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59話

 ソレは、当たり前のようにソコにいた。


 いつも通り彼女の好む軽装を纏った、黒髪猫目のその少女剣士が目を青く濁らせてソコに立っていた。


 カリンを殺すべく空振った短剣を、何の表情も浮かべずに見据えたまま。少女剣士は、剣聖を見据えてダラリと両腕を垂らし。


「……勝テナイ、ナァ」


 尋常ではない殺意と、悪意と、妄執に飲まれ。堕ちた剣士として、レックスの前に立ち塞がった。









「────フラッチェ?」


 カリンは、その変わり果てた仲間の姿に絶句する。フラッチェが、北東の砦に移動になったことは聞いていた。


 その彼女が、どうしてここにいる。何故、いつの間に敵に洗脳されて────


「……あ」


 そういえば、援護がなかった。あの大量に湧き出した魔族に対し、砦で出番を待っていただろうクラリスからの援護射撃が一発もなかった。


「じゃあまさか、砦は落ちたんか」


 そう、この攻撃が始まった時には、既に砦は攻略されてしまっていたのだ。


「今はそんなのどうだっていい!! カリン、アイツは何だ!?」


 だが、今のレックスにとってはそんなことは重要な話でもなんでもない。


 彼が知りたいのは────、見覚えのある少女が何故そこに剣を構えて立っているかだ。


「……あれは、フラッチェ本人やろ」

「生きてるのか? 死んでるのか!?」

「まだ洗脳されとるだけと見た、ゾンビにされた気配は無い。あの阿呆を大人しくさせたら、治せると思う」

「そっか。戻せるのか」

「分からんがウチがやってみる。まずは取り押さえて、話はそれからや」

「おう!!」


 いきなりの『仲間』の襲撃に動揺しつつも、レックスは気合を入れ直し悠々大剣を構えた。


 親友から喝を入れてもらった直後なのだ、無様を晒すわけには行かない。


「行くぞフラッチェ!!」


 本気。それは本気の峰打ち。一刻も早く、洗脳された彼女を救い出してやらねば。


 そのためフラッチェを捕えるべくレックスが繰り出したのは、練習や稽古の時とは違う、剣聖たる彼がその技量の全てを使って振り抜いたまさに究極の斬撃。


 この世で最も早く、力強く、正確無比な一撃が細身の女剣士を襲う。


「……あああっ!!」


 亜音速にて振るわれる、剣聖の恐るべき一撃は────






「……マタ、ソウヤッテ手ヲ抜ク」





 少女剣士の、髪を掠めるだけだった。


 ブレた。振りかぶった腕に、そよ風の如く微かな重心の揺れが広がっていき。


 たった半歩、足を開いただけのフラッチェの肌を掠めて空振った。


「……っ?」


 おかしい。剣聖は確かに、彼女の胴を打ったはずだ。切り殺さないように峰打ちにはしたけれど、絶対に躱せるタイミングではなかった。


 剣を使って正確に受け流さないと対応できない、完璧な太刀筋だったはず。


「本気ヲ出セ」


 背筋が凍りつく。剣聖は混乱の最中、一撃を空振って身動きの取れなくなった瞬間、ソレを見た。


 真っ青な目が自分の瞳を覗き込み、舞うようにヒラリと少女が自分へと肉薄し。


「出シテクレ……」


 ステーキでも切るかのように、無遠慮に彼女は剣聖の上腕に剣を刺すその瞬間を。


 剣聖の二の腕から、鮮血が噴き上がった。ボロボロの短剣が、剣聖の肉を正確にえぐりとった。


「勝テナイ……」


 咄嗟にレックスは咆吼し、体を回転させ遠心力で少女を吹き飛ばす。同時に、剣聖の血肉も吹き飛んだがそれは仕方ない。


 ジクジクとした痛みが、彼の鼓動を早くする。本気で繰り出した筈の一撃があっさりと避けられ、焦燥から額に汗がにじむ。


 今何をした、奴に何をされた? 彼の脳内で、未知の動きを繰り出したその少女への『警戒心』が高まっていく。


「うおああああっ!!」


 レックスは叫ぶ。そしてゆらゆらと揺らめきながら、剣を構えるその不気味な剣士へと向き直って駆け出した。


 何をされるかわからない。ならば何もさせなければいい。


 だったら自分から仕掛けるしかない。自分のペースに持ち込まないと。ボンヤリしてたら、気付かぬうちに全身を刻まれる────



「勝テナイ」

「ああああっ!!」



 レックスが再び振り抜いたその剣筋は、何故か地面に突き刺ささった。先程から剣聖は、思うように剣を振るえない。


 いや、だからといってこれは変だろう。空振ったら地面に突き刺さる様な下手くそな振りを、生まれてこの方レックスはしたことがない。


「なんでっ!?」


 混乱の極地で、めり込んだ剣を抜こうと彼が足腰に力を入れたその瞬間。


「重心、が────」

「甘イゾ」


 フラッチェの腕が、レックスの背骨を優しく押し上げた。剣聖の大柄な体躯がふわりと浮かんで円を描く。


 自身の強靭な足腰で地面を蹴ったレックスは、その勢いのまま大地へと頭から叩きつけられてしまう。


「ぐああああああっ!?」

「投ゲナイト勝テナイ。レックスニ勝テナイ……」


 吹き出す血潮と激痛に身悶えながら、剣聖は咄嗟に周囲を乱雑に蹴り飛ばした。


 それは戦略に基づいた行動ではない。恐怖で体が勝手に動いただけだった。


 近づかれてはいけない。いま、あの少女剣士に近づかれたら殺される。


 その思いが、レックスをガムシャラに動かした。


「……チッ」


 その行動は、功を奏したらしい。レックスの蹴りは当たらなかったものの、回避行動を取らされたフラッチェからの追撃はなかった。


 皮肉にも本気で洗練した一撃はフラッチェに通じなかったが、適当に蹴った攻撃は先読みされず有効だったという話だ。


 こうしてレックスは、九死に一生を得た。








「……あ?」


 九死に一生だと? 何だ、それは。


 このレックスが。剣聖ともあろう存在が。


 自分より体格の劣る少女になす術なく追い詰められているなんて、一体どういう悪夢なんだ?


