56話
魔王は、どこにでもいる平凡な魔族から生まれた。獣型の魔族同士の混血で、魔族領の果ての小さな集落で生を受けた。
ただ、彼が平凡でなかったのは。生まれた直後より目を見開き、金色に輝く髪を靡かせて立ち上がった事である。
「これはきっと、とんでもない子供が生まれたぞ」
魔王の親は、そう確信した。その金髪の新生児は、生まれながらにして凄まじく凶悪な『強者の気配』を発していたからだ。
自分より強い存在に出会った時の、本能的な恐怖。魔族たる彼らは強者の気配に敏感である。例えそれが自らの子であろうと、抗うことはできない。
「恐ろしい、恐ろしい」
だから、魔王の親は。この無垢な捕食者に食われることを恐れ、生まれた直後の魔王を路傍に放置して逃げ出した。
魔王は、親のいない幼少期を過ごした。
親がいなくても、彼が生きていくのに困ることはなかった。
彼は、生まれながらに強者だった。腹が減ればその辺の生物を叩き潰して食した。例えそれが自分の何倍の質量もある大型の獣だとしても、彼にとっては容易な事だった。
「旨い」
赤子の貧弱な腕で牙を剥く獣の顎を砕き、首をへし折り、ドス黒い血の滴る生肉を食して赤子は成長した。
それは、まさに天災。たまたま彼の近くに住んでいた運の悪い魔族は、皆彼の肉となり糧となった。
生まれながらの圧倒的強者。彼という存在を端的に表現するなら、『魔族におけるレックス級』に他ならないだろう。
ヒトという種族よりずっと頑丈に生まれ育つ『魔族』。その強靭な肉体を持つ魔族に生まれたレックスこそ、魔王である。
「弱いなぁー」
拳を振るえば、それは音速。脚を蹴り上げれば、竜巻が起こり。息を吹きかければ、巨木が折れた。
この世界のなんと脆弱なことか、なんと弱々しいことか。魔王は、それを────
「でも、楽しいや」
この『壊れやすい世界』を玩具に見立てて、何もかもを壊して回った。やがて、魔族領の支配者階級にまでその噂が届く程度にまで。
「強い野良魔族が俺の領土で暴れてるだと? よし、殺しに行こう」
魔王が少年期になると。破壊の限りを尽くす魔族の存在を知った腕利きの魔族が、魔王を討伐しに来るようになった。
戦いのいろはも知らぬ魔王は、最初のうちは苦戦した。謎の武器を扱う魔族、空を飛び奇襲してくる魔族、魔法を扱い広範囲を攻撃する魔族。それらは、魔王にとって何よりの刺激となった。
「すげぇ、もっともっと戦いてぇ」
自分を殺しに来る魔族を見て、魔王は喜んだ。来た魔族を殺しては食い、殺しては食い、そして次の襲撃を首を長くして待つようになった。
「あはは、待っていれば勝手にご飯が出向いてくるようになったぞ」
そんな少年時代を過ごした彼は、メキメキと自らの実力を高めていった。
「魔王様」
だが、そんな幸せな少年時代も遂に終わりを告げる。
「我らは、魔王さまに降伏致します」
魔族領に住む全ての種族が、魔王に頭をたれて服従を誓ったその日。
「……あれ? じゃあ、次の敵は?」
「ここに、魔王様に歯向かう愚か者はおりません」
「は?」
魔王は、生きる楽しみを失ってしまった。
「……次は誰と戦えばいいんだ?」
魔王はポツンと、一人王座に座って頭を抱えた。誰も歯向かってこなくなり、食うに困ることはなくなった。
戦う気のない相手を殺してもつまらない。魔王は、命をかけて戦う相手が欲しくて仕方なかった。
「俺はもう、戦えないのか?」
だが、彼の前に敵はいない。魔王は、無敵となったのだ。
魔族の中の「レックス」たる彼は、敵を欲しても存在しない立場になった。レックスと違って彼には、ともに高め合う友はいなかったのだ。
「魔族領が統一された今こそ、人間領に攻め込むべきではありませんか」
それを悟り魔王が静かに絶望していたその時、彼に語りかける毛むくじゃらな魔族が居た。
「人間領だと?」
「しかり」
その魔族の提案は、魔王にとってまさに渡りに船であった。
「今こそ、長年の宿敵たる人間を滅ぼしましょう。魔王様のお力なら容易いでしょう」
