第五章⑥
「ちょっ、前崎さん、何処行くんですかっ!?」
中原の声が二階の廊下へ響いた直後、前崎が慌ただしく部屋から出てくる。
その様子を、階段の陰から窺っていた者がいた。
――まさか、アレが気づかれた……?
彼の洞察力には、驚かされるものがある。風呂場の残り湯を確認してきたときは、自分の行動が見透かされているようで、ぞっとした。
もし仮に、あの密室の謎が解かれてしまったら――――。
そんな一抹の不安が、脳裏をよぎる。
――いや……それでも問題ないはず。しっかりと『逃げ道』は作ってある。
その人物は、一つ深呼吸をしてから自分を鼓舞するように頷くと、音を立てぬよう、その場を静かに離れて行った。
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前崎を追いかける形で部屋を出た中原だったが、すでにその姿は無かった。
――何処行っちゃったのかしら、前崎さん……。
そのとき、階段のほうから、微かに板の軋むような音が聞こえた気がした。
――誰かいる?
「……前崎さん?」
恐る恐る覗いてみる……が、そこに人影はなく、傾斜の鋭い階段が下へと伸びているだけであった。
肩を落としかけたとき、二階に居並ぶ一室のドアが、唐突に開かれた。
中から出てきたのは前崎だ。
「ま、前崎さん! どこにいたんですか……! え、というか、今、私の部屋から出てきませんでしたか? 鍵、掛けてませんでしたっけ……」
前崎は複雑な表情で頭を掻きながら、近付いてくると、困惑する中原を一瞥した。
「そんなことよりも、分かったぞ……密室のトリックと、その犯人が……」
「えっ……!」
「だけど、まだ追い詰めるほどの証拠はない……。今、追求してもかわされるだろうな」
前崎の声色は、心なしか浮かない様子であった。表情からも、どこかやるせなさが見て取れる。それはつまり、メンバーの中に犯人がいるという証のようにも、中原は感じてしまった。
「で、でも、あと一歩なんですよね?」
「……まあな」
「じゃあ、急いでその証拠を探しましょう!」
「探すと言ってもな、その当てはあるのか?」
「それは――」
そこで中原は一度、自分の唇をぐっと噛む。頭に浮かんでいる可能性と、そこへ立ち入ることへの恐怖心……。そんな両者の葛藤の末、続けて言った。
「――あります」と。
意外だったのだろう。それまで廊下の床を見つめていた前崎も、虚を突かれたように顔を上げた。
「ある、って、いったい、どこを探すつもりだ?」
「それは…………凜華さんの部屋です」
「冴和木さんの?」
「はい。あのときは、みなさん気が動転していましたから、もしかしたら何か――」
「見落としがあるかもしれない、と?」
中原は頷く。
「犯人だって、最初の犯行は一番プレッシャーがあったはずです。だからこそ、何か、決定的な証拠を残しているかもしれません」
この連続殺人の犯人が、前崎の言うようにメンバーの誰かならば、事件の始まりとなった冴和木の殺害には、少なからず、良心の呵責があったはずだ。なにしろ、ことが『殺人』である。ゲームと現実が違うように、想像と実行の間には決定的な違いがある。たとえ、どんなに犯人が被害者を憎んだり怨んだりしていたのだとしても、同じサークルの仲間ならば、きっと、そこには葛藤もあったはずだ。その境界線にこそ、きっと手掛かりは残っていると、中原は踏んだのだ。
「なるほど。確かに、調べてみる価値はあるな。――――だが、大丈夫なのか?」
「え?」
「冴和木さんの部屋に入ることに関してだ」
「…………」
微妙な仕草や言葉付きから中原の葛藤を見抜くところは、流石、前崎である。
もちろん、出来るならば、避けたいことなのだ。事件のあった当日、室内の様子は、先に入っていた前崎や加藤、相羽の身体で遮られ、よく見えなかったけれど、血だまりが床に出来ていたことは、未だ、鮮明に記憶されていた。現場を調べるということは、あの様子をもう一度見ることになるのだから、躊躇いが無いといえば嘘になる。
けれど、今の自分の役割は、前崎の『目』になることだと中原は思っていた。自分は密室の謎も犯人の正体も全然分からないけれど、せめて、手掛かりを探すための『目』にはなりたい……。
だからこそ。
「はい……大丈夫ですっ」
中原は出来る限り強い口調で、そう言ったのだった。




