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婚約破棄されたエルフの悪役令嬢は、隣国の王子と手を組み、自らの権力ですべてを潰す

作者: 結城斎太郎

「……これにて、婚約を破棄させていただきます。リリシア嬢」


王都社交界の中心、ヴァルデア公爵家の庭園にて、その言葉は響き渡った。


「理由は、君があまりにも冷酷で利己的だからだ。そして私は……この方、アメリア嬢と愛し合っている」


リリシア・ヴァルデアは凍てつくような微笑を浮かべたまま、元婚約者である王太子アルトと、その腕に抱かれた平民上がりの令嬢アメリアを見下ろした。


「ふぅん……そう。浮気していたのね?」


「なっ……ち、違う!これは真実の愛なんだ!お前のような悪女に、僕の隣に立つ資格は――」


「黙りなさい、アルト殿下」


その一言で空気が凍りついた。


「私に婚約を破棄する権利があることをお忘れかしら? ヴァルデア家は、王国の経済を支えているのよ」


「だ、だからこそ……君が恐ろしいんだ!」


アルトの声は震えていた。だが、リリシアはもう彼に興味を失っていた。


「じゃあ、その恐ろしさ……骨の髄まで味わわせて差し上げましょう。二度と他人の人生を踏みにじったことを後悔できるように」


それが復讐の始まりだった。


* * *


リリシアは王都を離れ、自らの領地である〈黒薔薇の森〉へと戻った。彼女はエルフ族の血を引く特異な存在。魔力と知性、そして血筋によって構築された彼女の影響力は、想像以上に強かった。


