第三章④
天気は前崎の予想通り、再び荒れ出していた。このまま森をうろついていたら、完全に方向感覚を失っていたかもしれない。しかしだからと言って、冴和木の遺体が放置されている古民家で一夜を過ごさなければならないという状況に、一安心など到底出来るわけもないのだが……。
「全員、部屋の様子が変わっていないか、一応確認してくれ。鍵は全て掛けていったと思うが、万が一ということもある」
玄関を開けたところで、相羽が注意を促した。しかし反応はあまりなく、皆、疲れた表情で生返事をするだけだった。
自室へ戻って着替えを済ませた前崎が一階へ降りると、廊下では相羽と市口が立ち話をしていた。
「大丈夫か、葉子?」
「うん。ごめんね。ちょっと気分が落ち着かなくて。……食事の準備しなくちゃ……」
「無理して凝ったものを作る必要はない。今日はカップラーメンで済まそう。まだ人数分残っていただろう?」
「ええ……八個……いえ、七個、だったわね。だぶん、あるわ」
「なら、それでいい。お湯だけ沸かしてくれ」
「……分かった」
市口が台所に入っていくと、それを見送って振り返った相羽と目が合った。
「前崎くんか。部屋に異変はなかったかい?」
「ええ。特に変わったところは何も」
「なら良かった」
相羽と並んで居間へ入ると、囲炉裏の傍には中原と紙倉の二人だけが座っていた。
「哲也と竜真は、まだ上か」
相羽は胡座を掻いて、空いているスペースに腰を下ろすと、腕を組んで深い鼻息を漏らした。
「あの……橋が通れないということは、私たち、あとどのくらいここに滞在することになるんでしょうか……?」
紙倉が伏し目がちに、たどたどしい口調で相羽に訊ねた。
「なんとも言えない部分ではあるが……本来なら明日の午前中には鍵を返しに行く約束だったからな。午後になってもその俺たちが来ないとなれば、しばらくして探しに来てくれる可能性はあるだろう。……あるいは、誰かが橋の状況に気づいてくれれば……まあ、いずれにしろ、この寒波が一通り過ぎてからになるだろう」
「そう、ですか……」
時刻が五時半を過ぎ、居間に吊り下げられたランタンの明かりが灯されると、二度目の長い夜が訪れ始めていることを、嫌がおうにも全員が実感するのだった。
しばらくして七個のカップラーメンと薬缶に入ったお湯が運ばれてくると、全員の表情に僅かながらの綻びが見えた気がした。ただし、市口を除いて。
「大丈夫ですか、葉子さん」
心配した中原の問い掛けに、彼女は力なく苦笑する。
「変よね。お腹は空いてるのに、食欲が無いなんて……」
謎の足跡に、断絶されたつり橋……そしてなにより、二階には無惨に殺された冴和木の遺体……。あまりにショッキングすぎる出来事が続けば、無理もないことだろう。
「でも、市口さん。食べないと体力がもちませんよ。ただでさえ、部屋の温度も低いわけですし……」
囲炉裏の火も、室内全体を暖めるには充分とはいえない。少し離れれば、吐く息は白くなるほどだ。
前崎のフォローに、市口はなんとか気持ちを立て直したようだった。
「そうね……ごめん。――ところで、後の二人は?」
「まだ二階だな。呼んでこよう」
相羽が天井の先を見上げて腰を上げる。
「俺も行きます」
すかさず前崎も名乗りを上げた。一向に降りてこないという点に、一抹の不安を覚えたからだ。
「そうか。……じゃあ、前崎くんも一緒に頼む」
二階へ上ると、二人は左斜め向かいにある、壊れたドアが応急処置的にたてかけられたその部屋へ、視線を向けずにはいられない。あの先には、今もなお冴和木の遺体が放置されているのだと思うと、前崎はなんともいたたまれなかった。
「……それじゃあ――」相羽が気持ちを切り替えるように言った。「――俺は竜真の部屋に行くから、前崎くんは哲也のほうを頼む」
「分かりました」
加藤の部屋は、階段の右隣、前崎の部屋の真向かいである4号室だ。プレート番号を確認すると、前崎は軽くノックをした。すると、
『誰だ?』
声を掛けるより早く、ドア越しの籠もった誰何があった。ホッとした反面、やけに早い反応に少し意表を突かれた。
「前崎です。夕食の準備が整ったので、居間で食べましょう」
『…………すぐ行く』
部屋の中からは、微かに話し声が聴こえた気がした。
1号室の部屋の前に立つ相羽を見やれば、彼は三回の短いノックと共に、低く通った声をドアの向こう側へ届けていたが、これといった反応はなさそうだった。
「加藤さん。もしかして、蕪木さんもそこに居ますか?」
まさかという不安が一瞬よぎり掛けたが、加藤の部屋から蕪木本人の、どもった返事があったため、前崎は胸を撫で下ろすとともに、ジェスチャーで相羽にそれを伝えた。




