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34話

「酷いな」


 ポツリ、と零れたその声は誰のものだろう。


 あたり一面に広がる『死』に、俺は索敵も警戒も忘れ茫然と立ち尽くした。


「……」

「魔王軍は?」

「もう、立ち去ったそうです。城下町の資源や食料を根こそぎ奪いつくして」

「……ここは商人が集まるエリアだ。質の良い武器や魔石、食料が集まってきている。成る程、城下町ってのは略奪には持ってこいの街だな」


 その凄惨な光景を前に、メイは涙を浮かべ静かに嗚咽をこぼしていた。かくいう俺も、油断したら吐いてしまいそうだ。


 これが、戦。これが、命のやり取り。


 剣士を名乗って十数年、俺は一度も人の命を奪ったことは無い。魔物を殺す事はあっても、人の死に触れる機会は多くなかった。


 ましてや、見渡す限りの死体や咽せ返らんばかりの腐臭など体験したことがない。目の前の景色は、香りは、呻きは、すべからく人の死なのだ。


「うっ……」


 隣で湿った呻き声を出し、メイちゃんが口を押さえてうずくまった。きっと貴族に生まれクラリスに守られ生きてきた彼女は、人の死に接する機会など無かったのだろう。


 そんな俺達を見かねたのか。レックスは、ポツリと俺達の肩を撫でた。


「……メイ、フラッチェ。キツいなら宿に戻っとけ、俺様は周囲を調べにゃならん」

「だ、大丈夫です!! 私……!」

「無理する必要はない。いや、むしろ倒れられる方が迷惑だ。……どこに魔王軍の残党が居るかもわからん、憔悴した仲間をかばう余裕はねぇ」


 レックスの顔は、まさに無表情だった。死体の山を見渡しながらも、平然と佇んでいる。


 一方で奴の言う通り、俺の顔面は蒼白だ。メイちゃんも地面に屈み込んで泣いているし、下手をしたらバタリと気を失ってしまうだろう。


 この場で動揺を見せていないのはレックスだけ。奴は唇を真一文字に結び、淡々と真正面から死体の山を見つめていた。


 それはきっと、


「……ごめんな。俺様がすぐ傍に居ながら」


 きっと、奴だけはこの景色に見覚えがあるからだ。


 かつてこの男は自分の故郷で、これと全く同じ悲劇を経験していた。だから、レックスにはこの地獄のような景色に耐性がある。


「ああ。糞ったれ……」


 俺の親友は馬鹿だ。人の事を普段から間抜け扱いしている癖に、こういう時は救いようがないほど愚かになる。


「おい」


 俺は、小さな声で後悔を吐き捨てるレックスの震える手を握って。俺は真っ正面から奴の鼻っ柱を、頭突きでぶっ飛ばした。


(いった)!?」

「このアホ! 一番キツいのはお前だろうが、レックス。強がらずとっとと私の手を握れ」

「何しやがる。ていうか俺様は、このくらいどうってことは──」

「いざとなれば、ゲロ吐いて楽になれる私やメイの方が軽傷なんだよ。でもよレックス、お前もう吐くことすら出来ないんだろ?」

「……いや、俺様は」

「無理すんな、ほらちゃんと傍に居てやるから」


 こいつは、こういう時に一人で抱え込む悪癖があるからな。この光景はトラウマ直撃だろ、レックスにとって。


 かつてレックスは味わった。自分の故郷で、これと全く同じ光景を。自分の家族が無造作に、眼の光を失って積み上げられるその様を。


「わ、私も左手失礼します!!」

「……メイ」

「レックス様、私もついていきます! ですから、その」


 今、真に宿に帰るべきは俺やメイちゃんじゃない。心に誰よりも大きな古傷を持ったこの男、レックスである。


「あー……」


 メイちゃんと俺に睨み付けられ、やや頬を染めた剣聖は観念したように俺達の手を握り返した。


「本当、俺様ダッセェな。ありがとフラッチェ、メイ。すまんがついてきてくれ」

「最初からそう言え」


 握り返されたその手は、微かに震えていた。やれやれ、初めから素直に助けを求めれば可愛げがあるのに。


「……お前らが仲間で良かったわ。フラッチェ、メイ、サンキューな」

「おう」

「はい」


 ポツリとこぼれた本音に照れ臭かったのか、奴はプイと目をそらす。


 そして少しばかりマシな顔付きになったレックスは歩き出した。……蒸せ返る程の血の匂いに包まれた、地獄に向かって。
















「人型、肌の色が鼠色で死臭を纏った魔族。それが、今回の襲撃してきた敵のようです」


 エマと共に生き残った城下町の住人からの聞き込みを纏めると、そういうことであった。


「エマちゃん、それって」

「ゾンビでしょうね」


 今日の明朝、弓矢や剣を手に取ってゾンビ達は城下町の集落を襲撃した。夜の闇に紛れた奇襲であったために国軍の対応が遅れ、民はなす術なく惨殺されてしまった。


 全てが終わった明け方にやっと、エマちゃんの元に情報が来たのだという。


 ……魔王軍の初撃は、大成功と言えるだろう。こちらの被害は甚大な上、強敵であるレックスや俺が出てくる前に鮮やかに撤退して見せたのだ。最小限の被害で、大量の資源を奪い取ったことになる。


