See you again
どうもごきげんよう。お久しぶり、もしくは初めまして。梅津といいます。
春ですね。春は「別れ」の季節ってことで当作品を執筆しました。
ほんのり切ない、二人の子供たちのお話です。
では、どうぞ。
降り積もる雪の世界で、あの子の声が僕の耳に焼き付いた。
「またね」
そう、寂しそうに。
幼いころの記憶なんて、雲のように不確かで、夢のように一瞬で消えてしまう。
けれど、たった一つだけ、僕には忘れられない、いや、忘れてはいけない思い出がある。
僕が10歳にも満たない子どもの頃だった。
***
白銀の中に足を降ろすと、サクッという音が鳴った。視線を上げると、誰も踏み入れていない白の地面が、太陽光を反射しており、非常に目に毒だった。
思わず少年は、まぶたを伏し目がちにする。
ジャングルジムや滑り台、ブランコといった遊具が、彼の周囲を取り囲んでいた。普段は黄色や赤など色鮮やかな塗料で染色されているそれらも、雪に塗り直されてモノクロの世界の一部になっている。
休日は賑わうこの公園に、いまは人影がない。有るのはただ、目の前の雪のみだった。
空気を勢いよく吸いこみ、腹に溜める。そして、一気に吐き出した。
口から、淡く白い湯気が上る。蜃気楼のようにゆらゆらと揺らぎながら、ゆっくりと消えていく。
今年も、冬が来た。
外気に触れている手が、かじかんで赤く染まっている。手の節々があかぎれていた。
彼は、空を見上げた。暗雲の隙間から、花弁のように舞い降りる結晶が、頬を冷たく湿らせる。
去年と変わらない。そのはずなのに、彼の表情は、さながら現在の天候の様に芳しいものではなかった。
少年の瞳は、遥か彼方を睨みつけていた。
「……嘘つき」
幼い顔立ちに似合わない悪態が、その唇から零れた。
「――ちゃん。ハルちゃん」
少年の後方から、かすかな息切れとともに、声が聞こえた。ビードロのように透き通り、か細く繊細な少女の声。
その呼び声に、彼は正面を向けない。
かけ足ともに、その呼び主である少女は少年に近付いて行った。
「ハルちゃん」
すぐ背後に迫った彼女に対し、ハルと呼ばれた少年は身じろぎもしなかった。
「……」
「……」
二人の間に、沈黙が流れ、聞こえるのは、彼らの息遣いのみとなった。
幼い二人の瞳に映る雪は、ただしんしんと彼らの肩を濡らし続けている。近年稀にみる大雪も、二人の心を和ませたりなどしなかった。
少女の寒椿のように紅く慎ましい唇が、ゆっくりと開いた。
「ハルちゃん、怒ってる?」
「……」
「……ごめん、ごめんね。また、一緒にお花見ようねって言ってたのに」
紡がれる謝罪に、少年は答えない。
やがて、スウッと大きく息を吸い込んだ。
「――ユキのバカ!」
咎める声に、彼女は肩を震わせた。
「なんで、いなくなるの!」
「……うん」
「花火だって、プールだって、クリスマスだって、あるのに……!」
「……うん、ごめんね」
涙を湛えて訴える少年の言及に、少女は謝罪の言葉を述べるだけだった。
少女の目にも、透明な雫が浮かび上がっている。
「なんで、なんで……」
少年の唇は、歯で食いしばられているために、雪のように真っ白になっている。
「――なんで、死んじゃうの!」
彼の叫びが、空しく公園に響き渡った。
「……ごめん」
「またね、って言ったのに!」
「……うん」
いつも通りの毎日。公園の砂場でお城のような砂山を作ったり、泥団子を握り互いに自分のを見せ合うという遊びをした。
夕暮れになり、昨日と同じように手を振り別れを告げた。
ありふれた日常の一部になるはずだった。
その帰り道のことだ。彼女が車にはねられ、命を奪われたのは。
「ごめん、ごめんね」
彼女の謝罪は、彼の耳には入らない。
彼女の残像は、彼の眼には映らない。
それでも彼女は、そっと、彼の手をつかもうと小さな手を伸ばした。
昨日までは感じていた温かさがそこにはあるのに、すり抜けて宙を捕らえた。
「っ!」
