58話
荒れ狂う豪焔を背に、その魔族は立っていた。
決死の覚悟を顔に浮かべ、煤と熱風で汚れた軽鎧を身に纏い。
かつて『風薙ぎ』と恐れられた剣士の成れの果てが、剣聖の前に立ち塞がった。
「降伏する気は、ねぇんだな?」
「俺は死んでも、お前に負けを認めない」
「だよなぁ!」
ビリビリ、とした剣気が空間を満たす。
仲間のハズの魔王軍の大半が焼き払われてなお、その魔族は戦意を失う素振りを見せない。
いや、そもそも今の彼には。
「レックス、今日こそお前を殺す。先の様な無様は晒さない」
「そうだな。俺様も前みたいなポカを二度とやらかすつもりはない」
レックス以外、目に映っていないのかもしれない。
剣聖は剣を握り締め。
魔族は剣をダラリと垂らし。
「「勝負だ、親友!!」」
真っすぐに、二人は飛びかかって斬り合った。
どうしてだろうか。
俺はどうして、レックスと闘っているのだろうか。
魔族は、一人悩んでいた。
俺は死んだはずだ。なのに何故、まだ剣を振るっているのだろうか。
調子に乗って油断して、あっけなく囲まれて殺されて。
なのに、俺は何故レックスに斬りかかっているのだろうか。
剛剣が唸り、俺の短剣が軋む。
魔族となった俺の身体は、以前の様にレックスの剣を受け止めただけで吹き飛ぶようなことはなくなった。
だから、互角だ。見かけの上では、俺とレックスは互角に打ち合っていた。
レックスは楽しげに、俺の剣を受け止める。舞を踊るがごとく、俺は奴の剣を受け流す。
これは、かつて俺が求めていたものだ。レックスという強大すぎる剣士に、敗北の味を知らしめる力だ。
だから、俺がレックスに斬りかかる行動は間違いではない。間違っているはずがない。
だから、無心に俺は剣を振るう。レックスの首筋めがけ、必殺の剣を抜く。
そう、これで間違っていない。俺は、レックスを殺すべきなのだ。
愛すべき魔族のために。敬愛する魔王様のために。
「……ああ」
それは、剣士の頂上決戦。
剣を極めた2人の男が、その全てを出しあった決闘。
「ああ、畜生」
風薙ぎは。風薙ぎと言われた柔剣の極地たるその男は、唇を噛み締めて悔しがっていた。
「ああ、魔族共め。俺とレックスの神聖な決闘を────」
そう。その魔族は気付いてしまったのだ。
「俺とレックスの決闘を、侮辱しやがって────っ!!」
魔族が愛らしくて仕方ない。
俺は魔族の中で強くなりたい。
魔王という絶対強者に付き従って、自身を高めたい。
「糞ったれ!!」
そんな欲望が、自身の心の中を渦巻いている。
魔王に頭を垂れ、魔族の一人として戦うことを本能が求めている。
「バカ野郎!!」
ダメだ。俺は魔族だ。
魔族の将、魔剣王により生み出された元人間の尖兵。
それが、俺だ。
「違うと分かってんのに……」
レックスを見ると、憎悪が止まらない。
人間を見ると、怖気が走る。
ああ、油断したら切ってしまう。笑顔で歩いている幸せな人族を見るだけで、惨殺したくなる衝動に駆られる────
レックスの大剣が、大きな円を描いて俺を吹き飛ばす。
剣自体は受け流しているのでダメージはない。だが、またレックスの得意な間合いに引き離されてしまった。
憎い。無条件に強く、鋭く、重い剣筋のレックスが憎い。
殺さねば。この、レックスという俺の親友を殺さねば。
「……」
「……」
互いに無言。幾重に剣を交わせど、言葉は交わさない。
言葉を交わす余裕がない。レックスを相手取って、口を動かす余裕などない。
だから俺は無言でレックスの剣を躱し続け、唇を噛み締めて泣いていた。
振るわれた袈裟斬りを、紙一重に躱して。レックスの首を刎ねるべく、俺は一歩前に出る。
俺の短剣はゆっくりレックスの首元に吸い込まれ、そして奴の小手に弾き飛ばされる。
届かない。俺の一撃はレックスに届かない。
魔族に堕ちて、人外の筋力を手に入れ、それでなおレックスに届かない。
「ズルっこだよな、こんなのさ」
俺の目標ってなんだったっけ?
レックスを殺すことだっけ?
