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肝転移

恋愛のごだごだを思い出していると、ふと、ポリクリ時代や映像で見た、モニターのならんだオペ室の様子のようなデジタルな場面が懐かしくなってしまう。

緊急執刀や、急患の場合はまずバイタルをとり、酸素マスク吸入、EKG,呼吸モニター、体温モニターなどで、ガイガー管などがガーガーピーピーいっているのだが、その、モニターにつながれた場面が嫌いではなかった。Tなどは、パスタ症候群みたいで好きになれないとこぼしていたが、いすずは肌がピリッと引き締まって、緊張感があって好きだったのである。


オペ室のそばのスクリーンには、研修医が、脳や内臓、ときには肺の、CT,MRTスキャン、ヘリカルCTのイメージをどんどんカシャッ、カシャッと音を立ててはさみこんでいく。その規則的な規則正しいリズムもきびきびしていてよかった。


―いすずちゃんの見立てがカルテに載ってるよ、いまみてきたよ。

というのを、ポリクリ中に2,3度は聞いたように思う。一度も自分の受け持ったクランケがオペに回されたことのないひともいるから、そういう意味では高確率でオペに回ってきたことになる。奥さんに先立たれ、奥さんの介護で自分の進行がんが手遅れになったが、あと少しだけ頑張りたいとのことでオペに入ったクランケのおじいさんは、たしかに自分が問診を取った患者さんだった。


―先生、どうですか。

―ここね、口腔腫瘍のうたがいはよいね。白血球値も高いし、CRKが異常だからね。でも、この、悪液質は言えないじゃないかな。

―癌でしたら、その可能性が当てはまることもあり得ますが。

―これは病理学用語なんだよ。臨床で、クランケを外見で見て悪液質と判断する例はないね。

―でも、顔色が悪くていらっしゃいました。

―では顔色不良がんしょくふりょうと書いて。


ちなみにその患者さんは、ステージはⅣであり、肝臓に転移―肝転移が見つかったという。決め手は、顔色不良、との記載からだったという。


―たしかに黄疸でしたね。


―でも、眼球まで確かめていないし、もう待合に還られた後だったから。


―すごいですよ、重症患者を問診で見抜くなんて。

あとすこしで、オペもできない状況になるところだといっていました。

いすずさんはひとりの人命を救助したんですよ。


口腔外科に配属されていたTはそういってカルテを繰った。

いすずは麻酔科、麻酔と口腔外科の担当メンバーがいっしょに、おなじ時期のオペを見学する。


つごう、3回ほど、おなじ取り合わせの期間が巡ってくる勘定だった。


―そんなたいしたことをしたわけじゃないけど。

―たいしたことですよ。


淡々と、Tはカルテを見ている。


―これで白血球値をみぬいたなんてすごいなあ。

―病理で習ったでしょう。

―いや、白血球の異常値なんて、ならったあとではすっかり忘却ですよ。


―基礎はそのためにあるのに。

―基礎医学、臨床遣ってるやつで、頭に入れてるやつをみたことありませんよ。


―基礎覚えてないと、診断できないじゃん。

―そういうのは、いすずさんが優秀すぎるからですよ。


―Tくんにいわれたくないね。

―僕なんて、そんなたまじゃありませんよ。


―模擬試験で一番だった。

―あれはまぐれです。


そのあとはもう思い出せないが、そういうやりとりをたしかにしたように思う。

Tは淡々と、表情を動かさないでいつもスクリーンか、オペのライブビデオか、カルテを見ていた。情報収集は大事だ、とかなんとかいって。



―口腔外科は好きなの?

―血が苦手ですからね、そうはいきませんね。

―どの科にいきたいの?

―まあ、一般ですね。

―進路は決まっている?

―ふつうに、地元に戻ります。さいわい、とってくれる歯科医院が、ちかくにあるので。

ほんとに、自宅から目と鼻の先に。


そういってTはちょこっと、歯を見せて笑った。

―そんな近く?

―おなじ町内の同じ丁目というんですか、これほど近いところはほかにないくらいですね。


そんな環境は想像もつかなかったが、いすずはなんとなく納得した。


―恵まれているんだね。

―いすずさんは?

―父親のつてで、入ってもいい医院が名古屋にあったんだけど、こねではいらないって蹴った。

―強気ですね。

―そうでもないけど。

―恵まれていますね。

―合格して、進学できなかったら、意味ないけど。

―僕は、合格しなかったら自宅待機ですね。それもいいかな。

―ありえない。

―ありえないですよ、いすずさんこそ。



いまとなっては口に苦味が入る言葉だが、そのときは自分も精いっぱいだったのだろう。

―それにしても肝硬変、よくみぬきましたね。

―肝転移だけど。

―GPT,GOTを精査すべきとの必要が示唆される、といすずさんの文字で書いてありますよ。

―そんなの、先輩の、Yさんのカルテに習っただけじゃん。

―Yですか、Yは全国クラスの才女ですよ。そんなのを師匠にしてるなんて、全然すごすぎます。

―師匠にしてないってば。


―いや、もうごちそうさまです。


Tはカルテを閉じて自分のなかまの群れに帰っていった。


肝硬変、肝数値の異常を見極めるのがそんなに特殊であろうか。

医学部にちかいがその周辺の知識をがむしゃらにつめこまれる日常では、そこまでの気配りは難しいのかもしれない。


しかし、学生であっても異常をみぬくのは責務と思うが。


―なんでみんなそこまでしないのかな、

といったとき、Tが、

―みんなそこまでやる気がないだけですよ、

といったのが印象的だった。



ある日のオペ室にて。





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