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第一章⑦

 相羽の後について玄関を出た前崎は、古民家の右斜め向かいに建つ納屋に向かった。

「ふんっ」

 相羽が錆びた鉄扉を開けると、薄暗い室内からは、むわりとした物置特有の土臭さが漂ってくる。中に足を踏み入れてみれば、納屋は、三方が木製の棚で占められていることが分かった。そこには、穴の開いた肥料袋や、プラスチックの箱、漬物石や、古びた農具などが、ぞんざいに詰め込まれている。そしてその傍らには、大量の薪の塊が、打ちっぱなしのコンクリの地面に、束の状態で置かれていた。

「これも、相羽さんたちが用意したんですか?」

「いいや、元からあったものだよ。建物の所有者の厚意で、あるものは好きに使っていいんだとさ。処分する手間も省けるから、かえって有り難いらしい。……まあ、こっちとしても経費削減になるし、用意してきた炭がなくなっても困るからな。ちょうどいいってわけだ」

 相羽は麻縄で纏められた薪を両手に一束ずつ持つと、外にある切り株の横に運んでいく。

「――前崎くん、そこに斧があったと思うんだが、持ってきてくれるか?」

 相羽の声を受けて納屋の中を見渡すと、鍬やスコップとは形状が違う、台形型の鋭利な鉄の塊に、木の柄が取り付けられた道具が、柱の釘にぶら下げられていた。

 前崎はそれを持って外に出る。

「これでいいですか?」

「ああ。ありがとう」

 相羽は切り株の上の雪をさっと払いのけると、薪のブロックを縦にして置き、斧の柄を両手で握った。それから、利き足を少しだけ前にずらした状態で、股下を肩幅に開くと、頭上に振り上げたそれを、短い息づかいと共に眼前の的めがけて振り下ろす。

 直後、かこんと小気味良い音が辺りに響き渡り、真ん中から叩き割られた薪が、雪の上に転がった。

「相羽さん、上手いですね……」

 前崎はそれを見て、思わず感心した声を上げてしまう。

「ヘッドが重いから、そこまで力を入れずとも割れるもんだ。重力に任せるだけでいい。やってみるかい?」

 そう言って、斧を手渡される。

 相羽はこともなげにやっていたが、足元は雪で湿っていて不安定な上、長い柄のついた鉄の刃物はバランスが偏っていて、振り上げるのも一苦労だ。

 前崎は立ち位置を微調整すると、とにかく見よう見まねで切り株に置かれた薪の真ん中をめがけ、斧を振り下ろした。……つもりだったのだが、実際はやや右よりに刃が入ってしまい、全然うまく割れない。

「今のはちょっと気負いすぎだな。大事なのは繊維の流れを見極めることだ」

「流れ……」

「そう。木には細かい繊維が無数に走っているだろ? その中から一番大きなライン、いわば急所のようなものだな。それを見つけて、刃を入れるイメージさ。貸してみな」

 再び前崎から斧を受け取ると、今度はさほど振り上げず、相羽は柄の根元を持って、薪の中心に少しだけ刃を噛ませる。その状態で、カナヅチを振るかのように、二度三度と、薪を切り株に軽く打ち付けていく。すると、いとも簡単に割れ目か大きくなっていき、まるでキュウリでも切るかのごとく、あっさりと割れてしまった。

