29話
それは、王都城の本丸の中。
「不幸だ……」
人気のない執務室の端で、ピンク色の癖毛を揺らし。涙目で座り込むその少女は、静かに夜空の星を見上げた。
「いつもいつも貧乏クジを引く人生。美味しいところは他の人が持って行って、成果が地味で嫌われる仕事はボクの担当。それは重々承知してるんだけど、今回は少し度が過ぎてるよねー」
るー、と涙の滝を作り、少女は一人静かに泣き続ける。彼女が目を背けているその眼前には、机一杯に積み上げられた書類の山が蝋燭に照らされていた。
「……仕事が終わる気配がない。とても眠い、お腹も空いた。折角コックさんが作ってくれた夜食も、気付けば猫ちゃんに食べられちゃったし」
独り言で愚痴りながら、その少女は机に突っ伏した。ぐぅぅ、と誰も居ない執務室に腹の音が鳴り響く。
その部屋の隅では、彼女の飼い猫が機嫌よさげに丸まって熟睡していた。
「魔王軍、かぁ……。確かにそれも怖いけど、2日徹夜しても終わらない目の前の書類の量の方がボクはよっぽど恐ろしいよ」
しばし、突っ伏して頭を休めたあと。少女は再び顔を上げ、眠気を振り払って筆を取った。
「あぁ。そういやレックス君がもうすぐ王都に来るんだった。そっちも準備しとかないと……、はぁ」
そして彼女は目前の山積みの書類ではなく、新たな白紙の紙を取り出して書類を作成し始めた。
「不幸だ……」
ひもじい思いを堪え、涙目で愚痴をこぼしながら。
「でけぇ……何だコレ」
「フラッチェは王都初めてなのな」
ぺディア帝国の首都、その街の名もぺディアと言う。一般的に「王都」と呼称される、王の住む街だ。
断崖絶壁の大崖を背に建てられたこの街は、他国の侵略を受けづらいため悠々と発展していった。
「へいらっしゃい! 活きの良い絞めたての魔物肉が入荷してるよ!」
「ちょっとそこのお兄さん! 今夜は人肌が恋しく無いかしら?」
「富クジー、富クジー! 当たればその場で一攫千金50000G、早い者勝ち! 誰かに当てられる前に買わないと無くなっちゃうよ!」
まだ城壁の外だと言うのに、城門の付近の道には露店がところ狭しと立ち並んでいる。その規模は既に、俺やレックスの拠点の街の商人街を超えていた。
見渡す限り、人、人、人。しっかり手を繋いでいないとはぐれてしまいそうだ。
「この辺は、城下町と呼ばれるエリアです。正確にはまだ王都ではありませんよ」
「すげぇなぁ。この中に剣強い奴は何人いるのかな」
「真っ先に考えるのがそれか。……この辺は商人しか居ないから、そんなに強い奴はおらんぞ。店の用心棒の中に、剣習ってた奴はいるかもしれんが」
「じゃあ何処に行けば強い奴がいる?」
「国軍の訓練所とか、街の道場とか。……まぁ、気になるなら案内してやるよ。依頼の内容聞いてからで良ければな」
「本当か!」
人間という生き物は、こんなにたくさん居たのか。今まで俺はいかに田舎者だったかを実感する。
まだ王都の外でこの有り様だ。果たして中には、どれだけ人が居るのだろうか。
「お、ねーちゃん旅行者だな。はるばる王都にようこそ、このりんご要るか? 旨いぞ、食えよ」
「む、良いのか?」
「あ、馬鹿。手に取るな」
不意にいきなり見知らぬ少年から果物を手渡され、俺は思わず受け取ってしまう。すると、その少年はにんまり笑いながらその果実に掘られた『値段』を指さした。
「……1000Gな。受け取ったら交渉成立、そういうルール」
「え?」
「疑うなら、兵士呼んでこようか。ねえちゃんの顔は覚えたぞ、指名手配されたくなければ金を出せ」
「えええ!?」
「こういう町なんですよ、ココ。お勉強代ですねフラッチェさん」
「そ、そんなぁ」
助けを求めるようにレックスを見ると、奴も苦笑いしていた。
どうやら、本当に払わないといけないらしい。ちくしょう、りんご一つにしてはボッタクリの値段だがか微妙に払える額なのがまた腹立たしい。
「毎度~」
「……ひゃんっ!?」
ぐぬぬ、と笑顔で走り去る少年を睨みつけていると。今度はメイが突然に自分のお尻を抑えて、素っ頓狂な叫び声をあげた。
「どうしたメイ?」
「……今、誰か私のお尻触りました?」
「あぁ、痴漢されたんか。そういう不埒者もおるやろなぁ、此処」
「何? すまんメイ、俺様ともあろうものが見逃したみたいだ。早いところ市内に入るか」
何だと? 可愛いメイちゃんのお尻を触るとは羨ましくもけしからん。何処のどいつだ?
