17話
目が霞んでいる。ぼやけて前がよく見えない。声も出ない、体も満足に動かせない。
……油断した。敵の弓兵が狙っていたのは、レックスだけではなかった。あの男を庇うのに夢中で、自分への攻撃に対する注意がおろそかになっていた。
あの時、俺はどこからともなく現れた魔族どもに体を担ぎ上げられた。頼りの仲間は、誰も気付いてくれない。そのまま、俺は小さな穴ぐらを経て隠し通路のような道を通り、まんまと拉致されてしまった。
そして俺は、再びアイツに囚われた────
「ハァイ、調子は如何?」
意識を失った俺は、耳障りな声に呼び起こされる。
それは人としての情など何も感じない、無機質で冷淡な声だ。
どうやらここは、薄暗い部屋のなからしい。多少もがいてみたが、身動きが取れない。やはり、縛られている様だ。
「ふむ、挨拶を返してくれんのか?」
「……」
ニュ、と。真っ暗の部屋のなかに、青白い肌の女の顔が浮かび上がる。
痩せこけた頬、バサバサとした髪、生気の無い瞳孔の開いた瞳。俺がその顔を、見間違えるべくもない。
魔導王、ジャリバだ。俺をこんな身体にした張本人、俺が死んだ洞窟における魔王軍の指揮官、全ての諸悪の根源。
「だんまりとは、つまらんのう。私がどれだけ苦労して、貴様の身柄を再び捕らえたか分かっておるのか? 話くらい聞いてくれても良かろうに」
「……」
「まあまあ、そう敵愾心を剥き出しにせずとも良い。別にお前に危害を加えようって話じゃないさ」
ジャリバは含み笑いを止めず、実に愉快げに話を続けた。
……だが、目が全く笑っていない。敢えて明るい雰囲気を纏っているだけで、内心では鬱屈とした感情が渦巻いているようにも見える。不気味極まりない。
「お前への施術が上手くいった事は、私としても悲願の達成と同義でな? お前に危害を加えるつもりはない。少し協力してくれたら、すぐに解放してやるさ」
「……俺を元の姿に戻せ」
「元の? ああ、確かに他人の肉体のままだと不便よなぁ。構わないさ、元の姿に戻してやるとも……。だから、私の言うことに従ってくれるかい?」
ゾンビ女はねちっこい口調で、そんな事を言い始める。成る程、もし本当に元の姿に戻してくれるなら万々歳だ。
────だが。
「元の姿に戻すのも、貴様の実験のうちと言ったところか? それにどうせ、元の姿に戻った時の俺は、お前の操り人形なんだろう。騙されんぞ」
「くっくっく、勘が良いねぇ。だが、お前に選択肢など無い。くだらん反抗を貫いたとして今のお前に何ができる? 私に従えばもしかしたら、本当に元の姿に戻れて解放されるかもしれないんだぞ? ……従うしかないんだよ、お前は」
「面白いな。糞食らえだ」
ぺ、と俺は唾を吐き捨てる。長々とジャリバは御託を並べているが、俺は何を言われようと従うつもりなどない。
「質問に答えるだけだよ。お前は、私の質問にいくつか答えるだけで元の姿に戻れて、解放されるんだ。それでも、拒否するのかい?」
「あっはっはっはっは!! 成る程な。お前さん人間を洗脳できても、情報を抜き取ることはできないのか。こりゃ良いことを聞いた!」
「……」
「ジャリバとか言ったな。お前は死体から情報を抜く手段がないから、この俺を正気のままにしているんだろ? 答えはさっきと同じ。『糞食らえ』だ」
「……やれやれ。これだから、無知蒙昧な人間は……」
俺の返答に、ジャリバはかなり痛いところを突かれたらしい。彼女は表情を歪め押し黙ると、ため息をついてクルリ背を向けた。
「今のお前には何を言っても無駄だの。精々、暗闇の底で1人苦しみ抜くと良い」
「負け惜しみか? やーいやーい」
「この部屋には、私の研究室からしか入れん。今度こそ、貴様は決して逃げられんと思え」
そして、ギギッと鈍い音が鳴り。部屋の奥から光が漏れ、小さなドアが開かれる。