「おお! やろう!」
魔王はその提案に乗り、屈服させた魔族全員を率いて人間の住む土地を奪いに攻め込むことにした。そうか、魔族に敵がいないなら外に敵を求めればよかったのか。まさにそれは、魔王にとって天啓に聞こえた。
だが。その人間との戦争は、決して魔王の望んだものではなかった。
「今は我慢の時なのです」
魔族たちは、魔王の出陣を頑なに良しとしなかった。
「全ての舞台が整うまで、暫しお待ちください。最高の舞台を整えて見せましょう」
歴史の中で何度も人間に煮え湯を飲まされてきた魔族達は、勝負に拘らず勝利に拘った。その結果、魔王は望んでいた『戦闘』から遠ざけられた。
魔王は『王』なのだ。先陣を切って戦う役目ではない。
「出番は、まだなのか」
「あと僅かでございます。もう少しで、王都が我らの手に」
魔王は、不満をこらえて部下に従った。そもそも人族は脆弱なのに、何で策を練らねばならないのか。魔王の不満は、フツフツと溜まっていった。
だが、あと少し待てば暴れられる。そう説得され、魔王は延々と参戦を待ち続けた。待ち続け、待ち続け、届けられた知らせは『魔剣王の敗北』だった。
あの魔剣王を倒すほどの敵がいる。そんなまだ見ぬ強敵の情報を知り、魔王はついに堪忍袋の緒が切れた。
「もう我慢できない。オレを戦わせろぉ!!」
魔王は飛び出した。魔王軍の中でも指折りの実力者だった『魔剣王』の敗北したという、その砦に向かって。
部下が血相を変えて魔王を追いかけ始める。だが、あの頭の悪い魔王は果たしてどこに向かったのか見当もつかない。
王都城に突っ込んだのか。砦へと走ったのか。はたまた方向を間違えて関係ない場所へ駆け出したのか。
魔王軍幹部の、胃がキリキリと痛み出した。
「ここが、魔剣王を倒した奴のいる砦だな」
魔王は少し道に迷いつつも、無事に目的地に到着した。王都北東に位置する、人族の築き上げた古い砦に。
「楽しみだな。魔剣王より手応えのあるやつか、血湧き肉躍る。楽しみだ」
そして彼は、砦の中に凄まじい『魔力の気配』を察知した。魔法に秀でた種族である人族の、その中でも特級品の魔法使いの気配を。
「お、こいつが魔剣王に勝った奴か? まぁいいや」
その魔法使いがどれほどの使い手か知らないが、きっと俺に敵うはずもない。
さぁ、久しぶりの『戦闘』を始めよう。
魔王は挨拶がわりに、その荘厳で巨大な砦を拳圧で消し飛ばした。
人族の反応は早かった。
魔王が拳を構えた瞬間には、砦の半分ほどを覆う巨大な魔法壁が形成された。そのせいで、魔王が吹き飛ばせたのは砦の半分ほどに留まった。
「おお、やるなぁ」
魔王はにんまりと笑う。やはりここには、久しぶりの強敵の気配がする。
意気揚々と拳を構え、魔王はその防壁の中心へと歩き出した。まだ見ぬ強敵を屠るため、獰猛な光を目に浮かべて。
「────っ!!」
そして。彼は、幼き少女が杖を掲げて何やら叫んでいる姿を目視した。
「お、おお!?」
直後、万来の雷が魔王を襲う。空一面を黒雲が覆い、連鎖的に途切れなく雷撃が魔王を急襲する。
これが、魔法。人族の使う凶悪な戦闘技法。
それは、魔族が聞きかじって利用しただけの『なんちゃって魔法』とは違う、本物の威力と速度と範囲を両立していた。
「これは凄い!」
魔王は思わず、両腕で雷の直撃を防ぐ。ビリビリとした衝撃が全身を突き抜け、熱で体が黒い煙を上げ始める。
それは、久しぶりに感じた「ダメージ」の感覚だ。
「お、おお! これは放っておいたら殺されるな。急いで仕留めねば!」
魔王の顔から余裕が抜け、戦闘態勢へと切り替わる。すっかり忘れていた『命のやり取り』の緊迫感を、魔王は久しぶりに体感する。
その興奮に、彼は気付かぬ内に唇を吊り上げていた。
「飛び込んで────」
その無尽の脚力を振り絞り、魔王は呪文を繰り出す小柄な女魔法使い目掛けて跳躍した。
彼女の障壁は硬そうだが、物理的な衝撃で粉砕すれば良い。魔王は自身の拳の威力に、何よりも自信を持っていた。
