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第五章②

「竜真っ!」

 納屋へ駆け込んでくるなり、市口が金切り声で叫んだ。寒さで萎縮した肌を紅潮させ、地面に横たわる蕪木を目の当たりにすると、彼女は身体を震わせ、その場に力無く膝を折った。

「…………っ」

 やや遅れてやってきた紙倉も、その現実に、掛ける言葉は無いようだった。

「ねえ……遺書があったって……ホント、なの?」

 涙声で市口が言う。

「はい……一応。携帯にはこんな文章が」

 前崎が見せると、市口は時折、大きなため息を混ぜながら、その文章を読んでいった。

「……竜真が、全ての犯人……?」

 それは、まだなんとも……。

 そう、前崎が言うより早く、

「どうやら、な」

 相羽が、ぽつりと答えてしまった。

「とにかく、ここは寒い。一度、戻ろう……前崎くんたちも」

「……ええ」

 終始、ほとんど無言でうつむいていた紙倉と、嗚咽を漏らす市口は、相羽に支えられながら、よろよろとした足取りで古民家へ戻っていった。

「もう、立てるか?」

「はい……すみません」

 前崎は中原に手を貸して引き起こす。そして、すぐ傍の棚にあったブルーシートを見つけると、それを引っ張り出し、埃を軽く払ってから蕪木の遺体を隠すように被せた。

 死者への対応としては忍びないが、致し方ない。

「あの……本当に、犯人は蕪木さんだったんでしょうか?」

 そんな前崎の様子を見つめながら、中原が弱々しく言った。

「正直なところ分からない。ただ、直感だけで言うなら……俺は、そうは思わない……」

「ということは……真犯人が居ると?」

「自殺にしては、どうにも演出じみている気がするんだ」

「演出、ですか……?」

「断定はまだ出来ないがな」

 だが、もし本当に、蕪木の死が『自殺に見立てた殺人』であるのなら、犯人としては、これで全ての目的を達成した、ということなのかもしれない。

 ――くそっ!

 事件が起きるたび、まるで術中にはまって、あしらわれているような気持ちになる。これまでの選択が正しかったのか分からなくなってきて、ともすると、自分の判断は全てが見当はずれなのではないかと、投げ出したい衝動にも襲われる。

 だがこのままで終わらせるわけにはいかない。……不透明なことばかりだが、ここで無気力になれば、それこそゲームオーバーだ。

「…………ん?」

 ふと、前崎は納屋の一角である、入り口の傍にあった木柱の上部に、その目を留めた。

 ――何かある……?

 よく見ると、そこには、奇妙な図式のようなものがマジックペンで描き込まれていたのだ。

 長方形で囲まれた黒い枠線の中に、アルファベットが間隔を空け、計、八文字、上下に分かれて並んでいる。上段は左から横に、『T』『F』『S』『E』、下段は『O』『T』『F』『S』という文字が向かい合う格好だ。不思議なのは、それらのアルファベットから、矢印が不規則に伸びている点である。それも、上のアルファベットからは下のアルファベットへ、下のアルファベットからは上のアルファベットへ矢印が、といった具合に。

「どうかしたんですか? 前崎さん」

 柱を凝視する前崎を不審がって、中原が声を掛けてきた。そんな彼女に対して手招きする。

「ちょっと見てみろ」

 言われるがまま、背伸びをして前崎が示した箇所に顔を近づける。

「なんですか……これ? イタズラ描き?」

 一見、そう思っても不思議はないだろう。しかし、ただのイタズラ描きならば、何かのイラストや言葉であるはずだ。こんな、図形とも図式ともとれないようなものなど、見たことがない。

「気に……なるんですか?」

「少しな」

「でも、これ、だいぶ前に描かれたものみたいですよ? 事件とは関係ないんじゃ……?」

 確かに中原の言うとおりだった。それは、ところどころが掠れていて、古くに描かれたものだと一目で推察できる。

 しかし、何か、引っ掛かるのだ。どことなく見た覚えがあるような……ないような……。

 ――一応、撮っておくか。

 前崎はズボンのポケットから自らの携帯電話を取り出すと、柱に描かれたそれをカメラに収めてから、中原と共に納屋を出た。

 斧や鉈などの凶器に関しては、放置しておくのも危険だが、かといって、これといった万全な管理方法も思いつかないので、納屋にあった手頃なロープを使って、手すり状である入り口の両取っ手部分をきつく縛り付けた。もちろん、こんなことをしても刃物で切られてしまえば、ひとたまりもないが、そのままにしておくよりは幾分かマシだろう。

 防寒着を着てこなかったこともあり、外へ出ると一層の寒さに襲われたが、それでも前崎は古民家へ戻る前にどうしても気になっていた、かんじきの足跡を辿ってみた。その結果、蛇行するように家屋の裏手へ伸びていた足跡は、台所の勝手口の前で消えていることが分かった。

 つまり、かんじきを履いた誰かが、そこから出入りしたということだ。

 もし、それが蕪木であるのならば、玄関にあった自分の靴を持ち出して、鉤爪の付いたかんじきを靴底に装着し、それを履いて勝手口から出た、ということになるだろう。

 足跡が一人分であったということを単純に考えれば、一応の筋もこれで通りそうなものだが、しかし冷静に考えると、かなり妙だ。

 玄関を使わずに勝手口から出たということは、外へ出るところを誰にも見つかりたくなかったということだろう。だが果たして、今から自殺をするという人間が、そんなことを気にかけるだろうか……? そもそも、見つかりたくなかったのであれば、普通に自室を選択すればいい話だ。なぜわざわざ納屋まで行く必要がある……?