その出口付近にジャリバは立ち、嘲るように俺を見下した。
「精々、もがけ。いずれお前の心が折れたとき、私は再びこの部屋に訪れよう」
そんな、捨て台詞を残して。
……そして。邪悪なゾンビが部屋を立ち去ったあと。
俺は、密かに安堵の息を吐いていた。幸いにも、洗脳もされず五体満足のまま拘束されているからだ。
この洞窟に、俺一人で潜っていたならこうも安心していなかった。だが、俺はパーティとしてここを調査していたのだ。つまり、
「後はレックスが来るのを、のんびり待つか」
どうせ、奴が何もかも蹴散らして助けに来てくれるに決まっている。ジャリバがどれ程の強さかは知らないが、レックスが負けるとは思えん。だから俺は、のんびり待てば良い。
不得手な魔法による奇襲にも、クラリスちゃんという化け物が後衛についているから心配ないだろう。彼女も、魔法使いとして『レックス級』らしいのだから。
というかそもそも、彼等ですらジャリバに敵わないなら元々人類に勝機など無い。そんなに実力差があるなら、こんなところでコソコソ拠点を築かなくても魔族は正々堂々攻め込んでくるだろう。だから、まぁ少なくとも今の時点ではレックス達の方が強いと見て間違いあるまい。
囚われの身と言うのは情けないが、命さえ残っているなら勝ちだ。今回はまだ、死なずにすんでいるのだから。……いかんなぁ。やはり奴と組むと、何だかんだで『アイツが助けてくれる』と言う甘えが生まれてしまう。
でも、今の奴を置いてソロに戻る事は出来ん。今日の油断といい、奴はまだ本調子とは言えないのだろう。自省して、レックスに頼りすぎないよう気を付けねば。
と、無様に敵に捕まった自分の不甲斐なさを自嘲した後。俺はグースカとイビキを立てて、ゆっくり眠ることにしたのだった。
捕まった自分に出来るのは、精々体力の温存くらいなのだから。
「起きろ」
「……むにゃむにゃ」
「尋問の時間だぞ、目を開けろ」
「……どうだー、レックス。これが私の実力……むにゃむにゃ」
「いい加減にせい!!」
バシン、と頭に鈍い衝撃が走る。俺の目の前で泣いて悔しがる負け犬レックスが、すぅと消え行く。
……むぅ。やっと勝ったと思ったら、夢だったか。
「あん? もう朝?」
「随分と余裕ぶっこいておるの。もう逃げるのは諦めたか?」
「あ、そっか捕まってたのか。ならもう少し寝る」
「お前、かなりマイペースだの」
ジャリバの呆れた声が聞こえてくる。だって、やることないんだもの。一度脱走して捕まっているのだ、警戒されているに決まってる。また変に脱出しても、逃げ切る期待値は高くないだろう。
ならば、レックスをおとなしく待つ。その方が利口だ。
「改めて問うぞ? 答える気になれば、答えてくれれば良い。お前は、死ぬ前のことをどれだけ覚えておる?」
「あん? ……いや、全部覚えてるが」
「ほう。では、次だ。お前、死ぬ前と比べて頭の回転が鈍くなったと感じるか?」
「昨日聞きたかったのは、そう言う類の質問か? ……そっか、お前情報を抜きたいわけじゃないんだな。実験成果の記録といったところか。なら、答えは黙秘だ」
「ふむ。頭の回転は悪くなさそうだの」
あ。しまった、実質答えてしまった。
「んー、後は幾つか問題に答えてもらう。2つずつリンゴを3人から貰ったら、お前は幾つリンゴを得た?」
「つーん」
「ん? こんな簡単な問題も分からないのか。やはりアホか」
「何だと!? 分からない訳無いだろう! 8つだ、馬鹿にすんな!」
「成程。……これは、手術の影響と見るべきか元々頭が悪いと見るべきか……。うん、後者かな」
あ、しまった。煽られてついつい答えてしまった。
「もう何も答えない。絶対だ!」
「死ぬ前と比べてあまりパフォーマンスは落ちていなさそうじゃの。よしよし、もう質問は終わりで良い」
「あれ?」
質問タイム、終了の様子。俺、協力してしまってないか?