「アカン、レックス! 油断したらアカン、多少フラッチェが怪我してもウチが治したるから、本気でやって!!」


 修道女の金切り声が、レックスの耳を打つ。


 そうだ、当たり前だ。フラッチェは、あの魔族となった親友や魔剣王を無傷で打倒した女だ。


 油断していい相手ではない。手加減できる相手とは思えない。


 だから、レックスは、本気で斬りかかった筈なのだ。


「……」


 無言で、レックスを見下す黒髪の少女。


 軽すぎて殆ど防御力のないような、皮の鎧。


 短すぎて硬い鎧を貫けないだろう、粗末な剣。


 そんな少女を。そんな、吹けば飛びそうなか細い女の子を────


 レックスは戦慄の眼差しで睨みつけていた。


「カリン、メイを抱いてここから全力で逃げ出せ。俺様が、時間稼ぐから」

「は?」

「いや、逃げてくれ。カリンやメイ、そこらの工兵を庇いながら勝てる相手じゃねぇわ」


 レックスはダラダラと血を流し、手当をしようと近づいてきたカリンを手で制してそう言って。




「すまん、カリン。俺様、あのフラッチェに勝てるか分かんねぇ」




 それは、カリンが初めて見たかもしれない。


 全く余裕のない、剣聖レックスの『命をかけて戦いに挑む』覚悟の顔だった。
























 ────もし、洗脳でもされてお前さんの様子が変わったら、その瞬間に俺様が責任もってお前の首を飛ばしてやる。




 それは、いつの記憶だったか。


 レックスは、少女剣士を仲間に誘う時にそう言った。




 ────言っちゃなんだが、お前程度が洗脳されて敵に回ったところで俺様の敵じゃねーんだわ。だから安心して、俺様についてこい。




 それは、約束。


 少女剣士を仲間に迎え入れた時の、レックスの誓いの言葉。


「ああ」


 こんな事が今まであっただろうか。


 怖くて、目の前の少女に切り込めない。自分の放った斬撃全てが、そのまま自分に返ってくる。


 それは、異質。かつての『親友』が目指した先のその剣術の秘奥を、自分より年下の少女が体現して立っていた。


「強くなったなぁ」


 どこまでも濁りきった汚泥の様な青い目が、真っすぐに剣聖を捉える。


 ゆらり、ゆらりと揺らめくソイツは、呼吸の合間を抜いて気づけば懐に潜って来る。


 無拍子、とも言うその突進は────。レックスには真似のできない、剣術という技巧の極地と言えた。


「なぁ、フラッチェよう」


 攻撃をしない訳にはいかない。


 目と鼻の先にいる黒髪の少女を、放置していれば首を飛ばされる。


 だけど。


「ありがとな、ここまで強くなってくれて」


 暴風のごとく荒れ狂う回転切りを放ち、風圧でフラッチェと距離を稼ごうとしてみれば。


 彼女も竜巻に舞う木の葉のごとく、くるくる揺られ暴風の中心へと飛んできて。


 力に逆らわず、力を利用してレックスを切りつける。それは最早、人間と戦っている感触ではない。


 自然そのものと。戦っているようにすら、レックスは感じた。




「悪い、フラッチェ。手加減できない」




 ボロボロの身体を引き起こし。剣聖は、風を見据えて静かに笑った。


「俺様の修行不足だ、許せ」


 負けるわけにはいかない。


 負けてしまえば、自分の後ろで逃げている大切な仲間の命が危ない。


 魔王軍に王都を支配されてしまえば、大事な友人達が殺されてしまう。


 そうか、さっき親友が「自分を殺させた」理由はこれか。俺様に、仲間を殺すと言う覚悟を決めさせる下準備をさせたのか。