魔王様が世界を統一するのを助けることだっけ?
いや、違う。俺は、ただ────
「2409戦2336勝だ、親友」
気づけば。俺は、大地に身を投げていた。
短剣は、遠く何処かに転がっていった。
「今度は油断しねぇからな。簀巻きにしてやる、覚悟しろ」
そして、レックスが俺を見下ろして笑っていた。
俺は。魔族に身をやつしても、レックスに勝てなかったらしい。
インチキをしてまで凄まじい筋力と頑丈な肉体を手に入れても、俺は負け犬らしい。
いや、そもそも。
俺はもうずっと前に、魔族に負け殺された負け犬なのだ。
剣聖と風薙ぎの決闘は、かなりの時間をかけて終幕した。
100を超える極上の剣の応酬に、見るものは皆感嘆した。
だけど。結局、勝利したのはレックスだった。
「お見事さん、レックス。流石やね」
「ガハハハハっ!! 油断さえしなけりゃ、こんなもんよ!」
大剣を突きつけられて横たわる風薙ぎを、レックスは機嫌良さげに見下ろして。
油断なく、睨みつけていた。
「……まだだ、レックス」
「あん? いや、流石に負けを認めろよ。今から何をしようとも、俺様がお前の首を刎ねとばす方が早いぞ」
「それがどうした」
なんたる、負けず嫌いか。
剣を弾かれ、首元に大剣を添えられてなお。その魔族は、負けを認めなかった。
「俺は、ここからでも勝つ。あらゆる手段を用いて、お前を殺す」
「……あのなぁ」
「俺は本気だぞ、レックス」
ズタボロの体躯を震わして。負けたその魔族は、剣聖に向かって咆吼した。
「人間だった頃の俺の目標は! 俺の決意は! お前を無敵になんかさせないって事だ!」
……それは、きっと。
風薙ぎという男の、何も飾らない本音だったのかもしれない。
「レックスが勝って当たり前。そんな馬鹿げた話があるか、なぁ! 勝者は讃えられて然るべきだろう!」
「……親友?」
「俺は、お前を一人にしたくなかった! お前と共に冒険者をしなかったのも、『お前の弟子』の様に扱われたくなかったからだ!」
「……」
「お前には敵がいるぞレックス、そう言ってやりたかった。俺は、お前の敵でありたかった!」
剣を突きつけられた魔族は。みっともなく大泣きしながら、真っすぐにレックスを見据えてそう叫んだ。
「おかしいよなぁ、俺。何で魔族なんかに味方してんだろなぁ! 何で、魔王なんかに尻尾振ってんだろうなぁ!? 自分が分かんねぇ、何も分かんねぇけどこれ一個だけ間違ってないって自信あったんだ」
その、みっともない泣き叫びにレックスの頬が凍りつく。
「レックス、お前は敵だと。お前を殺すために俺は生き返ったと。そう魔剣王に聞かされたから、俺は自分のやってることが間違ってないって確信したんだ!」
ガタガタと、顎を震わせて。魔族に落ちた剣士は首筋に剣がめり込むのも構わず起き上がろうともがく。
「何で俺を生かそうとする! 何で、俺を殺そうとしない!」
「親、友……」
「俺はお前の敵足りえないのか!? 俺じゃあ、お前の敵と認めてくれないのか? どうなんだよ、レックス!!」
それが、本音だった。
何かもを失い、死体を魔王軍に利用された哀れな剣士の本音だった。
彼は名声が欲しかったのではない。最強になりたかったのではない。
彼はただ、
「俺は……お前の敵だ。そうだろ、レックス」
ただ、強くなりすぎて絶望しかかっていた親友を。
家族をみんな失って、元気がなくなってしまった親友を。
「……お前の好敵手は、ここにいるぞ」
────元気づけてやりたかっただけの、お人好しなのだ。
「……あ」
レックスは察した。
この親友が、レックスという剣士に何を求めているのかを。
「なぁ、聞いてくれよレックス。俺は、もう死んだ人間なんだ」
懇願するように、魔族はレックスに語りかける。
「死んで、体を作り変えられて、心を弄られて。そうここにいるのは、お前の親友の記憶を持っただけの魔族なんだよ」
「……おい、何を言ってる親友」
「だから、お前の親友はとっくに死んでいて。俺は、その記憶を持っただけの模造品だ」
ぷしゅ、と血が噴き出す。