「確認事項は終わったし、細かい肉体面の検査はお前がグースカ寝てる間に終えてしまったし。よし、お前、元の体がどんなだった?」
「それを知ってどうするつもりだ!? 絶対に答えないからな!」
「……それでも構わんが、お前元の身体に戻りたいんだろう? そのままで良いなら、すぐ解放になるが」
「……ん?」
今コイツ、なんて言った?
「え、解放してくれんの?」
「おお、だからそう言っとったろう。魔王様から予算も貰えたし、調べたい検査も終わったし、お前は用済みだ。ついでに協力の礼として、元に戻してやるくらいのサービスはしてやる。まあ、その施術のデータも取らせてもらうが」
「……おお?」
え? 何だこれ、俺に都合良すぎないか?
罠かもしれないが……。いや、あまり俺を罠にかける意味ないような。だってその気になれば、俺を無理矢理改造するとかも出来るんだし。
「ひょっとして前捕まってた時も、じっとしてたら逃してくれたのか……?」
「いや、あの時は洗脳してただろうな。まぁ何だ、こっちにも事情があるのよ。たまたま私の本拠点に調査に来て良かったなお前」
ジャリバは、青い肌を引き攣らせて静かに微笑んでいる。
怪しい、けれど。何だか嘘をついている雰囲気ではない。も、戻れるのか!? 俺は筋力溢れる男の肉体に戻れるのか!?
「……で? お前、元の身体はどんな感じだった?」
「えっと、ハンサムで筋骨隆々で凛々しくて●●●がでっかい強そうな男だ」
「そ、そんな死体有ったかの……?」
ちょいと探してくる、待っておれ。そう言ってジャリバは、部屋から静かに出ていった。
これ、マジで解放して貰える感じじゃないか? 何という怪我の功名。よしレックス、しばらく助けに来なくて良いぞ。
元の肉体に戻ったら、そうだな。フラッチェは死んだことにして、しれっとレックスのパーティに入れてもらうとしよう。レックスも、出会って数日の仲間が死んだ程度でそこまで落ち込みはせんだろうし。
来てよかった、火山都市。捕まってよかった、魔導王ジャリバ。ビバ、監禁生活……!
「処刑者が何の用だ。ここは私の拠点だぞ」
「……処刑者の仕事は決まっているだろう? 裏切者の処刑だよ、ジャリバ」
ん? 何やら、扉の向こうから聞き慣れぬ男の声が……。
「ぐあああああっ!!」
直後。物凄い轟音が響き渡り、ドアを突き破って何かが壁に叩きつけられる。
ジャリバだ。先程出ていったばかりのジャリバが、俺が監禁されている部屋まで吹っ飛ばされてきたのだ。
「お前っ……、何のマネだ! 私は裏切ってなど……」
「裏切ってから処分するのは2流の仕事だよ。1流の処刑者は、裏切る前から処分するのさ」
何事だ? なぜか、ここの拠点の長であろうジャリバが地面を舐めている。
ジャリバに続いて入ってきたもう一体の魔物も、おそらく魔王軍なんだろう? なら何でジャリバが攻撃されている? 仲間割れか?
「貴様……、ガオウ貴様ぁっ!!」
「こんなことになって実に残念だよ、魔導王」
……仲間割れは良いんだけど、あと一日待ってくれんかなぁ。俺、ジャリバ先生に手術の予約してるんだけど。
「ここで死んでもらうぞ、ジャリバ。ゾンビだからもう死んでるけど」
「何をバカな! 証拠もないと言うに、貴様の勝手な都合で消されてたまるか!」
そんなノー天気な俺のテンションとは裏腹に、地面に打ち据えられ息も絶え絶えのジャリバは必死の形相でその魔物を睨み付けていた。
あれは……、狼か? 狼型の二足歩行する魔物が、逃げ道を塞ぐがごとく部屋の入り口付近に仁王立ちしている。
「貴様の企みなど、魔王様はとうにお見通しだったと言う訳だ」
「黙れ。根拠も何もないことを……」
何やら、あのゾンビ女はピンチらしい。何が起こっているのか皆目見当はつかないが、いずれにせよロクな事にならなそうだと俺の直感が告げていた。