「お前を殺す、フラッチェ」

「────ア?」



 レックスは、正真正銘の本気となった。


 勝てない相手、殺すべき相手としてフラッチェを定めた。


「すまん、すまん……」


 目尻に微かな、涙を浮かべて。剣聖は自らの髪の毛を逆立て、全身全霊の力をその一振りに捧げた。






「窮地の鷹は、地を這い穿つ」





 その、レックスの編み出した奥義は。


 見てからでは決して反応できない。否、レックスに速度で迫らぬ限りその剣に触れることすらできない。


 音速を超えた、光の速度の太刀筋。


「輝剣『鷹』」


 ただでさえデタラメなレックスが、その研鑽の果てに編み出した正真正銘の奥義。


 理論上。この技を受け流すには、同じく光速で剣を動かす他に手段はない。


 この剣の間合いに入った時点で、レックスの勝利は確定するのだ。この凄まじい奥義を、剣聖は使う機会がないからとずっと誰にも見せずにいた。


 だからこそ、フラッチェは初見のはずだ。初めて見る奥義に、対応なんかできっこない。







「許せフラッチェ」


 その、レックスの剣に生きた人生全ての集大成の一撃が。フラッチェの、喉元を捉えた。








「……」

「ああ」


 だがレックスは、薄々気づいていた。


 それでは、何の意味もないと。いくら剣速を早めたところで、フラッチェには追いつけないのだと。


「隙有リ」


 喉元へ向かうはずの斬撃は大きく逸れて。フラッチェが一歩後退っただけで、剣聖の一撃は空を切る。


 そう、彼女は。


 何て言ったって、彼女は。


「未来でも見えてんのかよ、フラッチェ……」


 光速の先で戦う、先読みの剣鬼なのだから。





























「久しぶりじゃの」


 その声は、何処か深い所から聞こえた。


「そろそろ起きんか。……折角拾った命を、無下にするでないぞ」

「あん?」


 どこかで、聞いたことのある声。


 憎い敵のような、哀れな囚人のような、遠い未来の自分のような。


 そんな、不思議な心地の声だった。


「誰だ?」

「冷たいのう。以前、名乗ったじゃろうが」


 ボンヤリと覚醒した俺は、そのまま周囲を見渡してみる。


 だが、真っ暗だ。何も見えない、漆黒の闇が広がっている。


「ここは、何処だ?」

「何処じゃろうなぁ」


 その要領を得ない答えに、俺は少し苛立ちを覚えた。


 お前は誰で、ここは何処なんだ。何故俺は此処に居て、お前の相手をさせられているんだ。


「いい加減にしろ。お前の目的はなんだ」

「目的? そうさなぁ、もうワシの目的は果たされんのう」

「……何を言っている」

「人間になりたい。それだけが、ワシの望みじゃった。……忌々しい魔王かその部下かに、裏切りを見抜かれていたようじゃがの」


 その、言葉を聞いて。


 俺は、サイコロ火山で無念のうちに頭を叩き潰されたゾンビ婆を想起した。



「────まさかお前、ジャリバか?」

「久しぶりじゃの、やっと我が名を思い出したか。我が実験体よ」


 ……そう。この声の主は、俺を殺して女の身体に生まれ変わらせた張本人。


 魔王軍の配下、魔導王ジャリバその人だった。




「そうか、とうとう俺は死んじまったのか……ジャリバ、ここがあの世なのか?」

「いや、違うぞ。……ま、ここが何なのかはワシもよくわからん」