 それらを総合して鑑みると、やはり、真犯人がつけたものであるというのが、前崎の中では濃厚だった。その場合、ただの被害者である蕪木は、かんじきなど履く必要もないわけだから、自分の靴で勝手口から出たと考えることが出来る。理由までは定かではないが、彼が食いつくような情報を真犯人が持っていて、こっそり納屋へ行くことを指定されたのかもしれない……。そして、遅れてやってきた真犯人が――――というわけだ。

 当然、外には複数の足跡が付いていてしかるべき状況だが、幅の広いかんじきを犯人が履いていたとすれば別だ。蕪木のつけた足跡の上を辿ることで、容易にその痕跡を塗り替えることが出来るだろう。まるで上書きするようにだ。

 しかし、だとすると犯人は、今もかんじきを持っているのかもしれない。自分が履いていたものを殺害した蕪木の足に付けた場合、そのままでは納屋から出られなくなってしまう恐れがある。踏み固めた足跡の上を慎重に歩くとしても、自分の靴跡がそこに残らないとは限らないからだ。もしそんなことになれば、かんじきでつけた足跡自体にも、意味がなくなってしまう。

 つまり、自分の分と蕪木の分、二足以上のかんじきを用意したと考えることが出来るだろう。当然、必要が無くなれば捨てるのが一番だろうが……そんなに都合の良い場所などは……――――。


「っくしゅん!」

 中原の寒そうなクシャミに気づいた前崎は、そこで足跡の検証を切り上げ、屋内へ戻ることにした。

 古民家の中も寒いはずだったが、長時間、外にいた二人にとっては、それでも格段に暖かい状況である。

 居間へ入れば、うつむき加減のまま、壁際で膝を抱え、三角座りをしている紙倉と、囲炉裏の炭火を、火箸で所在無く弄っている相羽がいた。

「……遅かったな、二人とも」

「すいません、ちょっと――。あ、ところで、市口さんは?」

「ああ、葉子なら台所のほうだ。お茶を淹れるとか言ってた……。落ち着かないんだろ」

「そうですか……」

「葉子さん、大丈夫でしょうか……?」

 中原が前崎に耳打ちする。

 納屋で見た市口はかなり滅入っていて、一人で歩くことも困難なように見えた。心配な気持ちも理解できる。

「ちょっと、見てくるか」

「はい」

 このまま囲炉裏の前に座って休みたい気持ちも無くはないが、少しでも気になったことは即座に確認しておくべきだと思い、居間を出る。

 台所では、市口が弱々しい動作でかまどに薪をくべているところだった。そんな彼女の背中に、中原が声を掛ける。

「大丈夫ですか? 葉子さん」

「え? ああ、沙希ちゃん。……それに前崎くんも。――ええ、なんとか大丈夫よ」

 市口の顔は疲れきって酷くやつれているように見えた。口調も覇気が無く、ぼんやりとしている。しかしそれも無理はない。なにしろこの数日で、同じ大学、それも自分が代表をしているグループの仲間が三人も死んでしまったのだ。他大学の前崎や中原とは、また別の感覚があるはずだ。

「お茶を淹れるんですよね? 私も手伝います」

「ありがとう……ただ、お湯が沸かないのよ。中々火力が上がらなくてね……しばらく掛かりそうだわ」

 隙間が多いこの家屋は、湿り気のある風が常時入り込んでくる。囲炉裏とかまどでは、持ち込んだ木炭と納屋で割った薪を混合して使っていたが、木炭の残量が少なくなれば、材質の悪い薪が中心となるため、どうしても火は点きにくくなるものだが……。

「ちょっといいですか?」

 前崎は市口と場所を交代して、かまどの中を覗いてみた。

 彼女の言うとおり、丸めた新聞紙の残骸や木炭は、その表面を赤く明滅させていたが、周りにある薪には、まだ完全にその火が移っていないようだった。前崎は空気の通り道を作るように、鉄の長いトングを使って、それらの配置を微妙に換えていく。

 それから、かまどの奥にあった木片を、手前に引き出そうとしたときだった。

 ――ん?

 トングで掴んだ際の感触に、なにやら違和感があった。

 奇妙に思ってそれを灰の中から引っ張り出してみると、前崎の目が途端に鋭く変わった。

 はっきりとは原型を留めていなかったが、それは明らかに、納屋で割った薪でもなく、持ち込んだ木炭でもない、変色した、木の破片だった。

 異様なのは、それが、やけに湿り気を帯びていた点である。まるで、水にでも浸けたかのように……。これと同じ状態のモノが、かまどの奥へ押し込められていたため、余計に火が点きにくかったのだ。

 そして、なによりその材質に、前崎は見覚えがあった。

 それは、蕪木の履いていた、『かんじき』である。


 普通、納屋や古民家などの屋内に置いていただけでは、木材がこんなにも湿り気を帯びた状態になることはまず無いだろう。けれど、それが履物として使用されていた物であったとしたら、別だ。雪の上などを歩けば、当然、多分に水分を含んでしまう。

 それを、誰かが処分する目的で、乾かないうちにかまどへ押し込んだ。――とすれば、この存在こそ、死んだ蕪木の他に、犯人がいたという証明になるだろう。

 前崎はこの瞬間、自分の推理の一辺を、初めて確信した。


 間違いなく、真犯人がいるのだという、その仮定を。

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