第六章②
前崎は差し込んだ鍵を抜くと、再びドアを開け、部屋の中へと足を踏み入れる。
「とまあ、こういうことです。どうですか、市口さん」
「ま、まさか、本当にそんなやり方で開くなんて……」
市口は目をしばたたかせる。
「犯人はこうやって、冴和木さん、加藤さんの部屋で密室を作り上げたわけです。こうしてみると、単純ですよね」
「……あれ……、ちょっと待ってくださいよ……っていうことは前崎さん――」
「ああ、中原。皆さんも、気づきましたよね? そう。このトリックを逆算すれば、おのずと犯人が分かるというわけなんです。加藤さんの部屋を開けることが出来るのは、冴和木さんの部屋の鍵だった。じゃあ、冴和木さんの部屋を開けることが出来た鍵はどれなのか。……それは、図式の一番左上端である『2号室』。つまり犯人は――」
その瞬間、全員の視線が一斉に、同じ人物へ向けられた。思えば、前崎の推理が始まってから、極端なほどに言葉数が減っていた、その人物に。
「――あなたですよね?」
「まさか……」
「そ、そんな……」
「う、嘘でしょう……? 省吾が、犯人だなんて」
中原、紙倉、市口が続けざまに声を震わせる横で、前崎と相羽の鋭い視線がぶつかりあう。
「相羽さん。あなたは、深夜に冴和木さんの部屋を訪ね、彼女を殺害した後、自分の部屋の鍵と冴和木さんの部屋の鍵を交換したんだ。付属の、プラスチックタグだけを付け替えて、ね。鍵の凹凸に微妙な違いがあっても、部屋のロックが掛かっていた以上、室内に残されたそれが、すり替えられたものだなんて、誰も思いませんよね。そしてあなたは冴和木さんの部屋の鍵を使って、今度は加藤さんの部屋へ侵入し、彼を殺害した。後はタグを取り替え直せば、連続密室殺人の完了ってわけです」
前崎の指摘に対し、それまで腕を組み、じっと無言を貫いていた相羽は、一転して肩を竦め、頬を緩ませた。
「面白い推理ショーだ。けど、犯人は別に俺とは限らないんじゃないか? なぜなら俺の部屋の鍵は――」
そこまで言ったところで、相羽は思わず言葉を止めた。前崎が不適な笑みを零していたからだ。
「そう言うと思っていました」
「……なに?」
「皆さん、ここに来て最初に起きた事件を憶えていますか?」
その質問に、室内が心なしかざわめき立つ。
「――お、憶えているもなにも! 凜華が、亡くなったことでしょ?」
何を分かりきったことを聞くのかといった口調で、気まずそうに市口が答える。しかし、前崎はきっぱりと首を振った。
「いいえ。違います」
「え?」
「それよりも前に、もう一つ事件があったはずです」
「前って、そんなの……あったかしら?」
市口が確認の意味合いを込めて中原をみるが、
「前崎さんっ、なんなんですか、その事件って?」
「あっ」そのとき、紙倉が何かを気づいたように呟いた。「ひ、ひょっとして……相羽さんの部屋の鍵が無くなった件、ですか?」
「そのとおりです。実はこれが、『最初の事件』なんです。皆さん、記憶にありますよね?」
「そ、そういえば……一日目の消灯前に、鍵が無くなったって、相羽さん言ってましたっけ」
中原が思い出すように言うと、市口もそれに同意する。
「……確かにあったわね。でも、それがなんだって言うの? 結局ただの置き忘れだったんでしょ?」
「いえ、実は、あれも犯行のための伏線だったんです」
「伏線? あんな、なんでもないやり取りが?」
前崎は静かに頷く。
「いいですか。この密室殺人のデメリットは、トリックがバレて、さっきみたいに逆算されたとき、一発で犯人が明らかになってしまうという点にあるんです。――これは、俺と中原が合宿の参加を表明しなければ、本来はあまり考えに入れる必要のなかったものでもあったはずでした」
「前崎さん、それって、どういうことですか?」
「ちょっと考えてみれば分かることさ。俺たちが参加しなければ、この合宿は六名で行われていたことになる。――そうですよね? 市口さん」
「え、ええ。そのつもりだったけど……」