「おや? お前がいるってことは、俺は死んでしまったんだろ?」

「多分、違うわい」


 声はすれど、姿は見えず。


 闇の中で鳴り響く、その老婆の声は不思議と落ち着いていた。


「なぁ。一体何がどうなってんだ? 俺が死んでないなら、ここは何処で俺はどうなっている?」

「ここは何処かわからんが、お前がどうなっているかは想像がつく。……これはきっと、ワシの仕掛けたブービートラップじゃの」

「ブービートラップ」

「左様。……ワシのクローンには全て、『洗脳防御』のブービートラップを仕掛けておる。それが発動しているということは、お主は魔王軍に捕まって洗脳処理でも受けたんじゃろう」

「……あっ。そっか、そういや俺ってば魔王に降伏したんだっけ」

「ふん、実に幸運じゃの。お主の洗脳はじきに解けるじゃろう。本来はワシの為の対洗脳魔法なんじゃが……、ま、ええわい」


 く、く、く。そう、くぐもった声で笑うジャリバは何処か明るい声色になった。


 ああ、そうか。この女ゾンビ、自分がクローン体に移り変わる際に洗脳される可能性を考慮して、あらかじめ魔法で対策していたのね。


 この俺の体、元々はジャリバの為のクローンだしな。じゃ、この身体はジャリバの手術先だったのか。


「……あ、そうだ。一個聞いていいかジャリバ?」

「どうした、実験体」

「あの、俺の記憶持った魔族って何なんだ?」

「ん? あー、あれか。お前さんが生前は高名な剣士だと聞いて、魔剣王にねだられてな。資金提供と引き換えに作ってやった」

「……成る程? あれ、でもそれじゃ」


 だとすれば、おかしくね?


 だって、記憶をもったクローンを作り上げられるなら。記憶を持った自分のクローンを作成するだけで、ジャリバの悲願は達成されるんじゃないだろうか。


「……記憶を持ったクローンが作れるなら、俺の脳をわざわざ移植する必要なくないか?」

「何でじゃ?」

「だってクローンが作れるなら人間の死体を集める意味や、まして俺を使って実験する意味は無いじゃないか。最初から自分のクローンの脳を自分の別の素体に移し変える方法で実験出来ただろうに」

「ああ、そんなことか。簡単だ、そのクローンの原材料がそもそも人の死体なのじゃ。それにお前の死体はちょうど良く『腐っていた』からのう」

「……は?」




 その、ジャリバの返答は。


 何とも意味の分からぬ、恐ろしい答えだった。


「く、腐ってた!?」

「そう。ワシの部下は物臭でな、死体を保存するときに時折冷蔵し忘れよるんじゃ」

「え、え、え?」

「で、お前さんの死体はほどよく腐り、蛆虫が湧き、所々が朽ち果てて────」

「やめろ! 俺の死体の解説すんな、聞きたくねぇ!!」

「お前さんから聞き始めたことじゃろうに」


 許せねえ。つまりあの俺を不意打ちした糞魔族ども、俺の体をその辺にポイしやがったんだな。


 それで、俺の体は腐っちまったと。人の体だぞ、もっと大事に扱えよ。


「でだ! 俺の体が腐ってたからといって、何で移植を……」

「決まっとろう。それこそが、我が望みだったからよ」

「……む?」

「自分の記憶を持ったクローンを作ったところで、それはワシと言えるのか? 技術的にはワシの記憶を持った人間を作ることは出来たのだが、ソイツはあくまでクローンであってワシではない」


 ……?


 なんだ、何いきなり難しいことを言い出したんだジャリバの奴は。


 ジャリバの記憶を持ったジャリバのクローン人間は、ジャリバと言えるんじゃないのか? だってそれは100%ジャリバだろ? 


