第三章⑦
切り立った山の裾野には、地を這うような自然の猛威が、これでもかと吹きすさぶ。凍えるような風雪は、四方を山々に囲まれる古民家の軒下に入り込み、縁の下からも容赦なく突き上げてきていた。
そんな外風が、体当たりをかましてきたかのように一際強く鳴り響くと、加藤は眉間に皺を寄せ、身じろぎと共にまどろんだ瞳を僅かに開けた。
少しの仮眠を取るつもりが、どっぷりと眠ってしまったようだ。寒さに負けてベッドへ横になったのがいけなかったのかもしれない。しかし、それだけ緊張感というものが思った以上に身体を疲弊させていたということだろう。
――厄介なことになったものだ。
窓際の壁には、燃料用の角材が一本、立てかけてあった。万が一、襲われたときのためだ。その存在を薄目で確認すると、すっかり凍えた鼻を暖めるように布団を引っ張った。
一瞬の隙間から篭もった熱が吹き出すように逃げ、冷え切った空気が侵入してくると、加藤は身震いを起こし、その掴み所の無い存在に思わず舌打ちする。
外壁を壊さんばかりに叩きつける雪と風は、窓ガラスを小刻みに揺らし、部屋の至る所を軋ませる。そのたびに、誰かが部屋に入ってきたのではないかという不安に駆られ、身体を痙攣させた。
――いや、落ち着け。何を怯えているんだ、俺は。鍵はしっかり掛けてある。こちらから開けなければ、大丈夫だ。…………けれど、凜華が殺されたのは、やはり竜真の言うように、あのことが関係しているんだろうか? ――――――だとしたら、犯人は……。
そこまで考えたところで、再び暴風が吹き付け、悲鳴にも似た風切り音が耳朶を打った。建物が心なしか揺れた気がして、同時に、ドアの錆びた蝶番が鳴ったような……? いや、そんなはずはない。
――全く、忌々しい天気め……。だがこれも今夜が山だろう。いかに記録的寒波といえど、三日も続くことはそうそう無いはずだ。
加藤は一つ深呼吸をすると、寝返りを打ち、横になったまま半目を足先へ向け、ベッドと対角線にあるそのドアを、惰性的に確認した。そしてその流れのまま、窓のチェックへ移ろうとしたところで、思わず自分の目と記憶を疑った。
眠る直前まで何度も確認していた内開きのドアは、今回もぴったりと閉じられている……そのはずだった。
けれど今、そこには、はっきりと隙間が出来ていたのだ。
――ドアが、開いている……? 馬鹿な……どうして――――。
そのときようやく、加藤は自分のすぐ横に誰かが立っていることに気がついた。
恐る恐る視線を向けたそのとき、弾けたような稲光が部屋を白く照らすと、枕元から見上げたその人物の瞳と輪郭が、ほんの一瞬だけ明らかになった。
「お、お前……は」
次の瞬間、遅れて轟いた雷鳴と共に振り下ろさた無機質な冷たい凶器が、加藤の首筋を貫いた。
「――――っっ!」
咄嗟の悲鳴は、上げるよりも早く、押さえつけられた手の平によって喉の奥へと戻されてしまう。口元と鼻を締め付けるゴワついた手袋の生地は、空気流動の一切を遮断した。
体内に異物が入っている感覚と、その隙間から温かい血液が零れ落ちる感覚……。
釣り上げられた魚のように、びくり、びくりと跳ね続けたその身体は、やがて一杯に開かれた瞳の色彩と共に、弱まっていく。
それからまもなく、雷の余韻の中で、押さえつけられていた手がゆっくりと放される。
けれども、解放された口からは、微かな断末魔が漏れ出るのみであった……。




