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第五章④

「飲食物以外…………って! じゃあ、睡眠薬はいったいどこに入っていたと?」

「それは…………」

 前崎は窓際に背を預けると、ガラスの向こうにチラつく小雪を横目で見ながら、着込んだ防寒着のファスナーを首元まで上げてから言った。

「おそらく、風呂、だ」

「……お、お風呂?」

「そ。例えば、犯人がトイレにでも行くふりをして、風呂の湯に睡眠薬を溶かせば、その影響を全員が受けることになる。浴槽で溶かせば、当然、その成分は湯だけでなく、立ち上る水蒸気となって空気中にも漂うだろ? 人間は皮膚からでも吸収する力があるし、ましてや、湿度の高い密閉された狭い空間で呼吸をしていれば、その影響を多分に受けることになるだろう。――あのとき、一番手で風呂へ入ったのは冴和木さんだったが、その時点ではまだ湯がしっかりと沸いていなかったみたいだから、犯人も薬を入れるタイミングを逃してしまったんじゃないだろうか。そう考えると、彼女がその影響を受けなかったという可能性にも筋が通るんだ」

「な、なるほど……確かに。でもだとしたら、二番目にお風呂へ入った人が怪しくありませんか? だって、自分が入った後に薬を溶かさないと、犯人自身までその影響を受けてしまいますよね?」

「…………」

 前崎は含みを持ったような視線を中原に向ける。

「ど、どうしたんですか? 私、何か変なこと言いましたか?」

「いや……。因みにだが、二番目に入ったのは誰だったか覚えているか?」

「え? えーと、それは確か…………私ですね――――――――――――――――――ええっ!」自分で言っておきながら、中原は驚きのあまり飛び上がる勢いで立ち上がった。そして、両手と首を猛然と横に振る。「いやいや、ちょっ、待ってください。違いますよ! わ、私は犯人じゃないですっ!」

 壊れたカラクリ人形のように慌てふためいていた中原だったが、前崎はボリボリと頭を掻きながら至極冷静に言葉を発する。

「……誰も犯人だなんて言ってないだろ。落ち着け」

「えっ、でも……」

「湯船に薬が混ざった状態でも、その影響を受けない方法はあるんだよ」

「どど、どうやってですか?」

 食いつかんばかりの勢いで訊ねてくる中原に、前崎は僅かに笑みを零した。

「単純なことだ。風呂に入らなければいい」

「……………………へ?」

 すると、その答えが余程想定外だったのか、中原はあっけらかんとしたように、表情を固めた。

「は、入らなければいいって……。でも! あのとき、お風呂へ入らなかった人なんて、いましたっけ?」

「順番としては、冴和木さんが最初で、次が中原、その後も女子が続いて、男子の一番手が蕪木さん、俺、加藤さん、最後が相羽さんだったかな」

「ほら、全員入ってるじゃないですか」

「いいや。だから、そうとは限らないんだっての」

「……どういうことなんです?」

「なら逆に聞くがな、中原はどうやって、全員が風呂に入ったって分かるんだ? 入浴している姿を、しっかり目撃したのか?」

「す、するわけないじゃないですか……そんな覗きみたいなこと!」

「だろう? つまりここに盲点があるんだ。普通、着替えを持って脱衣所へ入れば、誰だって風呂へ入ったと思うだろ? だが実はそこで入らずに出てきた人物が、たぶん、いたんだ」

「ええっ!」

「髪の毛さえ少し濡らしておけば、まさか入浴していないなんて、絶対に思わないからな。もちろん、これが数日間続けば、身体のにおいなどで気づかれるかもしれないが……一日やそこらなら、誰も疑問には思わないだろうさ。冬場で厚着もしているしな」