もう、彼の手には触れられない。そのことに、少女は目に見えない涙を満たした。
泣く彼を、何とか元気づけたいのに。
「泣かないで……」
自身の頬に透明な涙の筋を浮かばせながら、必死に少女は彼に触ろうとした。しかし、何度試みようと、それは無意味だった。
寒い中で冷たくなった手を温めることは、叶わない。
「ごめんね、ハルちゃん」
「置いて、行かないで……」
少年の嗚咽混じりの叫び声が、少女の心を痛いほどに締め付ける。
「そばにいてよ」
「いるよ、ユキはハルちゃんの隣にいる!」
叫んだ言葉は、凍えるような空気中に掻き消えた。しんしんと降り続ける氷の花々が、彼らの思いさえも吸い取ろうとしているようだった。
「もう、ダメなのかな……?」
絶望を覚え、悲しみを瞳に表した瞬間、少女の身体は自身の視界の様に滲み始めた。
「あ……」
別れの時を悟って、少女はギュッと唇を噛み締めた。
「離れたくないよ……」
彼女の意思に反するように、透明度は増していく。彼女の輪郭は、ほとんど残っていない。
彼に伝えたいことが、まだたくさんあった。
春も夏も秋も冬も、彼と一緒に過ごしたかった。それはきっと、この存在すら奪われつつある体では、もう叶うはずがないことを、少女は幼いのに理解をしていた。
けれど、それでも心は追いつかない。
――もう少しだけ。もう少しだけ、彼のそばにいたい。
祈るように願いながら、彼女はその手を再度伸ばした。届くはずがないと、すでに知っていながら。
さよならは言いたくはなかった。
だから、少女は、昨日と同じ台詞を囁いた。
「……またね」
言葉が彼の耳元に届いた。姿は見えなくても、彼は知っていた。この声が、誰のものかを。
「ユキ!?」
顔を上げ、辺りを必死で見回す。
「ユキ! ユキィ!」
少女の名を必死に呼ぶ彼を、彼女は愛おしそうに見つめながら、宙に溶けた。
「大好き」
唇だけは、そう動かして。
***
大人になった僕は、たまに一人で公園に来る。
懐かしさと切なさが押し寄せてくる、思い入れのある場所だ。ある意味、自宅よりも落ち着くのかもしれない。
近くにより大きな公園が設置された関係で、あの公園はすっかり人気がなくなっていた。昔はこの時期、園内の数本植えている桜を見に来る散歩客が多くいたのに。
だから、ほとんどいつも、あの公園は僕の貸切状態だった。
けれど、今日は珍しく先客がいた。
一人のセーラー服を着た少女が、桜の樹の下に立っていたのだ。
園内の奥に植えられた、最も大きな桜と比べて彼女はひどく小さく見えた。彼女の身長が低いわけじゃない、樹が大きすぎるのが原因だ。
もしも、あの子が生きていたら、あんな風に制服を着こなしていたのかもしれない。そう考えると、感慨深かった。
明るい茶色のショートの髪は、風にふわふわと揺れていた。穏やかに表情を緩めているのが、離れている僕の位置からもわかった。
そっと、手を伸ばして、空を舞う桜の花びらをつかもうとしている。
それが、小さな女の子のものと、姿が重なった。
『どっちがいっぱい拾えるか、競争だよっ』
楽しそうにそう告げてきた、女の子の声が聞こえたような気がした。
ふと、少女が、僕のほうに顔を向ける。
そして、頭上に咲く桜のように、顔をほころばせた。
「また、会えたね。……ハルちゃん」
遠くの方から歩んでくる華奢な身体に、僕の視界は涙で歪んだ。
ふと、あの時の君の言葉が、耳を掠めた。
『……またね』
春の訪れは、きっと、すぐそこにある。
たまには真面目なシリアスでも書いてみますか、と執筆。
けれど結局は悲劇にはなりません。作者である梅津の趣味です。
春は「出会い」の季節でもありますからね!
ハルちゃんとユキは今後、新しい関係を築いていくのでしょう。
友人か知人か、幼なじみか、はたまた恋人かどうかは、二人次第です。
活動報告にあとがきを載せましたので、もしよければそちらもどうぞ。
読んでくださったあなたに最大限の感謝を。