それから半年の間に、リリシアは手を下さずして、アルトとアメリアの支持基盤を一つずつ破壊していった。


まず、王都の貴族派から、ヴァルデア商会と関わりの深い者たちを引き上げる。


次に、アメリアの実家が経営する雑貨商店に対し、「虚偽申告と脱税」の疑惑を精査。証拠を握った瞬間に糾弾し、家は財産を没収され、商人ギルドからも追放。


アルトの側近であった貴族達には、不正な資金提供や婚外の愛人問題を「偶然に」露見させ、次々と失脚させた。


「女だからって、なめられたものね」


微笑みながら紅茶を口にするリリシアの傍らに立っていたのは、隣国エルデンの王子・シリル=エルデン。


「君のやり方は徹底している。だが、その冷たさの裏にある痛みに、私は惹かれるよ」


「お世辞は要らないわ」


「お世辞ではない。私は、本当に君を……美しいと思っている」


その真っ直ぐな視線に、リリシアの胸がわずかに揺れた。


* * *


シリル王子は、実は王国内での政敵に追われる立場だった。だが、リリシアとの共闘によって、お互いの「敵」を一掃する策を講じ、実行に移した。


その協力は想像以上の効果を発揮した。


アルトの後見人だった枢機卿は、シリルとリリシアの証拠提出によって職を追われた。アメリアは、商人ギルドへの横領の容疑で捕縛され、民衆の前で裁かれる。


そして、王都の広場で行われた「公開裁判」。


「アルト殿下。貴方は、平民令嬢との不貞行為と、婚約者への名誉毀損、国家財政の妨害により……その位を剥奪され、幽閉されます」


リリシアが高台から宣言する中、シリルは民衆の前に進み出た。


「この裁きは、ただの復讐ではない。正義であると、私は信じている」


王太子の資格を剥奪されたアルトが引きずられていく様を見ながら、リリシアはようやく心の底から息を吐いた。


「……やっと、終わった」


「いや。終わりではない。ここからが始まりだ、リリシア」


シリルは彼女の手を取る。


「私は君に隣にいてほしい。王妃としてではなく、一人の女性として、私の未来にいてほしい」


「白い結婚で?」


「そう。形式だけの政略結婚だと、最初は思っていた。でも……今の私は、心から、君を愛している」


その言葉は、リリシアの硬く閉ざされた心に届いた。


「……私は、簡単に人を信じることができないわよ」


「構わない。君が信じられるまで、隣で証明し続けよう」


優しい声と手の温もりに包まれ、リリシアは小さく、頷いた。


* * *


それから一年後。リリシアとシリルは、エルデン王国の宮廷で「白い結婚」の式を挙げた。


だが、その実態は……誰よりも強く、深い絆で結ばれたふたりの結婚だった。


互いの信頼と権力を武器にし、彼らはそれぞれの国の未来を築いていく。


そしてリリシアは、ようやく気づいたのだった。


――愛は、ただ与えられるものではなく、自分で選び、信じるものだと。


だからこそ、今の彼女は、誰よりも強く、誰よりも幸せな「悪役令嬢」だった。



---



「リリシア、もう時間だ」


鏡越しに声をかけてきたのは、侍女のセラだった。


「……緊張しているのね」


リリシアはため息をひとつ吐き、鏡に映る自分を見つめた。


金銀を編み込んだエルフの民族衣装に、王国の格式を取り入れた純白のドレス。背中まで伸びる銀髪には、月光石の髪飾りが輝いていた。見目はまさしく「王妃」そのものだ。


「こんなに飾られるのは、正直、苦手だわ」


「でも殿下がご覧になったら……息を呑むでしょうね」


セラが微笑む。

リリシアは口元を僅かに上げると、立ち上がった。


――これは形式だけの「白い結婚」だったはず。

だが、政略と称した関係は、互いの信頼と共闘を通して、次第に愛に変わっていった。


「今日という日が、あの復讐の始まりだった日と、同じ重さを持つなんてね」


「違いますよ、お嬢様。今日からは……人生が、変わる日です」


* * *


王都エルデンの聖ルルディア大聖堂――


教会の扉が開かれると、荘厳なオルガンの音と共に、一斉に参列者の視線が花嫁に注がれた。


王族、貴族、各国の使節、そしてかつて彼女に牙を剥いた者たちすら、今は黙して頭を垂れていた。


堂々と歩を進めるリリシアの姿は、かつての悪役令嬢などではない。堂々たる勝者として、王妃としての風格を纏っていた。


その先で待っていたのは、シリル・エルデン王子。


深紅の礼装に身を包み、金のブローチを胸元に飾ったその姿は、まさしく“王の器”そのものだった。


リリシアに手を差し伸べた瞬間、彼の唇がわずかに動いた。


「綺麗だ、リリシア。……息が止まったよ」


「褒め言葉だけは、いっちょまえね」


囁き返しながらも、リリシアの頬が僅かに紅く染まる。シリルはそれを嬉しそうに見つめていた。


そして、神官が誓いの言葉を告げる。


「リリシア・ヴァルデア。貴女はこの男と、国と、民と、未来を分かち合う覚悟を持ちますか?」


「――はい。持ちます」


「シリル・エルデン王子。貴方はこの女と、命が尽きるその時まで、誓いを守りますか?」


「……命の終わりなど待てないな。私は今この瞬間から、彼女を永遠に愛すると誓う」


静寂を破る拍手。

そして、王子の腕に抱かれながらリリシアは思う。


――これは私の復讐の終着点ではなく、幸福への始まり。


* * *


披露宴は、王宮のバンケットホールで行われた。


「……もう少し、静かな式でもよかったのだけれど」


「そう言うと思って、個室を用意しておいた」


シリルは笑いながら、リリシアを別室へと連れ出した。そこは彼女の故郷である黒薔薇の森を模した、深いグリーンと淡い光が差し込む空間。


「……ここ……」


「君がいつも言っていた、“森の光と風”の香りを再現したんだ。気に入ったかい?」


「……ええ。すごく」


その場にいたのは、ふたりだけ。

リリシアは、彼の前に立ち、真っ直ぐに目を見た。


「ねぇ、シリル。これが“白い結婚”だったとしても……私は、もうその言葉を信じていないの」


「ふむ?」


「これはただの形式なんかじゃないわ。私が……私の意思で、あなたを選んだの」


シリルの目が驚きで揺れ、すぐにやわらかな笑みが浮かんだ。


「……その言葉を聞けただけで、今日まで生きてきた価値がある」


「大げさね」


「いや、本気だよ」


ふたりの間に、静かで確かな沈黙が生まれる。


そして、シリルが優しくリリシアの手を取った。