「さすがですね……」

「慣れれば簡単さ。それより前崎くん。すまないが、台所から鉈を借りてきてくれないか? 多分、持ってきたダンボールの中に入っていると思うんだ」

「鉈ですか?」

「ああ。風呂炊きに使う分はこのサイズでもいいだろうが、かまどや囲炉裏用は、小さくしておいたほうが、調整もしやすいかと思ってな」

「なるほど。分かりました、行ってきます」

 前崎は納屋を離れると、一度古民家に戻った。肩と頭を軽く払ってから玄関を開ければ、リズムの良い包丁音と共に、食材を煮込む独特の甘い香りが、廊下を漂っていた。

 それを頼りに居間の反対側の戸を開けると、私服にエプロン姿の市口と中原が、かまど式の調理場に立って作業をしていた。

「あれ? 前崎さん、どうしたんですか?」

 野菜を切っていた中原が、こちらに気づいてその手を止める。

「ちょっと薪割り用に鉈を探しててな。相羽さんが言うには、持ってきたダンボールに入っているらしいんだが……」

 すると思い出したように市口が反応した。

「ああ、それなら、そこにあったと思うわ」

 指で示された方を見ると、石造りのシンクの横に土間があり、その隅に口の開いたダンボールが寄せられていた。

 前崎がその中を見てみると、ランタンや懐中電灯、ライターといった道具と共に、プラスチック製のキャップに収められた刃渡り二十センチほどの刃物があった。

 おそらくこれであろうと、持っていこうとしたとき、目の前の勝手口が開いて、ポリタンクを持った加藤と蕪木が入ってきた。

 十八リットル型の容器ギリギリまで入れられた液体が、タンクの中で波打っているのが分かる。

「水、汲んできたぞ」

「ありがとう。ついでにお風呂場まで運んでくれるかしら?」

「……仕方ない」

「人使い荒いぜっ、たく」

 市口のさりげない頼みに、加藤は軽く舌打ちしつつも靴を脱ぐと、蕪木と共に、ポリタンクを持って廊下へと消えていった。当然、二人はこれを何度か繰り返すことになるのだろう。中々の重労働だ。

 ふと見ると、開けっ放しとなった勝手口のドアの先には、トレッキングをした際の八人分の足跡が、まだ消えないままの状態で、森との間に伸びていた。まもなくその跡も、新しい雪で消えてしまうのだろうと思うと、なんとなく感傷的な気分になるが、すぐに相羽が待っていることを思い出してドアを閉めた。こちらも頑張らなければ。

「――それじゃ、ちょっと借りていきますね」

「ええ。薪割りよろしく」


 前崎が鉈を持って台所を出ると、見計らったかのように市口の声が漏れ聞こえてきた。

『――ねえねえ。沙希ちゃんと前崎くんって、どういう関係なの?』

『どういうって、別にただの先輩後輩ですが……』

『え~ほんとかなあ。付き合ってるんじゃないの?』

『えっ! な、ないです、ないですっ。そ、そういう葉子さんこそ、メンバーの誰かと付き合ってるんじゃないですか? 加藤さんとか……』

『あ、話をすり替えたわね。ますます怪しい~』

 そんな女子たちの不毛な色恋話を聞き流しながら、靴を履き直し、相羽の元へ戻ると、ほんの数分であったにも関わらず、すでに多くの薪が二つに割られていた。

「お待たせしました。借りてきましたけど、これでいいんですよね?」

「ああ、サンキュー。じゃあ、前崎くんは俺が割った薪の一部を、それで更に細かく割いていってくれ」

「分かりました。それにしても相羽さん、手際がいいんですね。……そんな技術どこで身につけるんです?」

「昔、薪ストーブを使っていたことがあってな。自然と身体が覚えた感じだ。前崎くんこそ、何でもそつなくこなすタイプだと思っていたけど?」

「薪割り自体の知識はありましたけど、実際にやるとなると別です。体力仕事は基本苦手ですよ……疲れるし」

 すると相羽は屈託のない笑みを見せた。

「今はすらっとした体型してても、怠けてるとすぐに太るぞ?」

「……気をつけます」

 まるで親戚のおじさんのような忠告に、前崎は苦笑いを返すしかなかった。

 それから二人は、雪がちらつく中、黙々と作業をこなしていった。

 そうして一時間近く経つと、太陽もすっかり山手に隠れ、辺りは色彩を判別するのも難しいくらいにその暗さを増していた。冬場の日の入りというのは、本当に想像以上に早いものだ。

 そろそろ切り上げようと、道具を片付け始めたとき、

「おうい。二人ともー」

 玄関先から、薄ぼんやりとした人影がこちらに近寄ってきた。

 目を凝らすと、がに股気味な歩き方や、髪の毛を跳ねさせたその風貌が徐々に見えてくる。

「なんだ、竜真じゃないか。どうした?」

「哲也からの伝言。風呂を沸かすから、薪が欲しいんだとさ」

「そうか。なら、その分は俺が持って行こう。前崎くんは残りを玄関にでも運んでくれ。丁度いいから、竜真も頼む」

 蕪木はめんどくさそうに顔をしかめたが、しぶしぶといった様子で、「しょうがねえな」と頭を掻いた。

「風が強くなってきたな……荒れるかもしれん。急ごう」

 相羽は納屋の中から農作業用の荷車を引っ張り出すと、そこへ斧で割った薪を山積みにして家の裏手へと運び始める。一方、前崎と蕪木は、細かく裂いた木々を両手に抱えると、それを玄関に持っていった。

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