「ゾンビ……ですか。確かゾンビの死体に触っちゃったら……」

「あ!」 


 そして。敵がゾンビであるなら、まだまだ被害が増える可能性がある。


「エマちゃん、周囲の人間に通達してくれ。もし腐った人間の死体があったら絶対に触るなと」

「……そうですね、すぐに全員に伝達します」

「ゾンビの肉を刷り込まれた人間はゾンビになる。全く厄介な魔族だぜ」


 エマちゃんは即座に、近くにいた部下の兵士に伝令を飛ばした。相変わらず、仕事の早い幼女である。


「すみません剣聖様、私は少し席を外します。まだ敵が残っていれば、対応をお願いします」

「おう」


 彼女はそう言うと、兵士に囲まれ何処かに行ってしまった。きっと、彼女の仕事は山積みなのだろう。 


 そして、それはつまり。この路上に積み上げられた大量の死体を、弔ってやるのにまだまだ時間がかかるという事だ。











「死体に触っちゃいけないってどういうことだよ!! 兄さんを……!! 俺は兄を早く眠らせてやりたいんだよ!!」

「……もう少しだけ、待ってくれ。急いで検死の連中も仕事をしているから」

「ふざけんな!! 返せ!! 兄さんを返せ!!」


 地獄は、まだまだ続いている。国軍により死者を一人一人見分していく作業が行われ、生き残った遺族たちは肉親の躯を取り上げられた。


 不平、不満、怨嗟。その声は、魔王軍だけでなく兵士達にまで向けられていた。


「ああ、あの子……」


 今も一人、俺の目の前で少年が兵士に詰め寄って騒ぎ立てていた。俺には、その絶望に染まった子供の顔に見覚えがあった。


「待て、少年。迂闊に死体に触れると、君も死に至る可能性がある」

「はぁ!? 何だよお前は、関係ないだろ!!」


 俺は宥めるように少年を抱きしめ、兵士から引き離す。兵士の邪魔をさせたくなかったのと、何よりこの子を見ていられなかったのだ。


「昨日ぶりだな、少年」

「……あ。お前、昨日の田舎者!」

「馬鹿高いリンゴをどうもありがとう。……あまり無茶を言ってやるな、兵士も辛いのだ」


 話を聞く限り、彼は兄を魔族に殺されたのだろう。彼は俺の顔を一瞥すると、八つ当たりをするかの如く俺の腹に思い切り殴りかかった。


 鈍い痛みが、臓腑に染み渡る。


「うるせぇよ!! 兄さんは俺を庇って殺されたんだ!! だっていうのに、墓に埋めてやることすら出来ないなんて納得できるか!!」

「勇敢な、兄貴だったんだな」

「そうさ! だって兄さんは、最強の剣士なんだからな!!」


 少年は、目に涙を浮かべたまま。遺品であろう剣を掲げ、絶叫した。


「兄さんは城下町で一番の用心棒だった!! ちょっと兄さんが睨みを聞かせたら、誰もが恐怖で押し黙ったんだ!」

「そっか」

「今日だってそうだ!! 5人以上に囲まれてたのに、俺を逃がすって言って一歩も引かず! 最低でも3人は、魔族を切り殺していた!」

「すげぇな」

「最強なんだ。凄かったんだ! 兄さんは、勇敢で優しくてカッコよくて……」


 やがて、少年の絶叫は掠れた涙声になり。土下座するように両手を大地に付けて、兵士に頼み込んだ。


「兄さんを、返してくれよ……」


 だが、その声は。死臭に満ちた城下町の路上に積まれた、死体の山に響き渡るだけだった。




 ……そんな、少年の前に。俺達のリーダーが、静かに剣を携えて向かい合った。


「おう、少年」

「誰だよ、お前は。今度は何だよ」


 レックスは、静かに絶望する少年のその前へ。自慢の大剣を思い切り、地面に突き立てた。


 ズシン、と重たい音が城下町に響き渡る。


「俺様はレックス。……最強の剣士だ」

「違う! 最強は兄さんだ、お前じゃない! 兄さんの方がもっと強くて、優しくて!!」

「だが、お前の兄は死んだ。だから今、この世界で最も強い剣士は俺様だ」

「何だと!!」


 レックスは悪びれる様子も無く、激怒する少年の目の前で立っている。


 コイツは、こういう時に冷たい言葉をかけるような男じゃない。何か考えがあるのだろう、少し放っておこう。