「リリシア、君が悪役令嬢だったことも、エルフであることも、復讐を果たしたことも……私はすべて知っていて、それでも君を愛している」


「それは、知ってるわ」


「けれど、今からは……君が愛された女であることだけを、覚えていてほしい」


静かに唇が重なった。


それは契約の印ではなく、愛の証だった。


* * *


夜――


披露宴が終わると、ふたりは王城の新たな居室へと向かった。


リリシアが扉を開けた瞬間、室内は彼女の好きなラベンダーの香りで満たされていた。


「これは……」


「新しい生活の始まりだ。君の部屋であり、私の部屋であり……ふたりの“城”だ」


「……変な男ね。どうしてそんなに、私を甘やかすの?」


「だって、君がそれを我慢する姿を見るたびに、心が締め付けられるから」


「……そんな顔しないでよ。こっちまで泣きそうになる」


シリルはリリシアの頬を撫で、その耳元に囁いた。


「泣いてもいい。今日だけは、君のすべてを受け止めるって決めているから」


リリシアは、ようやく口元に柔らかな笑みを浮かべた。


「……ありがとう。シリル」


「リリシア、結婚おめでとう。これから先もずっと……君の傍にいる」


「ええ。私も……あなただけを、愛するわ」


静かに、夜が更けていった。

ふたりの「白い結婚」は、形式ではなく、魂と魂の交わりとなって……真の夫婦となる夜を迎えたのだった。



---



それは、春の終わりの夜だった。


エルデン王宮の深奥――

静けさに包まれた妃の居室に、かすかな呻きと、水の破れる音が響いた。


「殿下、お身体をお大事に……! いま、医療団が到着します!」


リリシア・ヴァルデア=エルデンは、身を焼くような痛みに額から汗を滲ませ、ベッドの上に横たわっていた。


「……こんな痛み……復讐の時の緊張の方がまだマシね……!」


そう呟く声すら震えていた。


だが、彼女の手を握るその人――夫であり、王子であり、彼女を最も深く理解する存在――シリル・エルデンは、彼女を見つめながら、ひとことも声を荒げなかった。


「リリシア、君は大丈夫だ。君ならできる。俺たちの子どもを、きっと無事にこの手に抱かせてくれる」


「……わかってる……わかってるけど……ッ!」


かつて“悪役令嬢”と恐れられたリリシアも、今は一人の母親だった。


痛みに身をよじらせながらも、決して目を閉じることはなかった。

この手に、守るべき命がある。それを、自らの力でこの世に迎え入れると決めたから。


* * *


「頭が見えてきました! 殿下、もうひと踏ん張りです!」


助産師の声に、リリシアは歯を食いしばる。


――そうよ、私はあの日、あの婚約破棄で一度すべてを失った。

だけど、自分の手で全てを奪い返して、今――私は、こんなにも尊いものを手に入れたのよ。


「うあああああッ!!」


その叫びとともに、産声が響いた。


高く、力強く、命の音。


「……産まれました! お坊ちゃまです! 元気な男の子です!」


シリルが、顔を覆ったまま、膝をついた。

喜びと安堵の混ざった涙が床に落ちていく。


「……リリシア……ありがとう。本当に、ありがとう」


リリシアは息を荒げながらも、わずかに目を開け、助産師の腕に抱かれた小さな命を見た。


「……小さいのね。でも、確かに……生きてる……」


彼女が腕を差し出すと、赤ん坊はその手の中に収まった。


温かくて、やわらかくて、壊れてしまいそうなほど繊細で――でも、力強く泣いていた。


「……こんにちは、坊や。ようこそ、この世界へ」


その一言に、シリルも隣で息を呑む。


「リリシア……名前は?」


「ええ、決めてあるわ。“ルシアン”。――月と光の子という意味よ」


シリルは、妻と息子を交互に見てから、笑顔で頷いた。


「素晴らしい名だ。君のように、凛とした強さを持ち、そして光となる子になるだろう」


「それと、あなたみたいに……優しい子にもね」


ルシアンは、まだ小さな指で母の指を掴んだ。


その瞬間、リリシアの目から、一筋の涙がこぼれた。


「……こんな気持ちになるなんて、知らなかった……。私……本当に、幸せなのね」


* * *


それから数日後。


ルシアンの誕生は王国中に伝えられ、民衆は祝祭を挙げて喜んだ。


しかし、王宮の一室では――


「また王都の一部貴族が不穏な動きをしているようです。殿下の子がエルフの血を継いだと知り、“純粋な王位継承者ではない”などと……」


リリシアの側近であるセラが報告を終えると、リリシアは静かに目を閉じた。


「予想通りね。けれど――“潰す方法”も、ちゃんと用意してあるわ」


「ふふ……お嬢様が戻ってきたようで、安心しました」


「私はいつだって“リリシア・ヴァルデア”。優しい母親になっても、敵を見逃すつもりはないわ」


* * *


その夜。


月明かりのもと、リリシアはルシアンを抱いて庭園にいた。


「ルシアン……あなたはまだ知らないでしょうけど、この世界は優しくなんかないの。けれど――」


彼女は赤ん坊の額に口づける。


「母さんと、父さんがいる限り……あなたに触れる悪意は、すべて斬り捨てるわ」


するとルシアンが、微かに笑ったように見えた。


「……そう。あなたも、強い子になるのね」


その後ろから、シリルがやって来て、そっと妻の肩を抱いた。


「母になっても、君は君だな。そこが誇らしいよ」


「でも、母親だからこそ、より強くなれたのかもしれない。命を守るって、そういうことでしょう?」


シリルはルシアンの小さな手に指をあて、やわらかく握り返された。


「この子は、きっと素晴らしい未来を歩む。君と僕の血と心を継いだ子だから」


「……ええ。王にも、英雄にもならなくていい。ただ、誇りを持てる子になればいいの」


「それが君の願いか?」


「そう。私は、あの時復讐を果たした。でも、もうこの子には、戦わせたくない。だから、私が戦うの。母として、王妃として、そして――元悪役令嬢として」


シリルは笑いながら、リリシアの頬にキスを落とした。


「その誓い、君らしいよ。リリシア。私は、君を誇りに思う」


「私も。あなたと結婚して、心から良かったと思ってる」


静かな夜に、ルシアンの小さな寝息が響いていた。


それは、世界がようやく彼女に与えてくれた、穏やかな幸せの証。


リリシアは過去のすべてを抱えながら、それでも今、幸せをかみしめていた。

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