この世で最も強い攻撃は、自身の殴打である。魔王はそう確信していた。
「────砕き潰す!!」
そして。魔王の確信は事実だ。
この世界に存在するいかなる魔法も、いかなる剣撃も。彼の拳の一振りには決して届かない。
キィン、と。世界に高周波が轟いた。
暴風が吹き荒れ、砦の周囲に巨大なクレーターが形成される。同時に大地が、岩が、巨木が濁流に流されるがごとく吹き飛ぶ。
まさに、非現実的。彼の挨拶代わりの右ストレートは、クラリスが防壁を張った場所以外の全てを、綺麗に円形に大地を抉りとってしまった。
それだけではない。
「んなっ!? 我の障壁がっ!?」
そのクラリスの障壁は打撃とともに大きく歪み。耳が潰れそうなほど甲高い音を立て、その障壁は四散してしまった。
これは、生半可な事ではない。
どんな物理攻撃でも防げるようにと、クラリスはわざわざ時空遮断だの空間断絶だの持てる技術の粋を集めて独自の防御魔法「愛の障壁」を作り上げていたのだから。
理論上は、この障壁を物理攻撃で破壊するのは不可能なはずである。
だが魔王はただの拳で、強引に『世界最高峰の魔導師の障壁』を粉砕してみせた。
それは、あのクラリスをして「なんてデタラメな!!」と叫ばせたほどの馬鹿げた一撃である。
「楽しかったぞ魔導師、オレも久々に死を感じた!」
クラリスは憔悴した声をあげ、魔王は再び拳を振り上げて。
「では、おさらば強敵よ!!」
幼い魔導師目掛けて、真っすぐに正拳を打ち抜いた。
────ぴゅう、と。一陣の風が吹く。
「あれ?」
魔王が振り抜いた先は、何もかもが消し飛んだ荒野となった。
あの魔法使いは消し飛んだのだろうか。人間は脆弱な生き物と聞いていたが、まさか一撃で骨すら残らぬ有り様になったのか。
「手応え、が……」
いや、何かがおかしい。
確かに魔王は拳を振り抜いた。その結果、目の前の大地は跡形もなく消し飛んだ。
普通に考えれば、奴等は挽肉の如く無惨な結末を迎えたと言うことになる。
だが、いくらなんでも。いくら人間は脆弱といえど、手応えが無さすぎるような。
「針羅万衝!!」
────刹那。魔王の背後から、無数の鉄串が降り注いだ。
「え、後ろ?」
雷で熱く焼けただれた皮膚に、鉄串か嫌な音を立てて撃ち込まれていく。
魔王は驚愕のまま、背後へ振り返った。そこにはなんと、魔導師が再び障壁を張って兵士に囲まれている姿があった。
いつの間に、後ろに回り込んだのか。いや、そんな筈はない。
「いつの間に!! こしゃくな────」
「我が杭は貴様の外殻を突破した。さて、頑丈な貴様も内部まで雷撃が浸透するとどうなるかな?」
「む!」
そして再び、万来の雷が魔王の全身を襲った。
「あがががががっ!!?」
先ほどとは比べ物にならぬ、凄まじい痛みと痙攣が魔王を襲う。
これは、死ぬ。いくら魔王が頑丈であろうと、体内に直に高圧電流を流され続けたら死んでしまう。
躍起になって背中に刺さった鉄串を抜こうとすれば、その隙に更なる攻撃魔法が飛んできて。
魔法使いを殴りに行けば、何故か攻撃か当たらず背後に回り込まれる。
まるで、手品のようだ。通常なら魔王が敵の動きを、目で追えない筈がない。
だから背後を取られたことを、魔王本人が気付かないはずが────
「いや、違う」
そこで、ようやく。
魔王は事態を飲み込んだ。
「まさか、オレの攻撃がずれてるのか!?」
今まで一度も経験したことのない、その奇妙な状況に魔王は困惑する。
だが、そうとしか思えない。魔道師を攻撃したはずの拳が何もない地面に突き刺さったのも、あそこで変わりなく攻撃魔法を行使し続ける幼女が立っているのも、そうとしか考えられない。
「何をしやがった! 魔導師ぃ!!」
これも魔法か。これが人族の戦い方か。
その不可思議な技巧に目を丸くして、絶叫する魔王の背後には。
────風のように気配の薄い、青い眼の剣士が佇んでいた。