「お前の兄貴の実力を、俺様は知らねぇ。もしかしたらきっと、お前の言う通り最強の剣士だったのかもしれん」

「だから、兄貴が最強だって!」

「なら、その最強の名は俺様が継ごう」


 そういうと。レックスは、一枚の紙きれを少年に手渡した。


「俺様はレックス。『剣聖』『鷹の目』のレックスだ。お前の兄貴から、最強の称号を受け継いだ者だ」

「は? 剣聖……?」

「お前が、最強の剣士の弟だと言うなら。……その剣を背負って、俺様を斬りに来い。お前の兄貴の『最強』の称号を取り返しに来い」


 そのレックスが手渡した紙きれには、俺達のアジトの位置が記されていた。


「お前が腕を上げて、俺様に勝てると思えたなら。その時は、俺様が直々に相手になってやろう」

「……」

「それまでは。お前が俺様を訪ねてくるまでは。俺様が、ずっとお前の兄貴の『最強』の称号を預かっておく」


 レックスはそこまで言うと、少年に背を向けて去っていった。


「行くぞ、フラッチェ」

「……ああ」


 果たして、レックスの言葉にどれだけの意味があったのかは分からない。少年はレックスの背中を呆けたように、無言で見つめ続けていた。



















「何もかも失って自棄になるとな。人間ってのは、自殺が頭によぎるんだよ」

「……そうなんですか?」

「そうなんだ」


 難しい顔をしているレックスは、振り返らぬまま静かに語りだした。俺とメイちゃんは、そのままレックスについていく。


「そういう時に、この世に何の未練もないと……、人間はマジで死ぬ」

「……レックス、お前まさか」

「故郷が焼け落ちた日。流石の俺様も死のうと、そういう考えが頭をよぎった」


 お前。故郷を失った時、そこまで思い詰めていたのか。


 そりゃそうだよな。大事な肉親、一度に全員失ったんだもんな。


「だけど、幸いにも俺様には未練があった。親友……、フラッチェ、お前の師匠な? 俺様には奴がいた、唯一無二の親友がまだ生きていてくれた。だから踏み留まれたんだ」


 え、そんなに俺の存在デカかったの? ……無理もないか、故郷焼け落ちてんだもんな。故郷の外の知り合いって俺くらいしかいなかっただろうし。


「でも、あのガキにはもう何にも無さそうだった。アイツ多分、兄貴を埋葬したらその場で死んでたぞ」

「そ、そんな状態なんですか彼?」

「多分な。だから、ああいうときは慰めるんじゃなくて発破かけるんだ」

「そっか、お前が言うならそうなんだろうな。私も覚えておこう」

「……フラッチェは本当にアホだな」

「何をぅ!?」


 な、何故俺を罵倒したんだコイツ。さては喧嘩売ってんのか? 


「夢も希望も失って死にたい時は、発破かけた方が良いって教えてくれたのはお前なんだぞ?」

「む? 私、そんな事言った覚えないぞ。勘違いじゃないか?」

「……あー。勘違いかもしれん、忘れろ」

「何だ、アホはレックスじゃないか!」


 全く。人をアホ呼ばわりしておいて勘違いとは……、レックスはどれだけ頭が悪いんだ。これからも、俺が付いていてやらんとな。


「じゃ、エマちゃんのところに戻るぞ」

「……分かりました」

「ああ」


 レックスが、自嘲したように笑い。忙しそうに四方へ指示を飛ばしていた雇い主の元に向かおうとした瞬間────








「おや、奇遇だねレックス君」


 たまたま近くを歩いていた、一人の女と目が合った。


「────っ!!」

「こんにちは、良い天気だね。ふふ、そう険しい顔をしないでよ。怖いなぁ」


 その女は、こんな地獄のような光景の中。ニコニコと笑みを崩さず、真っ白な服を着て立っていた。


「こんなところで何してやがる。……ミーノ」

「そりゃ、文官としてのお仕事ですとも?」


 国軍最悪。悪魔の権化、おぞましい人の形をした何か。


 ペディア国軍三大将軍、『神算鬼謀』のミーノが微笑みながら路上に立っていた。


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