「お前さんのクローンが居ったじゃろ? ……あやつはお前本人と言えるかの?」

「む。違うぞ、アイツは偽物だ」

「そうだとも。最も、クローン本人からしたら自分こそ本物と思うだろうがの」


 ああ成る程、そう考えれば納得できる。


 ゾンビのジャリバ的には、自分と全く同じ記憶を持ったクローンが人間として生きていくのに、自分はゾンビのまま過ごさないといけない訳だ。そんなの嫌に決まっている。


 じゃあ、ジャリバの目的は……。


「よく考えろ。ワシはゾンビで、身体が朽ち果ててるんじゃぞ」

「……」

「朽ちた死体の脳を再生して、生きた人間の体に移植する技術。ワシの夢にはそれが必要不可欠で、その唯一の成功例が貴様なんじゃよ」

「そーだったんだな」

「ワシはワシのまま、人間になりたかった。その為に一番の障害だったのが、『朽ちた脳の再生』。その技術の目処がやっと立って、後は費用と時間さえあればワシは元の体に戻れたというのに、……口惜しいのう」


 悲しそうなジャリバの声が、暗闇に木霊する。


 コイツ的には後一歩だったんだよな。あの一日処刑されるのが遅ければ、ジャリバは本懐を遂げていて。


 それで、今の俺の少女の体を使って大魔導師として人と共に戦っていたのだろう。その隣には、男の俺の体に入った俺が居たかもしれない。 


「……ごめんなジャリバ、お前を助けてやれなくて」

「何を言うとる。そもそも、お前を殺したのはワシじゃろうが。そんな義理なんぞ、お前にはなかろ」

「そうだな。でもさ、やっぱゴメン」

「変な奴だの」


 俺が謝るのも変かもしれないけど。ジャリバと共に戦う未来があったかもしれないともうと、少しだけやるせない。


「ま、そもそもワシももう死んどるからの。ここでお前に話しかけてるのこのワシは、おそらくお前の体に残ったワシの残留思念のようなもんじゃろ」

「残留、思念?」

「そ。……ワシの描いた夢の、その些細な飛沫みたいなもんよ。あんまり感傷的になるでない」


 そういうジャリバの声は、ほんのりと優しさを帯びていた。


 ……ひょっとしたら彼女は、俺を慰めようとしてくれたのかもしれない。

 

「さ、そろそろ正気に戻るぞ実験体。……確認できる限り周囲に生きている魔族がいなくなって、暫く時間が経てば正気に戻る手筈になっとる」

「お、そうなのか」

「外の状況はわからんが、洗脳されてる以上は人間と交戦中の可能性もある。ゆめ、気を抜くな」

「……ああ」

「頼んだぞ。ワシの夢は潰えたが……、せめてワシの体だけでも、幸せな一生を送らせてやってくれ。無論、そんなことを頼めた義理ではないんだが」

「ああ、いや。任せとけ」


 そんな、彼女の言葉を最後に。


「達者でな────」


 ────俺の視界が明るく染まり、




「……っ?」



 そして、一面の燃え盛る平原を映し出した。


 なにこれ、地獄絵図?






















 視界が明るくなって。


 最初に俺の目に映ったのは、血塗れの誰かに向かって剣を振り下ろす俺の右腕だった。


「……っ!?」


 これは、当たるタイミングだ。このまま振り抜けば、目の前の誰かの首は両断されるだろう。


 誰だ、俺が今殺そうとしている奴は。敵か? いや、洗脳された俺が戦っていたということは敵ではない。


 だが、今更もう遅い。こんな突然に、振りを止めるなんて出来ない。だって、もう俺の剣は奴の頚動脈にめり込んでいて────



「ふんっ!!」



 そのまま。俺の短剣は、敵の顎と頸部筋肉に挟まれ白羽取りされてしまった。


 ……はい?