「ということはその場合、当然、二階の二部屋は空き部屋になるわけだ。そこを荷物置き場などとして、誰でも出入り出来る部屋にしておけば、最初から三つの部屋の鍵を自由に使える。つまり、最大で六部屋を開け閉め出来ることになるわけだから、部屋のセレクト次第では、スムーズに全ての犯行を終えることも可能だし、なにより、万が一トリックがバレても、自然な形で容疑を分散させることが出来た。ところが、俺たちが締め切り直前で参加を表明したことで、部屋が満室となり、一人一本の鍵しか使えなくなってしまったんだ。こうなると、トリックを逆算されたとき、一気にバレてしまう。だから相羽さんは、自分の鍵が一時的に見当たらなくなったという事件を起こすことで、さりげなく保険を掛けた。こうしておけば、一応はまだ、言い逃れをすることが出来ますから。――違いますか? 相羽さん」
黙って前崎の話を聞いていた相羽は、硬い表情のまま、憮然と吐き捨てるように言う。
「……言い逃れとは穏やかじゃないな。それは、あくまでキミの推測だろう? あの日、俺の部屋の鍵は本当に無くなっていたんだ。誰かが罪を被せるために盗んで悪用した可能性だって、充分に考えられるだろう? それに、前崎くん。キミは凜華の事件が起きた後に、全員の就寝時間と起床時間をやけに確認していたよな? それは、哲也も言っていたように、何かの薬が混入されたと考えていたからじゃないのか?」
前崎は腕を組んで答える。
「……確かに、俺は初日の夜、自分の身体の感覚に違和感があったことから、睡眠薬が盛られたのではないかということを疑いました。全員の就寝起床時間が比較的纏まっていたことからも、おそらく、犯人と冴和木さん以外のメンバーが、薬の影響を受けたとみて、まず間違いないと思っています」
「だったら訊くが、どうやって俺と凜華はその薬の影響を受けずにいられるんだ? 食事だって同じものを摂っていたはずだ。台所にだって俺は、ほとんど立ち入ってないぞ。とりわけ、夕食の準備中はキミと薪割りをしていたじゃないか」
「ええ。しかし、睡眠薬が混入されていたのは、何かの食べ物や飲み物ではありません」
「じゃあ、どこだって言うんだい?」
相羽はメンバーの疑問を代弁するかのごとく、大仰に手を広げる。
「睡眠薬が入っていたのは……おそらく、風呂場の浴槽でしょう」
「よ、浴槽?」
市口が驚きを隠せない様子で身を乗り出す。
「はい。湯気が立ち上る湿度の高い風呂場であれば、直接摂取しなくても、呼吸をするだけで、多分にその影響を受けることになります。浴槽に薬を溶かすだけなら、それほどの手間も掛かりません。こうやって、相羽さんは間接的に睡眠薬を摂取させたんじゃありませんか? そして証拠隠滅のために、風呂の水を抜いた」
「そういえば、前崎くん、残り湯がどうのって言ってたわね……」
市口の言葉に、前崎はこくりと頷く。
「ライフラインの通っていない場所での残り湯は、充分使い道があるはずなのに、全部捨てられていたことが気になっていたんです。けど、そこに薬が混ざっていたとなれば納得がいきます。そんなものを自分の知らないところで再利用されてしまうのは、何かとリスクがありますから。ちなみに、冴和木さんが薬の影響を受けなかったのは、彼女がそれを入れるよりも早く、入浴を済ませてしまったからでしょう」
「……あ、あの、間違ってたら、すみません」そこで発言したのは紙倉だった。「凜華さんはそれで説明がつくかもしれませんが、その……相羽さんも、薬を溶かす前に入浴を済ませなければ、影響を受けてしまうのではないでしょうか? でも確か……お風呂へ入った順番って……」
「分かっています。相羽さんは一番最後でした。ただ、俺はこう思っているんです。相羽さんは、着替えを持って脱衣所に入った後、浴槽にはあえて浸からず、髪や顔を軽く濡らす程度で済ませた。こうすれば睡眠薬の影響をほとんど受けず、なおかつ、あたかも、ちゃんと風呂に入ったように見せかけることが出来ます」
ここまでは中原に話したとおりである。
「でも、ちょっと待って――」紙倉が納得しかけたとき、今度は市口が疑問をぶつけてくる。「仮にそれが浴槽に溶かされていたとしても、そもそも睡眠薬って、そんな、同じ時間帯に効き目が出てくるものなの? だ、だって、お風呂には一人ずつ入ったわけだから……薬の効果にも、ある程度の時間差が発生することにならない?」
思わぬ意見に、中原が心配そうな視線を送ってくるが、前崎は動じず、すぐさま言葉を返す。