「なるほど……そ、そう言われてみれば……」

 因みにこの可能性に前崎が気づいたのは、二日目の夜、部屋へやって来た中原の髪が濡れていることを疑問に思ったときである。

「そもそも俺は、翌日に風呂の残り湯が全部捨てられていたことが、どうにも引っかかっていたんだ。残り湯なんて、掃除にだって使える。冬場で、ガスや電気が通ってない場所ならなお更だ。捨てたと言う人物もいなかったのに、それがいつの間にか消失していたってことは、誰かが嘘をついているということさ。そして、そこには必ず理由があったはずだ。嘘をつかなければならない、理由がな」

 中原がごくりと喉を鳴らす。

「つまり、証拠の隠滅、ですか」

「おそらく、それも要因の一つにはあっただろう」

「でも、前崎さんの推理した方法が使われたのだとしたら、犯人は特定出来ませんね……。誰にでも可能性が残ります」

「ま、そういうことだな」前崎は軽く息を吐いて視線を上げた。「時系列の確認へ戻ろう。凜華さんが殺された後のことだ。俺たちは助けを求めるために、吹雪が止んだのを見計らって、全員で森へ入った。しかし肝心の橋が落とされていたために、古民家へ逆戻りせざるを得なかったわけだ」

「橋も、犯人が落としたんでしょうか?」

「まず間違いないだろう」

 今思えばだが、退路を断ったということは、突発的な犯行ではなく、よほど強い決意が犯人にあったことが窺える。あの時点でそこに気づければ良かったのだろうが……。後悔先に立たず、か。

「帰り道が寸断された俺たちは、再びこの場所で夜を過ごすことになった。そして、翌日、第二の事件が起こってしまう……」

「今度は加藤さん、ですね」

「ああ。彼の遺体はベッドの上に横たわった状態だった。死因はたぶん、失血死。抵抗したような痕跡も無かったから、完全に寝込みを襲われたんだろう」

「その点は、凜華さんのときと異なりますね」

「そうだな。冴和木さんのときは、自ら招き入れた可能性が高かったが、警戒していた加藤さんが同じようなことをするとは思えないし、ましてや、鍵を閉め忘れるなんてミスも考えにくい。ゆえに、やはり犯人は、閉まっていた鍵をなんらかの方法で開けて忍び込んだんだろう」

「加藤さんの部屋は、窓ガラスも割れていませんでしたよね? これにも何か理由があるんでしょうか?」

 前崎は少し考え込むように腕組みをして言った。

「まあ、少なくとも、音を気にしたというところはあるだろう。全員が無警戒だった初日と違って、睡眠薬なんかも簡単には盛れなかったはずだ。何らかの方法でドアから出入り出来るなら、あえてリスクを犯してまで割る必要もなかっただろうし」

 もちろん、これは第一の殺人のときにも言えるのだが、犯人が初めから連続殺人を計画していたのなら、最初の現場を異様な状況にしておくことで、疑いの目を分散させつつ、残りのターゲットへ過剰な恐怖心を与えるということも、ガラスを割った目的の一つだったのかもしれない、と前崎は思っていた。

「加藤さんの遺体を発見したのが早朝、七時半過ぎから八時前といったところだったか。そこから僅か三時間後に、今度は蕪木さんが納屋で首を吊っていたわけだ。携帯に遺書を残して、な」

「でも、前崎さんはそれが偽物であると思っているわけですよね?」

 中原の問いかけに、ここは確信を持って頷く。

「何度も言っているが、状況がやけに演出じみていたからな。それに、決定的だったのは――」

「かまどに押し込められていた、かんじき、ですか」

「そうだ。しかしこれでも、肝心の真犯人が、まだ特定出来ていない」

 中原はベッドに腰掛けた状態で、強張った両手を握り合わせる。

「ということは、やっぱり、あの密室の謎を解かなければいけないんですね……」

「まあな。あ……それから、謎といえばコレもだ」

 前崎は思い出したように携帯電話を操作すると、写真フォルダの中から、一枚の画像を表示して中原へ見せた。

 納屋の柱に描かれた、あの、図式である。

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