「痛ぅっ……。ぜぇぜぇ、やるじゃねぇかフラッチェ。だがまだ終わんねぇぞ」

「……」



 そして俺はようやく、今まで戦っていた相手が誰かを知る。


 レックスだ。俺は今の今まで、レックスとガチバトルをしていたらしい。そうか、レックスなら首筋を切りかかられた程度で死なんわな。


 レックス以外だったら即死だった。


「あー……」


 酷い有様だ。レックスは全身を血で濡らし、肉がところどころ抉れ、肩で息をしながら立っている。


 どうしたレックス、お前らしくもない。誰にそんな苦戦したんだ、見たことないぞお前がそこまで追い詰められてるの。


「行くぞぉぉぉぉ!!」

「え、あ、ちょっ」


 豪、と風を切る音がして。レックスが全身をバネに、ハリケーンの様な斬撃の嵐を吹き起こした。


 回転を軸に終わることのない、無限の連撃。それはまごうことなく、俺の体の正面を捉えていた。


「死、死ぬっ!?」


 避ける。躱す。受け流す。


 落ち着けレックス、俺はもう洗脳が解けてるから。いや、口で言ってもわからねぇか?


 レックスの目が座ってる。色々と覚悟を決めて、剣に心を委ねて戦っている。


 くそ、しかも斬撃は本気モードだ。無我夢中で本気のレックスを宥めろってどんな冗談だよ、死ぬわ。


「……フラッチェぇぇ! お前は何としてもっ!」

「レックス、聞けっ……」


 幸いにも怪我の影響か、はたまた手加減されてるのか知らないが剣速は大したことがない。前に見た本気モードより幾分か遅い。


 一方で俺は無傷だ。体力にもまだ余裕はあるから、なんとか受け流せる。裏を返せば、俺も受けるのに必死でレックスに語りかける余裕がない。


 いつまで回ってんだよレックス、独楽かお前は。


「……う、ぐぅ」

「……は、はっ」


 ……あ。まさか、今の状況って。


 レックスがここまで傷ついたのって、俺のせいだったりしないかこれ。


「フラッチェっ!!」

「レックスっ!!」


 レックス程の男と戦って、俺が無傷で体力も余裕が有るわけがない。ものすごい強敵と戦ったあと、俺と連戦してる可能性もあるが────


 この男、もしかして俺を傷つけずに取り押さえるつもりで戦ったんじゃないか。


 元々攻撃を当てづらい俺に、手加減して一撃を加えるのはしんどかろう。レックスの一撃は、当たれば俺を殺すだろう。


 だからこそ、前の魔族俺を仕留めた時のように。手加減して戦って、無駄に傷を負って。優しく仲間思いなレックスなら有り得る話だ。


 くそ、レックスなら何とかしてくれると軽く考えすぎていた。そうだ、この男が仲間である俺を殺すことなんて出きっこないじゃないか────



「ぬぅん!! 外したか畜生!!」

「……ヒィ!!?」



 そう思って余裕をぶっこいた瞬間。レックスは、考え事で動きが止まった俺の首目掛けて大剣を振りぬいた。


 ……反応が一瞬遅れたら、俺は生首になっていただろう。


 こ、こ、殺す気かぁ!!


「悪いが次こそ、殺させてもらうぞフラッチェ……」

「……っ? えっ!?」

「フラッチェぇぇぇ!!」


 殺る気満々ですやん!! 待って、手加減してくれてたわけじゃないの? じゃあ何でお前そんなにぼろぼろなんだよ!


 やっぱ連戦か。まさか、魔王倒した後に俺と連戦してて余裕がないとかそういう感じか? いや、魔王死んだならその瞬間俺の洗脳溶けるんじゃねぇの?


 待って、少し落ち着いてくれレックス。話し合おう、な?


「ま、待てっ」

「フラッチェ、お前は、お前だけは!」


 あれ? それとも俺、恨まれてる!? まさか意識無い時に何かやっちゃいましたか俺!?


 例えばカリンメイちゃんあたりを傷つけてしまったとか? それでレックスが激怒している、というのも有り得る。


 お前だけはって何。そんなに俺、やばいことやったのか!?


