声が聴きたい
「浩介、来たよ。」
「……。」
「ほらこれ、花屋のお姉さんにお勧めされたんだ、ポインセチア、って言ったっけか、赤いのは葉っぱなんだってよ?」
冬の最中、そろそろ雪が降りそうな、ぐずついた天気の中、今日は浩介の誕生日だ。
誕生日を祝うって言っても、気の利いた事は出来ないだろう、って言うのは俺の中にあって、だから、花なんかでも買ってこよう、なんて思って、病院近くの花屋によって来た。
「浩介……。」
俺の恋人、浩介は、半年前に脳梗塞をやって、失語症になって、そしてまた再発して、悪化して、それで、今は昏睡状態になってる。
昏睡状態、意識がなくなったのが二か月前、それ以来、俺は独りで、浩介に話しかける日々が続いてた。
「だいぶ痩せちゃったな、浩介。元々細身ではあったけどさ、これじゃ骨川筋衛門だ。」
「……。」
「今日はちょっと立て込んでたけど、まあ時間は作れた、だから、いつもより一緒にいられるよ。」
俺は、小説家として、有難い事に年に何本か出版をしてて、今では専業作家だ。
浩介の入院費は保険に入ってたから、ある程度は出る、でも、足りない分があったりするから、そこは俺の稼ぎから払ってたりする。
「悠にぃ、来てたんだ。今日は早いね。」
「悠治、今日は大学どうだった?」
浩介の弟、悠治は、今大学三年生で、俺達の二個下の弟だ。
俺にとっても弟、って言うか、もう付き合い自体が長いから、弟になった、って感じかな。
兄よりでかい弟、俺と同じ位の身長で、俺よりだいぶ筋肉質な悠治は、困り笑い、って感じの顔をしてる。
「相変わらずだよ。悠にぃの熱狂的なファンっていうかさ、そう言う子が、悠にぃに会うの目的で近づいてきた事位じゃないかな。」
「それは申し訳ない事をしたな。」
「悠にぃが悪い訳じゃないっって。それより、浩にぃは相変わらず……?」
「そうだな、眠ったままだ。」
大学を卒業して、入りたい業界に入って、これから先が沢山ある、って時に、浩介は脳梗塞を起こした。
一旦は回復したんだけど、たちの悪い事に失語症になっちゃって、喋れないから筆談で、なんて日が続いた中、また倒れて、今度は意識不明の昏睡状態だ。
「浩にぃ、どんどん痩せちゃってるね。筋力、落ちてるのかなぁ。」
「だろうな。運動っていっても、リハビリって言って筋肉が膠着しない様にしてる位だし、目が覚めた時が大変そうだな。」
「……。ほんとに、目が覚めてくれるのかな……。ほら、半年前に手術して、それから話せなくなったでしょ?だから……、もう、戻ってきてくれないのかなって……。」
「俺達が信じて上げないと、浩介が帰って来た時に困っちゃうな。悠治の不安はわかる、ただ、俺は信じていたい。いつか、浩介が目を覚まして、きっと一緒に戻れるんだ、って。」
信じてる、それは願いと言い換えても良いだろう。
俺は信じてる、そして願ってる、浩介が、きっとまた目を覚ましてくれるって、きっと、また話が出来る様になってくれるって。
それは願ってはいけない事なのかも知れない、浩介にとって、酷な願いなのかもしれない。
ただ、俺は願わずにはいられなかった、大切な人、大切な恋人、大切な兄弟だから。
それは、悠治も変わらないだろうな。
ただ、悠治の方が、現実を見てるってだけで。
ベッドの横から立って、俺より少し小さい悠治の頭を撫でる。
「大丈夫だよ、悠治。俺が一緒だ。」
「悠にぃ……。」
頭を撫でて、ハグをして、悠治の気持ちを落ち着かせる。
昔からこうだった、幼稚園の頃からの付き合いな浩介と悠治、二人揃って、こうすると落ち着く、って言ってて。
気が付いたらそれが習慣になってた、そうしてると、俺も落ち着くんだ。
「さ、今日は帰ろう。浩介も、そろそろ点滴の時間だろうから。」