レックスの突きつけた大剣に、風薙ぎが自ら首を押し当てたのだ。
「こんな模造品を親友と呼んだら、元々の俺が可哀想じゃねぇか」
「いや、待て、お前」
「この記憶の持ち主ならきっと、最期までお前の敵であろうとする。だから、俺は諦めちゃいけないんだ」
吹き出した血に動揺し、レックスは思わず剣を緩めてしまった。そして、風薙ぎの体躯が自由となる。
「レックス、お前を殺す」
そう言って、血を噴き出しながらレックスに突進した魔族を。
「……やめろ」
レックスは反射的に蹴飛ばしたが、それでも彼は何度もめげずに向かってくる。
それはまるで、
「俺はお前の敵だぞレックスぅ!!!」
「やめてくれ、俺様にそんな!」
「認めろよ! 俺じゃ不足なのか!? 俺じゃ、お前の敵足りえないというのかよ!!」
それはまるで、レックスを諭しているかのような。
「そんなことはない! お前は、お前が居てくれたから俺様は」
「だったら!!」
その、悲痛な金切り声と共に。風を纏ったその魔族は、真っ直ぐレックスの腸へ腕を伸ばし────
「────そうだ、それでいい」
そして。
魔族は、レックスに飛びかかるのをやめた。
「ありがと。俺は、お前の好敵手たりえたかな」
「十分だったよ、畜生……」
いや。もう彼は、レックスへ向かうことが出来なくなったのだ。
「完敗、だ」
何せ、彼の胴体は剣聖により両断されたのだから。
「最初からそうしろってんだ。だから、無駄に仲間を危険にさらす」
「うるせぇ。出来るわけねぇだろうが、お前を殺すなんて」
「俺が記憶持っただけの偽物だって、もっと早く見抜くべきだったなレックス。……ま、アホのお前にはちっと難しかったか」
魔族の顔から、生気が無くなっていく。
青黒い、人間味のない血液を振りまきながら。風薙ぎの記憶を持った魔族の目から、光が失われていく。
「なぁ、レックス。これでもう、二度と油断はしねぇな?」
「油断? もう、油断なんぞするはずがあるか」
「なら安心した。────死ぬなよ、レックス」
その、魔族が命尽きる最期の瞬間。
彼は微笑みながら、レックスを見据えて懇願した。
「なぁ。俺ってば記憶が無いんだが、弟子がいたらしくてな」
「何? しらばっくれてたわけじゃねぇのか」
「ああ、あの娘の後始末を頼む。偽物の親友からの遺言だ」
その願いを聞き受け、レックスは頷いた。元よりレックスもそのつもりである。
「本当に頼んだぜ。アイツ、何か知らんけどアホ程強くなってるし」
「……そういやお前は、今のアイツと戦ったんだっけ」
「負けたというか、勝負してもらえなかった。そんな感じだわ、見えてる物が違うんだろうな」
弟子に追い抜かれちまって情けない、と彼は自嘲して。
「でもお前なら、あの化物もなんとか出来るんだろう。任せたぞ、レックス」
その言葉を最期に、彼は永遠の眠りについた。
北東砦。
それは魔王が衝動的に戦いを求めて攻め入った、人族の重要拠点。
「────マジかよ」
魔王という札は魔族にとって切り札だ。
『戦い』という舞台に出せば勝てる、まさに鬼札。対策さえされなければ、彼より強力な手札は存在しないジョーカー。
その、筈だった。
「何なんだこれは! オレは何と戦っているんだ!?」
きっとそれは事実だ。
単体で魔王より強い存在などこの世界の何処にもいない。そもそも魔王の持つ強靭な肉体にダメージを与えられる存在すら、両手の指で数えられる程の数だろう。
その、貴重な『魔王に有効な高い攻撃力の持ち主』が。
「お前は質量を持ってるのか!? 持っていないのか!? そこにいるのか!?」
「見れば分かるだろう、魔族」
「分からないから聞いている!」
『ありとあらゆる攻撃を凌ぐ神域の防御の妙手』に守られている、この異常な布陣だからこそ。
「何故オレが、人族なんかに力押しされてるんだ!?」
「お前が弱いからだ」
絶対的強者たる魔王は、まさに窮地に立たされていた。
端から見ているクラリスですら、その剣士の技巧の1割も理解していないだろう。
強大な魔族が拳を握りしめ、振りかぶり、そして突きだす。その、三つの動作それぞれの『出がかり』を、僅かに逸らして敵の攻撃をコントロールする。
