優しいおでん屋
大阪の飲み屋街にある少しボロいおでん屋。そこの大根は味がとても染みていて上手い。今の気分はそうだなぁ、とてもハイで金もたくさん使いそう。
おそらく躁状態だろう。
鬱の時には何も良いことがなかった。その事を思うと、今が人生のピークなのだ。あとはまた鬱に落ちるだけ。そんななら、切りよく死んでも良いかもしれない。
(楽だしな)
出汁の香りが鼻に入り込む。白くて熱い煙なのにむせないで味わうことのできる不思議な湯気。覗き込めば様々な具材が入っている。
牛スジ串の隣に大根を配置したのは最強だと思う。味が移って絶対にうまい。
「いらっしゃい」
「……大根を3つ。あとだし巻き卵も」
「ホイ、おやお客さん目の下のクマ、大変そうだね〜」
「はい。あまり寝ていなくて」
「大変なんだね仕事」
……ニートだけどね……。
「は、はい……」
そう返したら、何かを察したのか屋台主はそれ以上言及しなくなった。3つと言った大根が5つ容器に入る。う巻きのだし巻き卵と、よく煮込まれたロールキャベツまで入った。
「そ、そんなに頼んでませんし、お金……足りませんよ!」
「お金については奢るとも言ってねぇぞ?」
「え、ええ?」
「就職には目標が必要だからな……そうだ、この店の経営、厳しくてなぁ、皿洗いが居ないんだ。できる範囲でいいから手伝ってくれねぇか? そしたらタダで飯食わしてやる」
「それ、法律的に良いんですか?」
「アプリから登録してくれたら合法だ」
「なるほど!」
……でも、鬱の時にはどうしよう。
言い辛い。毎日ベッドでジタバタしてるだけの日常のことを言うと不採用になる気がした。おでん屋のおっちゃんの気前がいいだけに、悲しくなった。
半分パニックになっていたら、屋台主は、
「……俺にもな、昔居たんだよ」
とおでんの湯気をかき混ぜながら語る。
「精神的に不安定で、それでも一生懸命で諦めなかった奴が。でも、ある日突然自殺した。何の連絡もなく。遺書には『幸せを感じている時に死にたかった』と書いてあった」
屋台主は、こちらを見て器に盛られたおでんを差し出した。食欲を刺激する匂いと豪華な中身たち。とても気分が良くなった。
同時に【この気分は永遠には続かない。また鬱が来る】という気持ちに支配されそうになる。
屋台主は、
「お前さんの目、綺麗だ。商売に活かせる。皿洗いと並行して料理提供もしてみたらどうだ。弾むぞ」
「もしかして、知り合いへの罪滅ぼし的な感じですか?」
屋台主は黙った。
しばらくして口を開けて語る。
「そりゃおめー、人の死にた気な違和感を知ったら気味悪いだろ。俺はそういう奴を救うことで俺自身が救われたいの」
「なるほど……」
アプリの登録はしておいて、おでんを食べた。帰りの皿洗いで手がカサカサになった。日払いの給料で買ったハンドクリームがなんだか良い香りがする。
さて。
今度はいつ、おでん屋で働きに行こう。部屋のなかで鏡を見る。褒められた目が美しく見えた。不思議と口角が上がる。
これは、躁状態だからなのだろうか。
それとも、屋台主の言葉の力なのだろうか……。
おしまい