 恐ろしい想像が次々と浮かんできて、俺の顔はどんど青くなる。嫌だ、もし俺が仲間たちを傷つけてしまっていたとしたら……




「お前だけは────ずっと一緒にいたかったのにっ!」




 そう行って斬りかかってくるレックスの目には。血と混じった、微かな涙が浮かんでいた。


「お前は、アイツが死んだ俺様に残された……生きる希望だったんだ」

「……」

「生きる意味を再び教えてくれた、そして俺様の居場所まで追いついてきてくれた、たった一人の女だったんだ」


 剣聖はそう言うと。


 受け流して地面に誘導し突き刺した大剣を支えに、グラリと揺れながら立って、俺を微笑み睨んだ。


「悪い、約束果たせそうにない。洗脳されておかしくなったお前の首、飛ばせそうにない」

「……レックス」

「お前の勝ちだよフラッチェ。俺様も努力を怠ったつもりはないんだが……、まだ足りなかったのかね」


 ああ、さっきの猛攻撃は。残り体力の少ないレックスが、最後の力を振り絞った渾身の斬撃だったんだ。


 もう、この男に剣を振るう余力など残されていない。よし、ならもう洗脳が解けていることを教えてやろう。


「……洗脳されて、おかしくなって。そんなお前に言うのも、情けないんだがよ」

「レックス。聞いてくれ、実は」

「フラッチェ。俺様、お前のことが好きだった」









 ……。









「もともと大好きなんだ、お前みたいな女がさ。底抜けに朗らかで、裏表もなく、善性の女が。本気で弱ってる時に、甘やかさず支えてくれる女が」

「……は、へ」

「気付いてたか? 出会って数日で、俺様はお前に惚れ込んでたぜ。……まさか親友の弟子とは思わなかったけどな」


 ────はい?


 あ、え、そうなの? そっか、一応俺は女体か。なら、そういうこともあるのか。


 ……。いや、え?


「どうした、殺さないのか」

「……」

「……ん? フラッチェ?」


 待って。ちょっと待ってください。


 考える時間をください。なんだそれ、ちょっとそんなの考慮してないんだが。


 何でいきなり告白なの。何でこのタイミングでそんな事言うの。あ、そっか今際の際だからか畜生。


「フラッチェー……?」

「……」


 待って、それはちょっと無理なんだが。いや、流石にレックスをそんな目で見るのは無理だ。


 ふぅ、落ち着け落ち着け。うん、落ち着いた。


 そっか、振ればいい話だ。俺が正気に戻ったことを伝えいた上で振る。これで万事解決よっしゃあ。


 さ、冷静になったところで改めてレックスに向き合うか。



「────なんか知らんけど隙有りぃ!!」

「……ふぇっ!?」



 ようやく落ち着いて、顔を上げた刹那。


 レックスが俺目掛けて飛び込んできて、そのまま地面に俺を押し倒したのだった。


「が、がははは!! 勝った、俺様の勝ちだ! なんか知らんけど、油断していたところを取り押さえたぜ!」

「なっ!? レックスなんだそりゃ、もう決着はついてただろ!」

「最後に笑ってる奴の勝ちなんだよ!! おら剣手放しやがれ、この化け物め!」

「ああっ! くそ、この馬鹿力! 返せー!!」


 油断大敵とはこのことか。取り押さえられて腕力勝負になれば、貧弱な俺でレックスに敵うはずもなく。


 敢え無く剣を没収され、俺はレックスに取り押さえられたのだった。


「よーしよし。これで、フラッチェも正気に戻してやれるぞ」

「……あー。それなんだがな、レックス」

「どうしたフラッチェ。……む? なんかお前、目に光が戻ってね?」


 血まみれの巨漢に上乗りされ、手足が動かぬよう取り押さえられた俺は。呆れたような声で、レックスに事実を告げた。


「さっきから正気に戻ってたぞ。……話しかけてただろ、戦闘中」

「……ん?」

「てか、途中から一切反撃してないだろ、気付けよ」


 その、かなり恥ずかしい事実を。

























「俺様死にたい」

「……」


 レックスが欝になりました。可哀想に。


 いや、あっさり魔王に屈して敵に回った俺が悪いんだけど。お前なら楽勝でフォローしてくれると思ったんだ、許してくれや。


「なぁレックス……」

「色々恥ずかしくて死にたい」


 だめだこりゃ。目が死んでる。一度正気を取り戻させないといかん。


 えーっと。確か死にたくなった奴には発破かけるんだったな。


「どうしたレックスー! やーい、この恥ずかしい奴め!」

「この世から消えてなくなりたい」

「効かないか、こりゃ重症だ」


 追撃で煽ってみたら、レックスの目がますます死んだ。逆効果だったようだ。


 どうしたもんかね。


「生まれ変わったら俺様タコになりたい」

「やーい、このタコ野郎!」


 そんな、平和な煽り合いは。


 戦闘が終わったことを察したカリンが兵士を引き連れて戻ってくるまで続くのだった。

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