「うん。」
手を繋いで、一緒に病室を出る。
浩介は、きっと帰ってきてくれる、きっと目を覚ましてくれる、だから大丈夫だ、って。
「夕飯何が良い?」
「今日三時頃にご飯食べたから、あんまり重たいのはいいかなぁ。」
「パスタにでもするか。」
家、病院から近い3LDKの賃貸マンション、俺達が高校を卒業してからすぐに暮らし始めた、もう五年は暮らしてるマンション。
当時浩介は大学生、俺が学生作家で稼いでて、どうせだから一緒に暮らそうか、なんて言って一緒に暮らし始めた、そんなマンションの一室。
悠治が大学に上がるタイミングでご両親が早期リタイアして、家業を継ぐから遠方の実家に帰る、って話で、その時から悠治も一緒に暮らしてる。
仲が悪い、ってわけでもないだろうけど、子供に関心のない親御さんだった、って記憶はあって、浩介も悠治も、最低限はしてもらってたけど、それ以外は放任主義と言うか、構ってもらえてなかったって話してた記憶がある。
「風呂沸かしてくれるか?」
「わかった。」
そう言う俺はどうなのか、って聞かれると、まあ高卒すぐに家を出た、って時点で察して欲しいって言うか、仲の良い家族とは言い難い感じだったな。
「さて、たらこがあったな……。」
今日の夕飯はたらこパスタにしよう、なんて考えて、鍋に水を入れて沸かす。
「……。」
悠治は今、風呂場を洗いに行ってる、考え事をしてても、咎められる人はいない。
「……。」
浩介は、なんでああなってしまったんだろう、それはいつも考える事だ。
あんなにも優しくて、穏やかで、純真な子が、あんな目にあわなきゃならない理由がわからない、神様って言うのは、どうしても残酷なんだろう。
きっと帰ってきてくれる、と信じてはいる、願ってはいるけれど、浩介が日々衰弱していく姿を見るのは、苦しい。
なんで、こんなにも優しい子が、あんな目にあわなきゃならないんだ。
憤っても仕方がない、誰を責めた所で、解決なんてしてはくれない。
ただ、思わずにはいられない、ってだけだ。
「ふぅ……。」
風呂を洗いながら、悠治は考えていた。
浩介がもし死んでしまったら、自分はどう身を振って行けばいいのか、と。
大学三年と言う微妙な時期、しかし、浩介がいつまでも生きていてくれる、とは思えなかった。
回復する可能性は限りなく低い、と言われていたし、一緒に暮らしている悠介の様に希望を持てているわけでもない。
限りなく絶望に近い感情、それが悠治の持っている感情だった。
「浩にぃ……。」
そうなった場合、自分はどうすればいいのだろうか。
悠介は、ここに暮らしていけば良いと言ってくれそうだが、それに甘えるのも少し違う気がする、と悠治は考えていた。
独り暮らし、と言っても、料理の経験が無ければ独り暮らしの経験もない、かといって、大学を辞めて両親のもとに行く、と言うのも少し違う気がする。
選択肢は幾つか用意されているが、そのどれを取ればいいのか、と悩んでしまう。
「悠にぃは、なんで……。」
どうして、あんなにも気丈に振舞えるのか。
兄弟である悠治と同じ程度、それ以上の関係性だったはずの悠介、そんな悠介が、気丈に振舞っている姿を見ると、疑問を浮かべてしまう。
きっと、心が強いのだろう、きっと、本気で浩介が帰ってきてくれると信じているのだろう、ただ、悠治にはそれは、悲し気に嘆いている様にも見えてしまう。
もうわかっている、戻ってこれない事はわかっている、ただ、その事実を受け入れられていなくて、信じているという言葉を使っているのではないか、と。
「違う、悠にぃは……。」
それは違う、悠介は、本気で浩介が帰ってきてくれると信じているだろう。
そう信じてやらないと、それは悠介の口癖だ。