「と言うか、王都って凄い治安悪くないか?」
「王都と言うか、城下町が治安が悪いんだ」
「やっぱり治安悪いのか、ここ」
いわれてみれば、柄の悪い連中が目に付くなココ。誰に絡まれても勝てる自信あるけど。
「王都内に入るには通行手形とか身分証が要るんよ。ウチ等はギルド証と国軍の依頼書見せたらいけるけど、普通は教会の発行する身分証見せて通行料を払わないといかん」
「一応は王の住むこの国の首都だからな、怪しい奴は入れない仕組みだ」
「逆に言うたら、城外までやったら身分証明なしでも居れる。ちょいと訳アリな人はこの辺に屯するんよ。ま、ちょっとしたスラムみたいなもんやな」
「……うう、私のお尻」
涙目で尻を抑えるメイちゃんが不憫可愛い。……じゃなくて、これ以上か弱いメイちゃんをこんな場所に置いてはいられない。一刻も早くこの場を離れねば。
「ならサッサと行くぞレックス。私達は女性が多い、あまりココに長居するべきではない」
「だな。カリンとメイは内側に来い、外は俺様とフラッチェだ。お前は痴漢に触られる前に対処できるだろ?」
「ああ、無論だ。例えどんな熟練の痴漢だろうと、華麗にかわして捕らえてやる」
「痴漢に練度も何もあらへんやろ」
俺はレックスの指示に従い、庇うように二人を内側にいざなった。メイちゃんやカリンに不快な思いをさせたくはない。ここは、俺が男らしく守ってやらないと。
「フ、フラッチェさん」
「安心しろメイ。私はこう見えて他人の気配に敏感なんだ、そうやすやすと触られたり───」
「いえ、フラッチェさん。……その、腰布どこにやったのですか?」
「あん? 腰布?」
だが、俺と手を繋いだメイちゃんは妙なことを言い出した。腰布をどこにやったって、俺の腰に巻き付けてあるだろう。身に着けている衣装がなくなったりするはずが────
……目線を下すと、自分の白い下着と大腿が露わになっていた。
「どわぁ!? 何で私脱げてんだ!?」
「ふ、フラッチェさん布!! とりあえず何か布を渡しますので下着隠してください!」
「嘘ォ!? さっきまで身に着けとったやん、いつの間に脱いだんや!?」
え、何かの拍子に脱げたのか? いや、気づけよ俺。
「すーはー。すーはー。にゅほほほほ、ええのぅ」
何処かに俺の腰布が引っかかっていないか周囲を見渡すと。
城外の道の脇に座る俺達のすぐ後ろの年老いた乞食が、俺の腰布で顔面を埋めて深呼吸していた。
「ち、痴漢!?」
「うおっ! なんだこのオッサン!! フラッチェの服返せ!」
と、いうことは。まさか俺は、まんまとスられてしまったのか。自分の服をすり取られ、そして気づくことすらできなかったというのか。
不覚。なんたる不覚だ。
「馬鹿な……。この私が、気付かれぬうちに服を盗られただと……?」
「フラッチェさん! 今はそういうの良いですから、棒立ちしてないで早く隠してください!!」
いずれにせよ、このオッサンは只者ではない。幸いにも剣は取られておらず腰に差さったままだ。
即座に俺は臨戦態勢になる。小さく屈んで足を広げ、静かに剣の柄に手をやった。
「その格好で足広げんなアホォ!! メイ、早くフラッチェの服荷物から出しぃ!」
「は、はい!」
「フラッチェも下がってろ! 俺様が相手してやる、オッサンは早くソレ返せ!」
「いやじゃもーん。……ぐふ、女子のええ匂いじゃ」
むむ。なんだコイツ、隙がない。
俺じゃ斬りかかっても、当てることすらできないだろう。本当に何者だ?