「種類は色々ありますが、基本的に睡眠薬は、睡眠導入剤とも言われますよね? ここからも分かるように、麻酔とは違って、あくまで、睡眠を促す薬なんです。要は、眠る体勢を整えたときにこそ、一番効果が発揮されやすい。あの日の夜、俺たちは全員がある程度同じくらいの時刻に二階の自室へ別れたわけですが、携帯ゲームや、音楽、読書などで余暇を過ごすにしても、明かりも乏しい上に暖房もない極寒の室内では、とてもじゃないが防寒着だけで耐えるのは難しい。何をするにしても、十中八九、早い段階で全員がベッドの布団を被ったはずです。市口さんは、違いましたか?」
「…………い、言われてみれば……そうね」
市口はその時の行動を思い返すように呟く。
「布団へ入るという行為は、通常ならば眠る体勢を整えたときですから、このときに睡眠薬が効き目を大きく現してくるというのは、想像に難くありませんよね。もし仮に、薬が効きすぎて自室へ別れる前に眠ってしまうメンバーが出たとしても、そのまま放置しておくわけにはいかないでしょうから、二階のベッドへ連れて行く形にはなったはずです。いずれにしても、犯行時にメンバーを眠らせておくことが目的ならば、多少の誤差は問題なかったでしょう。心配ならば、頃合を見て各部屋の様子をドア越しに窺ってもいいわけですし」
「ふん。確かに矛盾は無いかもな。しかしだからといって、俺がやったという証拠にはならないだろう? 全部誰にでも出来ることだ」
そう言って、相羽は鋭く表情を崩さない。
「確かにそのとおり……では、ここではまだ『犯人』と言い換えておきましょうか」
前崎は心拍数を落ち着かせるように、息を一つ吐くと、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「俺の推理はこうです。一日目の深夜、犯人は全員が睡眠薬で眠りについた瞬間を見計らって、冴和木さんの部屋を訪ねた。そして、まだ起きていた彼女に対し、話があるなどと言って、部屋に入れてもらい、背中を向けたときに、隠し持っていた凶器で殺害を実行。その後、タグを取り替えた2号室の鍵を枕の上へ置き、外部犯を匂わせるために窓ガラスを割って、外に巨大な足跡をつけた。……後で分かったことですが、この足跡の正体は、かんじきに鉄の鉤爪を組み合わせたものでした」
「かんじき?」
聴きなれない単語だったのだろう、市口が眉をひそめる。
「亡くなった蕪木さんが履かされていたものですよ。接地面である表面積を広く取ることで、雪に足が埋まりにくくなる豪雪地の特殊な履物です。先端に取り付けられていた鉤爪も、怪物の足跡に見せかけるためのもので、単なる壊れた農具か登山具の一種でしょう。納屋にはそういった物が大量に放置されていましたからね……」そこで前崎は一つ咳払いをする。「話を戻しましょう。この履物で前庭に足跡を残した犯人は、そのまま森へ入り、唯一の連絡路である吊橋を切断して退路を絶った。これには、ターゲットを逃がさない目的もあったのでしょうが、得体の知れない外部犯が森の中に潜んでいるかもしれないという恐怖心を抱かせる意味合いもあったと思います。事実、俺たちは天候の悪化も重なって、古民家へ引き返すことになりましたからね。――しかし、その結果、第二の殺人が起きてしまった」
「加藤さんのときは、部屋が綺麗でしたよね……?」
中原が確認の意味を込めて前崎に問う。
「そうだな。窓ガラスも割れていなかったし、争ったような形跡も無かった。これは俺たちに生まれた警戒心の強さが起因していたんだろう。まさか冴和木さんが殺された状況で風呂へ入りたいと言い出す奴もいないだろうし、食事も、加藤さんがとりわけ疑っていたからな。睡眠薬を持っていても、混入させるのは難しかったはずだ。そしてだからこそ、第二の殺人は、冴和木さんのときと比べて対照的なほどに無駄がなかったんだ。ガラスを割れば、その音を聞きつけたメンバーが自室から飛び出してくるかもしれないし、前庭に足跡を残そうにも、誰かが起きていたら、見つかる危険性がある。だから密室を作ることだけに集中するしかなかったんだと思う。――そして……」
前崎は窓から見える納屋の外観を横目に、話を続ける。
