ローズヒップティー
家に帰ってからふと思う。
あんな簡単にあそこで働いてもいいのだろうか。
一応あの後 履歴書などを書いたが、あまりに早く終わってしまったため家に帰って来てからというものなんだかソワソワする。
行きでは途中で朝食を取ったり、お店に寄ったりしていたから喫茶店 春に着くのが遅くなってしまったが、帰りは一時間ほどで帰ることができた。
さらに、マスター....いや。堂本和磨と名のったあの人は、わたしが大学生だということをわかってのことからなのかバイトは休日だけでいいと言った。
と言うか、いつ来てもいいと言われた。
「いつ来てもいいって......よくよく考えれば、普通はあり得ないよね。」
ふぅっと、ため息をつく。
今日は土曜日で、大学は開いているものの わたしは平日にしか授業を取っていない。つまり、明日からあそこでバイトをするということだ。
現在時刻、午後3時。春でクッキーを食べたからなのかお腹は空いていない。
そこで、美咲にLINEをする事にした。内容はもちろん、今日の事だ。
「Hello!急にごめん(^^;;喫茶店でバイトする話だけど明日からになったよ!休日だけなんだけど、頑張る‼︎」
Helloと言うのは、美咲との間での挨拶だ。なぜかいつも、こうなる。
そして、美咲の既読は早かった。
『Hello!そうなんだ~!よかったね‼︎休日となると、あんまり遊べなくなっちゃうかもね>_<でも、バイト頑張れ!応援してるよ‼︎』
とのこと。
「ありがとう‼︎」
『ヘマしないようにね(笑)』
「気をつけるよ!ww」
『いや、どうだかな.....』
「ひどぉーい!」
『ま、頑張れ!私はこれから、相模教授のとこ行ってくるから。こないだの論理説、詳しく聞きたくて。』
「うん、分かった!ありがとう。」
何通かで終わったLINEのやり取りはいつものことだ。美咲とは必要なこと以外連絡しない。しかも、2つ返事くらいで終わる。でも、逆にそれが私にとっては嬉しい。だらだらとトークして時間を使うなら、その時間を充実に使いたいと思ってしまう。それは、美咲も同じようで、本当に話したいこと、必要最低限の連絡事項以外は連絡してこない。だからと言って美咲と話さないわけじゃない。
ただ、携帯で会話をするよりもお互いの目を見て話したいと思っているからだ。
私は手に持っていた携帯を木製のテーブルの上に置き、キッチンに向かった。背の高さほどの戸棚を開け、大きめのガラス瓶を取り出した。中には茶色くなった葉っぱのようなものが入っている。
ハーブだ。
食器棚から出したガラスのティーポットと白のマグカップをキッチン台に置き、瓶の中からスプーン2杯ほどのハーブをティーポットに入れた。
この間、美咲と出かけた時に買った新しい白のカナダブランドのやかんに水を注ぎ、火にかけた。お湯はすぐに沸騰し、可愛らしいハーモニカの音を奏でた。
ゆっくりとティーポットにお湯を注いでいく。焦らず、ゆっくり、じっくりと...。こうすることで、よりハーブの香りが引き立てられる。お盆にティーポットと、マグカップ。ついでに、冷蔵庫の中にあったバームクーヘンも付けておく。コンビニにも売っているミニサイズのものだが、味はそこそこいけていると思う。
ダイニングテーブルに腰を下ろし、マグカップにハーブティーを注ぐ。白い湯気とともにふわっと鼻をくすぐるようないい香りがした。
今日は、ローズヒップティー。
勉強などをするときに、集中力を保ってくれる。見た目は茶色くただの紅茶に見えるが、意外とすごい秘密を隠しているものだ。
一口飲んでからボールペンと蛍光ペンを筆箱から取り出すと、テーブルに置かれた雑誌を手に取った。十代から三十代の女性に人気の高いこの雑誌は沙也加も毎月必ず買っているものだ。今月号もかなり読み込んでいるためか付箋があちこちに貼ってあり、ページをパラパラとめくるだけでもかなりの書き込みがある。
「もう、かなり読み込んだよなぁ...」
そんなことを呟きながら、何気なくページを開いてみる。
『知る人ぞ知るっ!おしゃれな隠れ喫茶店&カフェ‼︎』
と、大きな見出しで書かれたそのページは沙也加が一番楽しみにしているコーナーであり、一番書き込みが多い場所だった。何度も開いてきたからなのか、いつの間にかページには開いた跡がくっきりと残ってしまっていた。
書かれている喫茶店は、おしゃれで女性に人気が高くそれなりの知名度のものから、あまり知られていないこじんまりとした喫茶店まで幅広く書かれていた。
中学三年生で初めてこの雑誌を買い、すぐさまこのコーナーの虜になった。喫茶店を開きたいというのは幼い頃からの夢だったが、その夢が完全に固まり、決心がついたのはこの雑誌のおかげと言っても過言ではないだろう。
取り上げられた喫茶店やカフェにできるだけ足を運んでみては、そこでじっくりとコーヒーを味わった。店内の雰囲気も、コーヒーの味も、香りもみんなそれぞれお店の特徴があり 同じものなど一つもなかった。
そのお店で感じたことは、沙也加がいつか開きたいと願う店内を、より具体化していくための知識と経験になった。
「明日から、バイト頑張ろっと」
ぼそっと独り言を呟いて雑誌を閉じ、来週提出のレポートに取り掛かった。大学用のバックからレポート用紙を出す。カリカリとシャープペンシルが心地いい音を立てる。
窓の外を見れば、さっきまでの黒い雲は消え、鮮やかな青空が広がっていた。沙也加はふっと微笑むと手元に視線を戻した。
明日という日に胸を躍らせながらも。