信じなければ願いは叶わない、求めなければ理想には手が届かない、それが悠介のいつも言っている事だ。
だから、悠介は本気で、浩介が意識を取り戻すと思っている、また話をしてくれると思っている。
「僕は……。」
自分にはそんな事は出来ない、と感じてしまう。
あの状態の浩介を見続けて、それでも尚、その言葉を口にして、信じる事が出来る、その精神性が、憧れもするが少し悲しい。
悠治にとって浩介が大切な兄である様に、悠介にとって浩介は、双子の兄弟の様な、恋人と家族を混ぜた様な関係性だ。
両親が昔から放任主義で、あまり構ってもらえなかった悠治にとっても、大切な兄である悠介、悠介にとって浩介は、家族や恋人を超えた存在なのだ、それは理解していた。
だから、悲しい。
「ごめんね、悠にぃ……。」
きっと悠介は、己の信念に従っているだけで、憐れんでほしいなどとは、一切思っていないだろう。
一方的に憐れむ、それは悠介にも、浩介にも失礼だ。
二人の絆を考えれば、それは当たり前なのだから、と。
「悠治、ご飯できたぞー。」
「あ、うん。」
ずっと風呂場にいた悠治に声を掛けて、リビングに行く。
今日はたらこパスタ、あっさりしてるから、あんまり食欲がなくても食べれるだろう。
「ありがとう、悠にぃ。」
「良いんだよ、俺は殆ど家の中で解決する仕事なわけだし、ずっとこうしてたからな。それに、悠治に包丁を持たせるって言うのは、ちょっと怖い。」
「あはは……。いただきます。」
悠治に包丁を握らせた事が何度かあったけど、絶望的に不器用って言うか、なんて言えばいいのか、不向きだなとはわかってたから、悠治に料理をさせる事は今までなかった。
家庭科の実習の時も、先生に何度も注意されたけど、治らなかった、って言ってたし、もう天性のそれなんだろうなって、そんな感じだ。
「じゃ俺も、頂きますっと。」
パスタを食べながら、テレビの音だけが流れる時間が過ぎていく。
悠治には悠治なりの考えがあって、俺には俺なりの考えがあって、お互い相容れない部分があるんだろうけど、喧嘩にはならないし、しない。
そんな主張をぶつける子供でもなし、悠治の言いたい事もよくわかる、だから、その話は今は無しだ。
「悠にぃ、一緒に寝ても良い?」
「ん?たまには良いか。浩介も怒らないだろうしな。」
夕飯を食べ終わって、暫く執筆してた。
今書いてる話を書き終わったら、次はどんな話を書こうか、なんて思いながら書いてたんだけど、悠治が部屋に入ってきた。
普段は浩介と一緒の部屋、二人部屋に独り何だけど、今日はそう言う気分らしい。
気が付けば時間は午後十一時、そろそろ寝る時間だ。
「ねぇ、悠にぃ……。」
「なんだ?」
「……。ううん、何でもない。おやすみなさい。」
「お休み。」
悠治に腕枕をして、悠治が寝るまで待つ。
背中を優しくたたいて、それは悠治が子供の頃から、ずっと変わらない行動だ。
泣き虫だった悠治を、俺と浩介が交互に背中を叩いてあげて、それで悠治が寝付くまで一緒にいて。
そんな事をしてたのが懐かしい、まるであの頃に戻ったみたいだ。
「……。」
思えば、浩介と出会ったのが幼稚園生の頃、悠治が二つ下で年少さんで入ってきて、それ以来ずっと仲が良くて、なんやかんや十八年くらいの付き合いになって。
俺と浩介は今二十三歳、俺が十五歳の頃に学生作家としてデビューして、それからもずっと付き合い続けてきた。
周りには、お前は変わった、なんて言われてたけど、浩介と悠治は、何も言わずについてきてくれた、俺が変わっただとか、変になっただとか、そんな事を言わずに、傍にいてくれた。
だから、今度は俺の番なんだ、浩介が目を覚ますまで、ずっと悠治の傍にいよう。
いつか浩介が目を覚ましたら、一緒に笑える様に。