手を使って静かに押したり。敢えて隙を晒して、敵の攻撃先をずらしたり。不可解な歩法を使い、敵の目測を狂わせたり。
それは最早、剣を用いた奇術と言っても差し支えない程に洗練された動きだ。非力な剣士が強大なライバルを打倒するために、生涯をかけて身に付けた至高の技法だ。
「勝てる、の……」
「勝てますね、クラリス様」
クラリスは、ほのかに安堵の表情を浮かべた。
少しずつ、少しずつではあるが敵の魔族の動きが鈍くなっている。一方でクラリスはまだ魔力に余裕が有り、フラッチェに疲れた様子も見えない。
このままいけば、無事に勝利を掴むことができるだろう。
「フラッチェが何をしているのか全く理解できん。理解できんが、あやつ一人でどれだけの攻撃を凌いどるんじゃろうな。まこと、レックスとは別方向の化物よ」
「……」
そう言いながら、灼熱の龍をヒョイと生み出し魔王へけしかけるクラリス。兵士は、どっちもどっちだと思っていた。
本人達は気付いていないが、ここで魔王を仕留めることができたらそれで人族の勝利が確定する。魔族が人間領に攻め込もうと決心したきっかけがこの『魔王』と言う絶対強者の存在なのだ。
彼が敗れた時点で、残りの魔族は我先にと逃げ出すだろう。
「あの化物が魔王なのか、はたまた敵の大将軍格なのかは分からんが。きっと、奴を仕留めておけば後々凄く楽になろう」
「間違いありません」
なんとなく、クラリスもそれを察していた。
この勝負こそ、勝敗の分かれ目の決戦であると。ここを逃せば、正面からあの魔族を倒すことは出来ないと。
「魔道職のものよ集まれ、魔力を借りるぞ。戦士職のものは、我の元に倉庫からポーションを運べ」
「御意」
「我ら一心同体となって、あの魔族を屠ろうぞ!」
クラリスは全てを出し切って。
あの魔族を屠る決意を固めていた。
「ごきげんよう」
そんな、クラリスとフラッチェの前に。
魔王を追いかけてきたらしい部下の魔族が、突然に姿を現した。
「お初にお目にかかります、人間共。我ら、蝙蝠の一族にございます」
「……ほう、増援か。死体が増えるだけぞ!」
その、魔族側の援軍を見てクラリスは猛った。
そう簡単に事が進むとは思っていない。あの魔族は間違いなく大物だ、どこかで邪魔が入ると思っていた。
ならば、クラリスは自らの奥義をもってその全てを屠る心づもりを立てていた。
「お、やっと追いかけてきやがったか蝙蝠。人間ってのがここまで強いとか聞いてないぞ!」
「ええ、当然ですとも。我らも驚愕しているところです」
「だったら力を貸せ。あのちっこい魔法使いを潰せ!」
魔王にも、余裕がない。
彼は体力は削られ身体もボロボロだと言うのに、敵は傷一つ負っていない。
敗北と死が頭をチラついて、さすがの魔王も追い詰められていた。
「……魔王様。敵が厄介であれば、搦手を用いるのも一興です。卑怯な手段は人族の専売特許ではありますまい」
「搦手だと?」
「ええ。この砦には、軍人以外の人族も居たようでして。彼ら人族は存外に情に厚いと聞きますれば────」
魔王だけに焦点を当てず、広範囲を焼き払う殲滅魔法の術式を解放し。新たに現れた蝙蝠の魔族ごと焼き払おうと巨大な焔柱を生み出したクラリスの目に映ったのは。
「……」
蝙蝠に捕らえられて目一杯に涙を浮かべる、自分の妹より年下だろう少年だった。
「……人質?」
「左様だ、人族の魔法使い様。彼を生かして欲しくば攻撃の手を止めてくださいな」
魔族が、人の子を盾に脅す。
それは、クラリスをして想像もしていない事態だった。何故ここに子供がいるのか、何故力に勝る魔族が姑息な手段を使うのか、いつの間にあの蝙蝠は人質を取ったのか。
「……」
「ほら、この子供はこんなに脅えている。可哀想とは思いませんか」
混乱の絶頂にあったクラリスは、思わず魔法の手を止めてしまった。彼女は優しすぎる人間だ、子供を見殺しにすると言う選択など取れる筈もない。
「おお、でかした蝙蝠っ!」
その隙に、魔王は喜々として跳躍し────
