰を経由して、無事に裏通りへ潜り込めたようだ。
「よし。大体の位置は掴めたし、次からは城壁の外から路地まで一発で入れるな」
馬車の速度。揺られた時間から移動距離を計算し、大雑把な距離を把握。
念のため屋根に登って、表通りと城門との位置関係を確認。大まかな現在地を頭に入れたところで、凛はようやく長い息を吐いた。
「腕時計のストップウォッチ機能が、こんなところで役に立つとは……。電卓とメモはスマホでオッケーだし、文明の利器を持ち込めるってだけで、大分作業が楽になるな」
試しに自宅へ瞬間移動してみると、一度の移動で無事に自室へ戻ることが出来た。
久々に頭を使ったからか、甘いものが欲しくなった。
部屋に持ち込んだリンゴを手に取って、すぐまた異世界へ瞬間移動する。
先ほどの計算通り、帝国アルバトロスの中心部――城郭都市の路地に一発で瞬間移動することが出来た。
「――ぅ、えっ?」
――はずなのだが、ほんの少し出現位置がズレていたようだ。
地面に何か落ちていたようで、踏んづけてしまったらしい。
バランスを崩し転びかける。危うく足をくじくところだった。
何を踏んだのだろうと恐る恐る視線を落とすと、人間の脚が力なく伸びているのが見えた。
「――――っ」
息を呑む。細い脚は青白く、生気を感じられない。
死体だろうか。恐怖に駆られつつも、好奇心には勝てないのが悲しき人間の性だ。
うつ伏せに倒れていたのは、まだ年端もいかぬ童女だった。
ウェーブのかかった紫の髪は薄汚れ、ボサボサに膨らんでいる。
青白い肌は血が通っている様子もなく、棒切れのような四肢が取れかけのドアノブみたいに引っかかっていた。
「……ぅ、アア」
微かに呻いた童女は、湿っぽい路地の地面を細い指先でサリサリと撫でていた。
遺体ではなかったことに、凛は遅れてホっとする。
凛がいることに気が付いたのか。緩慢な動作で仰向けに寝がえりを打つと、死にかけの童女は薄く目を開き、くんくんと鼻を引く付かせた。
「……甘い、匂い」
きゅるるるるぅ――と、可愛らしい音がする。
仰向けになった童女は、恥ずかしそうに下腹に手をやった。
「えっと、食べる……か?」
手に持っていたリンゴを、転がったままの童女に渡す。
両手で大事そうに受け取った彼女は、すんすんと匂いを嗅いでいる。
やがて小さなお口を開き、齧りつく。
じゅわりと滲んだ蜜の香りが、ここまで漂ってくるようだ。
「――――!」
欠片を口にした童女は、分かりやすく目を見開いた。
凛とリンゴとを交互に見やった彼女はもう一口齧りついたかと思うと――――。
「ガリガリシャクシャクシャカムグムグムグガシガシガシガシガリガリガリシャリシャリシャリ!」
汁を飛ばし口端から糸を引き、お世辞にも可愛いとはいえない所作で一気に平らげてしまった。
「美味っ、何じゃコレ! アプリアそっくりじゃが、香りも甘みも断然違――美味っ! 何じゃコレ、何じゃコレなあコレ美味っ!」
行き倒れていたとは思えない元気な声で、味の感想を叫ぶ。
どうやら気に入ってくれたようだ。
残った芯までねぶるように舌で遊ばせ、飲み込んでしまう。
リンゴに触れていた指先までをも、名残惜しそうにペロペロする童女。
切なそうな仕草に堪らず、凛は彼女が目を離した隙に、部屋に貯蔵しておいたリンゴを追加で持ってきた。
「まだあるけど、いる?」
「――むっ、うむっ、むっむっ!」
涎を垂らし、首が外れそうな勢いで首肯する。
先ほどと同じく瞬く間に食べつくした童女は、またしても指先をいやしそうに眺めていた。
「まだあるけど」
「神! お主が神か!」
返事にもなっていなかったが、リンゴを手渡すと童女はすぐに齧りつく。
動物を相手にしているようだ。微笑ましい気分になる。
「そら、もう一個あげよう」
「――っ! ――――っ!」
「まだあるよ。ほら、また出てきた。こっちからも、ほら。……まだまだあるぞ、ほれほれ」
出せば出すほど腹の中へ消えていくのが面白くて、凛は何度も自宅に瞬間移動しては、リンゴを持って戻るのを繰り返した。
その度に目をキラキラさせて、童女は凛に飛びついてくる。
ここまで喜んでもらえると、凛としても食べさせ甲斐がある。
青森の親戚から送られてきたとかで、玄関に置きっぱなしになっていたのだ。
どうせいつも食べ切れず傷んでしまうのだから、こうして心から食べたい人のもとへ行き渡るのは、リンゴにとっても嬉しいことだろう。
「……ふぅ。流石にもう入らん。満足なのじゃ」
大きく膨れたお腹に手を乗せ、童女は幸福そうに舌を出す。
「世の中にこんなに甘いアプリアがあったとは……。長く生きてきたと思ったが、まだまだ知らないことはいっぱいあるようじゃの」
アプリアというのは、この世界のリンゴに似た果物という解釈で合っているだろうか。
渡し損ねたリンゴを齧りながら、幸せに浸る童女を眺めていた凛だったが。
やがて少女はガバっと勢いよく立ち上がると、紫色の長い髪をぶわりとなびかせ、ニシシっと歯を見せて笑った。
「妾の名前はアルディラ! お主に貰ったすんごく美味いアプリアのおかげで、妾も完全復活じゃ! 妾は心より感謝しておる! 何でもいい――言ってくれれば、妾はお主にどんなお礼でもしてやろうではないか!」
腰に手を当て胸を張り、ぽっこり膨らんだ腹を突き出した童女――アルディラは、楽しそうに高笑いをした。