第三章⑥
夕食の後始末や戸締まりの確認作業を終えると、居間に残っていたメンバーは誰ともなく二階へ消えていき、八時を回る頃には、囲炉裏の種火も残滓となり、すっかり燻った状態になっていた……。
前崎は暗闇の中で自室のベッドに腰掛けると、ザックからビニール袋を取り出し、細い光を放つ懐中電灯の頭に被せていた。袋は、中に空気を含ませた状態で縛り、ライトの灯りを天井に向ける。すると、光がビニール袋の中で拡散し、部屋の一角を照らすほどの、ぼんやりとしたフロアスタンドへと早変わりした。ペンライトの直線的な明るさより、こちらのほうが幾分かは落ち着けるだろうという判断だ。
前崎はそれを床に置くと、立ち上がって窓を覗いた。
外は相変わらずの暴風雪が、咆哮をあげるように吹き荒れている。森の木々は大きく揺れ、今にも折れんばかりに湾曲しているのが、吹雪越しでも見て取れる。自然の猛威は、ときたまの静けさを挟みつつも、すぐに勢いを取り戻し、その終わりを全く感じさせない。
そのとき、部屋のドアが、二度ほど小さくノックされた。
前崎は反射的に振り向くと、自分の取るべき行動を即座に思案した。加藤の言うとおり、ここでむやみに開けるのは危険かもしれない。しかし無視をしてやり過ごせば、それはそれで寝覚めが悪くなるのは明白だ。
「…………誰か、いるのか?」
悩んだ挙げ句、前崎は慎重に声を掛けた。
すると、
しばらくの間を置いてから、
「あ、あの……私です」
怯えたような声で返事があった。
前崎は窓際を離れると、ドアのつまみを捻って内鍵を開け、ノブをゆっくり回して僅かな隙間から廊下を窺った。
そこにいたのは、
「……中原か?」
いつもは両肩の上で纏めているはずのおさげを下ろしていたため、一瞬だけ別人かと思ったが、そこに立っていたのは間違いなく中原沙希だった。
パジャマに厚手のカーディガン姿で、両手に畳んだ毛布を抱えていた彼女は、前崎と目が合うと、どこかほっとしたように会釈した。
「す……すみません。なんだか一人で部屋にいるのが耐えられなくて……」
「…………」
前崎はそれ以上訊かず、黙ってドアを開けてやった。
中原の様子は酷く疲れているように見えた。いつもの元気が微塵も感じられない。一連の事件に加え、よほど、加藤の言葉が堪えたのだろう。
「まあ、座れよ」
彼女を迎え入れると、前崎は廊下を見渡してから静かにドアを閉めて鍵を掛けた。毛布を膝に置いてベッドに腰掛けた中原は、俯いたその横顔に長い髪でベールを掛け、両袖を掴んだ手を、胸の前で小刻みに震わせた。
「すみません、前崎さん……」
「ん? 何が?」
「いや、なんというか、色々です。そもそも、私がこの企画に参加するって言わなかったら、こんなことには……」
前崎は壁に背を預けながら腕を組むと、呆れたように言った。
「自分のせいだなんて思うのは見当違いも甚しい。俺たちが参加しなくても、事件は起きただろ」
「それは、そうかもしれませんが……でも、前崎さんまで危険な目に……」
「世の中には、思わぬ事態に巻き込まれることなんて、ざらに在る。交通事故や通り魔、自然災害。重要なのは、その時に遭遇したことを悔やむんじゃなく、どう行動するかだ。――今回の事件、もし計画的なものであるのだとすれば、俺たちの存在が犯人にとってのアクシデントとなり、少なからず状況の変化を起こしている可能性がある」
「状況の変化……?」
前崎は頷く。
「もしそうだとするなら、それは必ず綻びとなって現れるはずだ。それを決して見逃してはいけない」
その言葉を、前崎は自分自身に言い聞かせるように言った。そして薄ぼんやりとした照明に照らされる中原へ視線を移したとき、彼女の髪が一際艶めいていることに気がついた。
「中原……お前、風呂にでも入ったのか?」
「いいえ、まさか。流石にこの状況で、そんな気力ありませんよ」
「けど、髪が……」
「え?」自嘲気味に笑っていた中原は、自分の頭を撫でるように触った。「ああ……これは、濡らしたタオルで軽く拭いたんです。夕食のときに沸かしたお湯の残りを貰って……。お風呂には入れないから、せめて身体と髪だけでもと思って、部屋でサッと」
「ふーん…………」
興味が薄れたように視線を外した前崎だったが、すぐさま、ガラス窓に映したその表情を変えた。
「あれ……もしかして……」
「どうしたんです?」
「いや、そういう方法もあるかと思ってな」
首を傾げる中原の問いには答えず、前崎は得心がいったというように呟いた。
「あの……?」
「なんでもない。――とにかく、今日はもう寝る。明日になったら色々調べてみよう」
「は、はい。でも、大丈夫なんでしょうか?」
不安そうに言って、中原の視線がドアの方へ向けられる。
「今回は多分、何かあれば、ちゃんと起きられるはずだ……。それに鍵だって掛けてある」
「そう、ですよね……。じゃあ、すいませんが、私は床に失礼しても……?」
持ってきた毛布を足元へ広げようとしたところで、前崎がそれを止めた。
「ベッドを使わないのか?」
「え、でも、そしたら前崎さんは……」
「?」
「いや、前崎さんが床で寝るってことですよね? それはちょっと申し訳ないというか……お邪魔している身ですし」
「なぜ俺が毛布一枚で底冷えする床に寝なければならない?」
「だ、だって…………えっ? じゃあ、もしかして一緒に、ってことですか?」
「この状況ではそれしかあるまい。睡眠時の体温保持は冬場の鉄則だ。体調を崩されても困る」
「いや、でも――――」
「じゃあ、もう一度自分の部屋に戻って布団一式持ってくるか?」
「それは……」
思わず立ち上がり、挙動不審な程にうろたえる中原を尻目に、前崎はベッドへ横になると、欠伸を漏らし、一人先に布団を被った。
「安心しろ。匂いなんて、一日やそこらじゃ分からん」
「そ、そういうことじゃなくて! いやそういう部分もありますけど、その……恥じらいはないんですか?」
「恥じらい? 別にない。こういう時は固定概念を捨てろと言ったろ」
「初めて聞きましたよ……」
「そうだったか? とにかく、今の俺たちは遭難してるようなもんなんだ。恥じらいも何も無い。まあ、でも、好きにしたらいいさ」
中原は暫くの間、頭を抱えて、なにやら躊躇していたようだが、
「じゃあ……その……失礼、します、よ……」
覚悟を決めたのか、おずおずと布団の中へ入ってきた。安っぽいシングルベッドが軋み、背中合わせに二人が隣り合う。人が持つ特有の温もりが安堵感を誘ったのか、中原の震えは、いつの間にか止まっているようだった。
「お……おやすみなさい、前崎さん」
「……ああ」
唸るような寒風が響く中で背後から聴こえた囁きは、どこか前崎の心を落ち着かせるものだった。