「誰が可哀想だ! この腐れ魔族め!」
魔王の渾身の殴打でクラリスの障壁が割れたと同時に。蝙蝠に首筋を握りしめられた少年は、全力でクラリスに向かい叫んだ。
「俺を見くびるな、魔族!」
確固たる決意を瞳に滾らせて、その少年は笑う。
「俺を殺すつもりなら、好きに殺せ。俺なんかに遠慮して、戦いを止めてくれるな戦士達!」
その決意の篭った咆哮を聞き届け。風が再び、魔王へとまとわりついた。
「俺はソータ! この国一番の大商人になるはずだった、魔族に兄を殺された人間よ!!」
再び魔王は、目測を誤り打撃を空振る。その隙に、クラリスの生み出した炎の柱が魔王を直撃する。
────蝙蝠は、舌打ちしてその少年を睨みつけた。だが、少年も負けじと蝙蝠を睨み返す。
「兄の仇に利用されてまで、生き延びるつもりなし! アホそうなねーちゃん、俺の敵討ちも任せたぞ!」
「……任されよう。見事な覚悟だ、ソータ」
その少年の目には、決意の炎が燃え盛っていた。
勝てる。
この化物じみた魔族の殴打は、見てから反応できなくとも先読みで対応は可能だ。
あとは、意識と拳先を誘導すればクラリスを守り抜ける。クラリスが俺の代わりにコイツを仕留めてくれる。
「くそ、逃げるぞ蝙蝠! 時間を稼げ────」
「私では時間を稼ぐことすら出来ないでしょうな。それと、あの魔導師に背を向けて逃げ切れるとは思えません」
「ちくしょう!」
蝙蝠は困ったように肩をすくめ、金色は絶望の声色で悪態を吐く。それは、紛れもなく俺達の優勢を物語っていた。
ミーノの言ってた意味が少しわかった。成る程、俺は後ろに超火力の魔導師がいる状態が一番輝くのか。
攻撃をすべてクラリスに任せて良くて、俺は攻撃をいなすだけでいい。これは、何というか凄く楽だ。
「フラッチェ!! もうひと踏ん張りぞ!!」
「おう!!」
俺の背後から、虹色に輝く爆炎が沸き起こる。ソレらは全て、至高の魔法使いによる強力な俺への援護。
なんと頼もしいことか。クラリスという化物が後ろに居てくれるだけで、こんなに気が楽になるものなのか。
この砦を守るだけでいいなら、俺は彼女と共に100年だろうと守り抜いてみせよう。負ける気がしない、とはまさにこのことだ。
「なんとかしろ、蝙蝠っ!!」
「いま頑張っていますよぅ。全く、これに懲りたら二度と勝手に出陣なんぞしないでくださいね」
「いいから何とかしてくれ! 悪かったから!」
焦燥混じりの魔族の声。
あの魔族さえ片付けたら、後は蝙蝠を屠るのみ。うまくいけば、あの気高い詐欺リンゴ少年も助けてやれるかも知れない。
ここは、気合だ。気合の入れどころだ。
「ぐ、そろそろ、力がっ」
「……好機なり!」
グラリ、と魔族の体幹が揺らめいて膝をつき。その直後、クラリスは熱光線のような凄まじい熱量の魔法で魔王を焼き尽くした。
「ぐあああああああっ!!」
「滅せよ! ペディアの地の塵芥となるが良い!」
これは、終わったか。これは、とうとう勝ったか────
「そこまでだ、人間! さぁ少年、今の言葉をもう一度どーぞ?」
そう、勝利を確信した刹那。
再び、蝙蝠の化物が少年の首を掴み上げて声高に宣言した。
「……あ、あ」
「無理もないです。それが正常です。先程は少し、蛮勇を発揮してあんな心にもないことを口走ったんですよね少年」
「あ、あ……」
「見なさい、あそこに転がる顔のへしゃげた兵士の死体を。思い出しなさい、冷たく腐り炎の中で炭となった貴方の兄とやらを」
……その、ソータの表情からは。先程までの、真っ直ぐな決意が見当たらなくなっていて。
「死とは終わりです。貴方は路傍に放置され、蛆虫に身を蝕まれ、ドス黒い炭となって真っ暗な地中深くに埋められるのです」
「でも、いや、俺は」
「怖いでしょう? 恐ろしいでしょう? さぁ、言いなさい。あなたは、一言乞えば助かるのです」
ああ。あの魔族、やりやがった。
悲壮な決意を持って死を覚悟したソータに。その『死の恐怖』を、言葉で刻み込みやがったんだ。
「……けて」
無音の砦に、その声は木霊した。
「怖い。怖くなった、死ぬのは嫌だ……」
