また会える日まで
昨晩の騒動を鑑みるに、村の中でもう一度夜を過ごすのは危険だろう。
責任感の強いルビィのことだ。脱走しないよう寝ずの番をするとか、言い出しかねない。
それにせっかくミガサがお膳立てしてくれたのだ。
行動を起こすのは、早い方がいいだろう。
「もう夕暮れだぞ……。こんな時間に村を出たら危険だ。やはり考え直した方が」
ルビィは最後まで、凛を引き留めようとしていた。
ここまで気にされると、深い意味はないと分かっていても、心が揺れてしまいそうになる。
「もう一晩だけ、泊っていけばどうだ? ちゃんとお礼も出来ていないし――さ、先を急ぐのなら、私がワイバーンにお願いして、特別にアルバトロスまで運んでもらえるようお願いするから」
「お気遣いいただいて、ありがとうございます。……大したことをしたわけではありませんし、これ以上のことをしていただくのは、むしろ恐縮してしまいます」
早く人目のつかないところへ行って、一度自宅に帰りたいのが本音だ。
感染症などのことを考えるとトイレや水分補給の頻度も減らすしかないし、はっきり言って食事も凛の舌に合わない。
有難迷惑というのは流石に罰当たりだが、これ以上長くサロンギアの村に滞在する利点は、凛にはないのだ。
「またいつか、機会があったら」
「約束だぞ、待ってるからな!」
たった一日の関係だというのに、随分と感情を込める娘だ。
柄にもなく、凛も少しウルっときてしまった。
「では、色々とありがとうございました」
凛が見えなくなるまで、ルビィは一人大きく手を振っていた。
木立の陰に隠れ、彼女の視界から外れたところで――。
「瞬間移動」
我慢していたものを済ませるために、凛は自室へ瞬間移動した。
◆◆◆
「……まさかこのボクが撒かれるとは。あの男の子、想像していた以上の実力を隠し持っていたようだね」
気配を消して密かに凛を追っていたミガサは、茂みの陰に身を隠し、悔しそうに舌打ちした。
気配が完全に消えてしまった。
凄まじい脚力。瞬発力。さらには気配そのものを誤魔化す能力まで、持っているのか。
それどころではない。夜のうちに村から逃げ出し、夜明けと同時に寝床に戻っていた。あれはどうやって説明を付ければいいのだ。
「昨夜はルビィが村中を探してたから、村の外にいたのは間違いない。見張りも――そしてこのボクの目すら欺き、逃げるだけでなく何事もなかったようにいけしゃあしゃあと戻ってくるなんて、普通じゃ絶対にあり得ない」
怖気が生じる。ミガサが凛を村から出すことに決めたのは、この辺りのことも大きかった。
「彼の戦闘技術は、喉から手が出るほど欲しい。ルビィが彼を口説き落とし、永住の盟約を結び――サロンギアの村民として、ルビィの旦那様として、村に尽くしてくれるのなら、それ以上のことはなかった」
だが恐ろしい。もし彼が村に害を及ぼす存在であったなら、ミガサの思い描いた理想は、途端に村を滅ぼす諸刃の剣となる。
故にミガサはコッソリ凛の後を追い、一人になったところで彼がどんな本性を見せるか、確かめようと思っていたのだ。
ここからアルバトロスまで歩いて移動するなど、そんなことが出来るはずがない。
旅人だと言うのなら、それらしい格好をするべきだ。
あんな軽装でフロンドロイアの大森林を縦断するなど、よくもまあぬけぬけと。
世間知らずなサロンギアの村民なら、そんなお粗末な作り話で、騙せると思ったのか。
「幻術か……? 巨竜の伝説には、虚偽の存在を実体化する術が出てきたが……。術者はどこか遠くにいて、リンという虚構の存在を生み出していたのでは」
ならば人間は、幻影に恋をするというのか。
親友ルビィが別れ際に見せた悲痛の面持ちに、歯を食いしばる。
「……ん」
気配の消えた木立の周辺を探っていると、見覚えのあるナイフを発見した。
昨晩の晩餐の際に、凛がケルベロスの肉を切っていた――小型のナイフだ。
手に取ると、触れることが出来た。ずしりと感じる、確かな重み。
デザインや刃の強度はサロンギアの技術とは遠く離れた業物だったが、紛うことなき実在の獲物である。