「のう『鷹の目』。……お前、随分と油断しとるようじゃの」
「あん? お前、俺様が誰だか知ってこんなふざけた真似しやがったのか?」
「応とも。お前さんが本調子ならソコのめんこい黒魔導士のケツ撫でた瞬間に、ワシの手から先が飛んどっただろうに。これじゃ、舐められて当然じゃろうて」
ワキワキ、と老人は顔をニヤつかせながら尻をもむ手つきをとる。メイちゃんの尻触ったのもコイツかこの野郎。
「……何者だ、クソジジィ」
「ふふーん。ただの乞食のエロ親父じゃよ? これ、本当に」
その爺はレックスに凄まれても一切ひるまず、楽しそうに俺の腰布を自らの鞄にしまった。
おい。持ってくな俺の服。
「ただのエロ親父からすら仲間を守れぬ愚かな剣聖よ。良いものを貰ったお礼に、二つほどアドバイスをしてやろう」
「いや、あげてないんだが。私の服返せよ」
「覚えておけよ剣聖レックス。まもなく貴様は一つ、大きな過ちを犯す。その過ちは、お前の大切なものを失いかねない過ちだ。決して自身の目的と本当に大切なモノを、とり違えることなかれ」
「何が言いたい。お前、何様のつもりだ。一体何を知っている」
「二つ目の助言じゃ。お前の探し物はきっとすぐ近くにある。お前がそれに気が付いていないだけだ、よく探してみぃ」
そういうと、その老人は俺を見て意味深に笑った。……なんだこの爺、本当に意味が分からない。
さては狂人の類だろうか。
「で、言いたい事はそれだけか? 俺様、素人に剣を抜きたくはないのだが……、フラッチェの服を返さずに逃げるつもりなら、足の腱くらいは覚悟してもらうぞ」
「むぅ。なんじゃい、さっき代金は払ったじゃろうが。酒に溺れたエロ親父からの、ありがたい忠告じゃぞ」
「狂ったエロ親父の言葉に価値なんぞあってたまるか!! いいから返せ、さもなくば……っ!!」
そのまま立ち去ろうとする老人の腕を掴み、ニッコリと獰猛に笑うレックス。少しイライラしてるっぽい。
このお爺さんはかわいそうな人っぽいし、あんまりいじめてやるなよ。服さえ返ってくればそれでいいんだから。
「ああ、成程のう。ほれ。ええ匂いじゃろう、お前も嗅いでみたかったのか」
「ぶっ!?」
腕をつかまれたその爺は、一瞬考えた後。どこからともなく取り出した真っ黒の布切れを、レックスの顔面に押し当てた。
すげぇ、全然あの爺さんの動きが見えない。無拍子、というのだろうか? 武術の奥義っぽい動きをレックスをからかうためだけに使っている。
てか、あの布なんだ。俺の腰布じゃないな。誰のだアレ。
「ほれほれ、ちょっと乳臭いがフレッシュで良いじゃろ」
「もがががっ! 何しやがるテメェ!」
「何を怒っとる。男なら喜べや、神聖な修道女のパンツじゃぞ」
「……はい?」
その爺さんの言葉に反応し、振り向くとカリンの顔が青くなっていた。え、まさか。
彼女は震える手でゆっくりと自らの腰に手を持っていき……、そして目に涙を浮かべ絶叫した。
「ちょ待てやぁぁぁ!!! 何で、ソレ、レックス嗅ぐなアホォ!!」
「にょほほほほほ!!」
「えっ……カリンさんのなんですか? いつの間に、ええ!?」
「馬鹿な……。この私が、一切気づけなかっただと……?」
「フラッチェさんも今はそういうの良いですから!! いつまで露出してるんですか、早く隠してください!!」
阿鼻叫喚。
カリンは喚きながらその爺に向かって突進し、ヒラヒラと避けられて憤怒している。メイちゃんと俺は混乱し身動きが取れず、レックスも自分の顔に押し当てられたものがカリンの下着と知って頬を真っ赤に染め上げ動かなくなった。
「では、ワシの助言を覚えておけようレックス。わざわざ次世代のお前の為に足を運んでやったんじゃ、ゆめ油断するなよぉ」
「二度と来るなぁ! ウチのを返せぇ!」
「こりゃ、正当な報酬じゃしぃ」
やがて。そのふざけたエロ爺は人ごみに紛れ何処かへと消え去った。
その場に残されたのは、無駄に衆目を集めるノーパン修道女と下半身を露出した女剣士である。
「……何だったんだ」
「何だったんですかねぇ」
いそいそと、荷物を解いて予備の腰布を手渡してくれたメイちゃんにお礼を言い。この国の最強パーティをたった一人で翻弄した老人の、エロい笑顔を想起する。
「……少なくともあの老人、只者じゃないだろうな。本気でないとはいえ、レックスの顔面に(パンツを)一発食らわせたんだから」
「ええ。修道服を纏ったカリンさんから(パンツを)盗るなんて尋常な痴漢ではありえません」
「本当に居るんだな。熟練の痴漢」
「居るんですねぇ」
「ウチのを返せぇぇぇぇぇ!! クソジジィィィ!!」
こうして田舎者だった俺達レックスパーティは、早くも都会の洗礼を受けたのだった。
都会は恐ろしい場所だ。王都には魑魅魍魎が住んでいる。
俺の師匠が酒を飲んだ際、そんな愚痴をこぼしているのを思い出した。
「……」
「いつまで固まってんだレックス」
そして女性の生下着は童貞に刺激が強かったらしく、レックスの再起動にもしばらく時間がかかった。