「……ソータ」
「ごめん。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
いや。それが普通だ。
ソータという少年が幼いながらに気高い覚悟を決めたから、俺もクラリスも戦い続けることが出来ていた。
だが、普通は。普通の少年なら、蝙蝠の魔族に喉元を掴まれ、殺すと脅されてしまえば泣き出して当然だ。
「死にたくない。フラッチェ……、助けて────」
「……ん、そっか」
だったら。
お前が助けを求めるのならば。俺は、それを無視するわけにはいかない。
俺はミーノの様に、誰かの犠牲の上で成り立つ結果を許容しない。俺の剣は、目の前で泣いている誰かの為の剣なのだから。
「……ぜぇ、ぜぇ」
「良かったな、雑魚魔族。見逃してやるよ」
俺は。短剣をポトリと、その場に投げ捨てた。
「フラッチェ……」
「悪いクラリス。アレは、見捨てられないわ」
「そうか。いや、仕方あるまい」
悔しげな表情で、杖を落とすクラリス。
悪いな、俺のワガママに巻き込んでしまって。俺が諦めるってことは、実質クラリスを見捨てるようなもんだからな。
「よくも、よくもこのオレを……」
「はっはっは。魔族よ、私程度に苦戦するようじゃ、絶対にお前らは人間に勝てない。私よりずっと強い剣士が、王都には居るからな」
「何ぃ?」
ま、俺程度が負けても大勢は変わらない。この魔族も強かったが、俺程度でなんとかなる相手だ。ならばレックスに敵うはずもない。
レックスには負担かけて悪いが、前は俺がフォローしてやったんだ。今度は、俺のフォローを任せてもいいだろう。
「じゃあ精々あがけよ、魔族共」
「……」
鬼の形相で睨みつけてくる金色の魔族を見て。俺は静かに、せせら嘲った。
まだレックスがいる。真の最強が王都で陣取っている。魔族の敗北は、確定事項なのだ。
俺より強いレックスが、後ろに控えてくれている────
ああ。俺じゃ、レックスに勝てない。
レックスなら、俺の代わりに勝ってくれる。
俺は、レックスに届かない。
「────テナイ」
時刻未明、王都の城門前。
そこで、一人の魔族が息絶えた。
「お前ならなんとか出来る? 親友、どう言う意味だ?」
その魔族の遺言はひどく不可思議だった。それは自分の弟子の面倒を見てくれというより、まるで自分の弟子を止めてくれとでも言いたげな。
「……レックス。もう、死んどるよ」
「そうか」
この男は、何を伝えたかったのだろう。魔族に身を落としなお、親友としてレックスに戦いを挑み続けたこの男は。
剣聖は最期まで強敵として有り続けてくれた親友の顔の、瞼を閉じてやる。
「死んじまったか。そうか……」
親友の最期の言葉をよくよく吟味しつつ。
レックスは自分で切り捨てたその魔族の亡骸を抱き締め、ポロポロと涙の雫を垂らし────
その、レックスの濡れた頬を拭おうとする修道女の。
その背後に、黒いモヤのかかった影を察知した。
「カリン!!」
引き寄せる。
レックスは無我夢中で腕を伸ばし、修道女服の袖を自分の胸元へ引き込んだ。風切り音と共に切り裂かれた布地を背に、カリンはレックスに抱きこまれるように倒れ込む。
間一髪。突如振るわれたその斬撃は、カリンのスカーフを切り裂いただけで空を切った。
「……レックス、ニ、勝テナイ」
レックスが顔を上げると、少女剣士がそこにいた。
傷だらけの、オンボロの小剣を軽く握り。ユラユラと、風に黒髪を靡かせて。
真っ青な目をした猫目の少女剣士が、ただまっすぐに剣聖を見据えて立っていた。
「ソレガ、限界─────」
す、と彼女の右腕が上がる。
その剣士は小剣を握りしめたまま肩まで腕を上げて、何かに祈る様に目を伏せた。
「フラッ、チェ……?」
レックスが呆けた声を出す。
それは、レックスにとって良く見知った少女だった。
孤独な自分にとって何より掛け替えのない、大事な仲間であり家族であった女剣士。
「……」
その敵を認知し、呆然と立ち尽くす剣聖の意識の合間を縫うように。
風と共に少女剣士が、無音のままレックスの目前に肉薄した。