「どうやらきみは、実在したようだね。ルビィの純情を蔑ろにされることには、ならずに済んだようだ」
ナイフを腰のアーマーに差し、ミガサは身を翻した。
「――ン殿! リン殿!」
聞き覚えのある声に、ミガサはすかさず木立の後ろに姿を隠した。
ルビィだ。追ってきたのだ。
ミガサには隊長としての立場の方が重要だと話しておきながら、やはり別れにより爆発した恋心には敵わなかったか。
「リン殿! ……リン殿! 私も――私も、アルバトロスに一緒に連れて行ってください!」
大声で叫ぶが、凛からの返事はない。
木陰で一部始終を目撃したミガサには分かる。
彼はもういない。
きっともう、ミガサですら追いつけない遠くまで、彼は行ってしまった。
「リン殿! ――リン殿!」
「ちょっとちょっとルビィ、どうしたのさそんな大声だして。村の方まで聞こえてたよ」
今まさに来追いかけてきた振りをして、ミガサはルビィの前に姿を見せる。
ルビィはボロボロと涙をこぼし、ミガサの方へ振り返った。
「リン殿に、もう一度会いたい……。リン殿に」
「分かった分かった。ほらほらルビィ、泣かないの。ボクが慰めてあげるからさ」
「わあぁぁぁん!」
「よしよし」
ミガサが振った時は、ここまで激しく感情を露にすることはなかった。
そう考えると、少し妬けてしまう。
嫉妬の矛先がリンであるかそれともルビィであるか、ミガサにもよく分からなかった。
「ルビィ」
「ほ、ぇ?」
「実はさっき、彼と少し話をする機会があってね。その時に、手渡されたんだけど――」
ミガサは腰のアーマーから、小型のナイフを引き抜いた。
「彼から、きみに贈り物だってさ」
「私に……?」
「いつかまた戻ってくる。その証に、このナイフをルビィに渡してくれって、頼まれたんだ」
「それをどうして、ミガサさんに……?」
「多分照れ臭かったんじゃないかな、きっと」
臭いセリフを吐いているとは理解しつつ、ミガサはルビィの気持ちが少しでも癒せればと思った。
「昨夜もきっと、外でボクたちが話してるのを聞いて、恥ずかしくて隠れちゃったんだよ。……ほら、ボクがルビィを痴女に仕立て上げようとしたから」
ミガサの即興話を、ルビィがどこまで信じたかは分からない。
それでもナイフが凛の持ち物であることは理解したのか、ルビィは涙を拭い、ニッコリと口角を上げた。
「ありがとうございます。ミガサさん」
腰のアーマーに差し、ルビィはえへっと笑みを零す。
きっとルビィは、今ではないいつか――このナイフを頼りに、凛の行き先を洗い出すだろう。
その時に改めて人柄を確認し、村民へスカウト出来れば。
彼とともに村を繁栄させる未来も、あり得るかもしれない。
「……いやー、イカンイカン。まったくボクらしくない。ルビィとあの男の子が結ばれれば、それ以上のことはないじゃないか。村に戻るかどうかは、二人が決めることさ。ボクの個人的意見など、どうだっていいことだ」
胸の奥が、少しだけ痛む。
彼の“技”は、サロンギアの娘には強すぎる――劇薬のようなものだ。
ほんの少し触れただけで、その“脅威”は本能を焼き焦がす。
「まったく。ボクはもっと分かりやすい、ゴリゴリのマッチョマンが好みなんだぞ。誰があんな、なまっちろいひょろ男を好きになるか」
ナイフを渡したことをほんの少しだけ後悔しつつも、ミガサは気配の消えた森林を、もう一度だけ振り返った。
◆◆◆
「……あれ、ナイフをどこかに落としたみたいだな」
自宅で居心地の良い一夜を明かしてから、凛は改めてフロンドロイアの大森林を訪れていた。
万が一にもミガサやルビィと遭遇することのないよう、サロンギアの村から遠く離れた場所で、凛は荷物の再確認をしていたのだが。
護身用に所持していた小型ナイフが、荷物から抜け落ちてしまったようなのだ。
「まあ大して高価なモノじゃないし、また買えばいいか」
教えられた通りの方角に中距離の「瞬間移動」を繰り返し、凛はようやく次なる地を発見した。
帝国アルバトロス。
木造が主だったサロンギアの村とは打って変わって、そびえ立つ城壁は石造りであった。
「――さて、とりあえず城郭都市までは着いたけど、どこから入ろうかな」