「……最後の被害者となった蕪木さんですが、彼が犯人でないと確信したのは、台所のかまどの中を調べたときでした。あのとき、火力がいつもより上がらないって、市口さん言っていましたよね?」
「あ、うん。……お湯を沸かそうと思ったんだけど、なんか、火が思ったほど大きくならなくて……」
前崎は強く頷く。
「それは、かまどの奥に濡れたかんじきの板の残骸が押し込められていたからなんです。つまり、亡くなった蕪木さんが足に着けていたものとは別に、もう一つのかんじきが、なぜかそこにあったわけですよ。蕪木さんが犯人ならば、二つも使うなんておかしいですよね? 俺の予想では……おそらく犯人は何か理由をつけ、誰にも見つからないようにと念を押した上で、蕪木さんに納屋へ行くよう指示を出したんです」
もちろん、それでも誰かに見られてしまうリスクはあるが、蕪木の部屋を開けるには、中原の部屋の鍵が必要になる。こうなると二階の密室トリックはもう使えない。加えて、蕪木が最後のターゲットということから一種の賭けに出たのだろうと、前崎は踏んでいた。
「その後、頃合を見て犯人自身も、蕪木さんの足跡をかんじきで潰しながら納屋へ向かうと、そこで彼を絞殺し、自殺に見せかけた一連の偽装工作を施す。後は、つけた足跡を辿って古民家へ戻れば、まるで、蕪木さんが一人で納屋へ向かったように見せかけることが出来るんです。使われたかんじきは板状で楕円形だから、先端に結び付けてあった鉤爪さえ取り外せば、行き帰りで靴の向きが逆でも違和感は無いし、勝手口から入れば、すぐそばのかまどでそれを処分することも出来るというわけです」
そこで前崎は息を整えると、静かな力を込めて、今一度、相羽の名前を呼んだ。
「相羽さん。あなたは、事件のことを調べていた俺と中原の行動が、気になっていたんじゃないですか? だから自分も一緒に回ることを提案した」
「何を馬鹿な……」
「思い返せば、台所で鉈が無くなっていることに一早く気づいたのも、相羽さんでしたよね? あれは、全員にその行方を確認させることで、間接的に蕪木さんが居なくなっていることを気づかせたかったんじゃないですか?」
「……そこまで行くと妄想に近いぜ。そもそも、台所を調べると言ったのは前崎くんだろう? 俺は、もしかしたらキミらが次の被害にあうかもしれないと思って一緒に……」
「――ではなぜ、梁のロープが籠に縛り付けられていると分かったんですか?」
前崎は、相羽の言葉を遮って、撥ね返すようにぴしゃりと言った。
「……なん、だと?」
「納屋で首を吊っていた蕪木さんを発見したときのことですよ。相羽さんは彼の身体を降ろそうと、漬物石の入った籠に縛り付けられていたロープの端を解いていましたよね? でも、これって凄く不自然だと思うんですよ。だってあの建物は光の入りやすい方角を背にしているんです。室内は物が多くて雑然としていた上に、太陽も雲で隠れていた。結果として、中は相当に暗く、目が慣れるまでに幾分かの時間が必要だったはずです。にも関わらず、あなたはすぐに蕪木さんの後ろ側にあった籠が、彼のその体重を支えていると気づいたんです。おかしくありませんか?」
「そ、それは――」
「そもそも! 最初にあの状況を目にしたら、ロープは梁自体に巻きつけられていると思いませんか? 少なくとも俺はそう思いましたね。けれど相羽さんは、まるで最初からどういう仕組みか分かっていたかのように、やけに行動が早かったんだ。このときから、俺は相羽さんが犯人じゃないかと疑い始めたんです。状況を詳しく調べられたら、細かい不自然さに気づかれてしまうかもしれない、そんな焦りが、あのときあったんじゃないですか?」
畳み掛ける前崎の言葉に対し、相羽は喉を大きく動かして、つばを飲み込んだ。そして若干、かすれかけのうわずった声で反論する。
「い、いい加減にして欲しいぜ。そんなものはたまたまだろ。梁の上に伸びていたロープの繋がりを辿ったら、後ろのプラスチック籠の取っ手に辿り着いただけで……だいたい、どれもこれも、俺が犯人だという証拠にはならないだろうが!」
「……証拠、ですか……」
「そうだ。そこまで言うなら、ちゃんとした証拠を示してみろよっ」
語気を強める相羽に対し、前崎は目を伏せ、自らの前髪を掻き分けた。
そして、再び顔を上げたとき、その表情は一段と冷徹なものに変わっていたのだ。




