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レイアを襲った農民の家の前まで来たところだった。
ストラベリングスキーが農民の青年の家のドアを叩くと、母親が出てきた。
「ロフシュコフはいるか?」
ロフシュコフの母親は彼ら3人の様相を見て、異変に気づいたようだった。彼女は、自分の息子が何かしでかしてしまったことを悟った。
「なんの用でしょう?あの子は今ここには居ませんよ」
「うそつけ!こんな朝早くから遊びに行く農民がいるか」
ヴェルホーヴェンスキーが射竦めるように鋭い声で言った。
「何をしたんです」
「おまえの息子が、この女性にちょっかいを出しやがったんだ。人が善意で教育してやってるのに、それを逆手に取って情欲を満たすなんてな。おまえの息子は獣も同然だ」
ヴェルホーヴェンスキーが声を荒げて、唾を飛ばしながら口汚く罵った。日頃の彼からは乖離した姿だった。
「息子はそのようなことをしません。間違いではありませんか」
ロフシュコフの母親は、息子を信じたい一心でそういうことしかできなかった。
「本人に聞けば手っ取り早い。いつ帰ってくるんだ」
ヴェルホーヴェンスキーは、ズカズカと母親の遮りを避けて部屋の中に入り、どっかりと椅子に座ってしまった。彼の強引さはこういう場面でかなり強く見られることだった。
「帰ってください。私たちにはこれから仕事があるんです」
「よくそんなことをいえたもんだなあ。あんたの息子が加害したにも関わらず、僕たちを追い出そうなんて。あんたの教育がなってないから彼女が被害を受けたんだ。人の恋人に接吻するなんて、躾がなっていないにもほどがある」
ロフシュコフの母親がぎょっとして青ざめた。嫌な予感は当たっていたようだった。
「私の息子はそのようなことはしません」
精一杯の弁明だった。こんなささいなことで問題が大きくなっては馬鹿なことだと思った。ロフシュコフの母親は、緊張した面持ちでレイアの方を見ると言った。
「この方が誘った場合もあるでしょう」
ヴェルホーヴェンスキーがダンと音を立てて立ち上がって、反論した。
「そんなわけないだろう!この人には恋人がいるってさっき言っただろうが!子供も子供なら親も親ってなあこのことだな」
大声でわめきたてるヴェルホーヴェンスキーの声を聞いたからなのか、ロフシュコフの父親と近くの農民の男が入り口にやってきた。
「何のようだ」
ストラベリングスキーはレイアがロフシュコフに襲われたことを言った。すると、ロフシュコフの父親は露骨にいやらしい笑いをしたあと、その農民と顔を合わせた。
「息子がそんなことするわけ無いだろう。
あんたたちがおかしいことをするからこっちも迷惑なんだよ」
それは本音のようで、3人に突き刺さるような衝撃を与えた。ヴェルホーヴェンスキーが父親の前まで来て敵意を向けた瞳で怒鳴る。
「そっちが教えてほしいと言ったから教えに来たまでなのに、その言い草はないだろうが!お前の息子がこの人に加害行為をした!この人がそんな嘘ついてもなんにもならない。早くお前の息子をどこにいるか教えろ!」
「あんたらを見てると貴族ごっこをしてるようにしか思えない。貴族という上の立場で俺たちを馬鹿にしてるんだ」
ロフシュコフの父親が嘲笑うように言った。と、手に持っていた鍬をヴェルホーヴェンスキーに向かって振りかぶって、ぶつけようとした。
振りかぶった様子に仰天したヴェルホーヴェンスキーは手で頭を守ろうとした。その顔は青ざめ、いきなりの反撃に面食らっているのが分かった。
「はっははははははは」
ヴェルホーヴェンスキーの驚いた様子に満足した農民たちは大声で笑い、ぶつけようとした鍬をゆっくりと当たる寸前で止めて反応を楽しんでいた。
「あんたら、数に勝てないだろう。あんたらの仲間が農民たちに殺される話もあちこちで聞くしな。余計なことして、こっちの縄張りを荒らさないでくれないか」
主張が全く通らないことを実感した。今の状態は、3対3で同数だが相手は頭をかち割ることのできる鍬を持っている。それは凶器で、今にもヴェルホーヴェンスキーの頭をぐちゃぐちゃにできる代物だった。
ヴェルホーヴェンスキーが唾を横に吐いて、ギラギラとした獰猛な目つきで農民2人を睨みつけながら言った。
「覚えていろよ、お前のしたこと忘れないからな」
ドンとロフシュコフの父親に向かって肩をぶつけながらその場を立ち去り、彼の後を追うようにストラベリングスキーとレイアはついて行った。
「ヴェルホーヴェンスキー君、もうあんなことしなくていいから。仲間が死ぬほうがあたしは嫌なの」
レイアがヴェルホーヴェンスキーの隣で歩きながら、すがるように言った。歩きながら、ヴェルホーヴェンスキーが言う。
「僕はあんなことをされて黙ってられないね。あっちが喧嘩をふっかけたんだ。死ぬまでやりあわなきゃ、正しさが失われるだろう」
ストラベリングスキーが止める。
「やめろ。あいつはやる気満々だった。俺等一人が死んでもあいつらは屁とも思わない。みんなで口裏を合わせて、僕たちが悪かったことにするかもしれないんだ」
「死んだらそこまでの命だったんだ。腰抜けになってまで、活動を続ける価値がないね。僕は対抗するためにちょっと出かけてくるよ。あいつらに分からせるためには、生易しい方法ではだめってことがよく分かった。僕たちは彼らとともに改革をしなければいけないと思って、知識を与えるところから始めたわけだが、彼らにはそれが通用しないし、危機感がわかってないんだ」
「お願いだから、これっきりにして」
レイアがヴェルホーヴェンスキーの手をとった。ぎっちりと握って離さない意思が見える。
「私のことはもういいの。これであなたが亡くなってしまったら、もうこの組織は終わってしまうのよ。私の代わりはたくさんいるけれど、あなたのように率先して動ける人はいないの。死んだら何もかも終わりだわ」
ヴェルホーヴェンスキーは、立ち止まって考え込むような素振りをしてから、レイアを見つめた。
「僕はもう覚悟が決まってるよ。僕があそこで逃げたのは、やり返すチャンスを望んでのことさ。君に対しての無礼と僕に対しての脅迫…。それに恩を仇で返すという三重の罪を犯したんだから、何が起きても彼奴等には弁解の余地はないさ」
レイアは大きくしゃくりあげて、泣きながら彼の身体を抱きしめた。びっくりしたヴェルホーヴェンスキーは、引き剥がそうとする。
「お願いだからやめて。あなたが死ぬのを見たくないのよ」
「やめなって!君は彼の恋人なんだから!
ストラベリングスキー君が妬いちゃうよ」
ストラベリングスキーも彼らを覆うように手を広げて二人を抱きしめた。
「もう、こんな話辞めよう。僕が弱虫じゃなければ僕がやり返しに行ったのに」
「もう何が何だか分からなくなってきたよ」
ヴェルホーヴェンスキーが快活に笑いながら言った。さきほどまでの命を奪われる恐怖が吹き飛んだような調子だった。ストラベリングスキーはその様子を見て安心する。彼女を襲ったロフシュコフは許し難く、彼の父親がヴェルホーヴェンスキーに行った脅しも可能であれば殺してやりたいほどの行為だった。
だが、もしヴェルホーヴェンスキーが感情のままに彼らを誅殺すれば、もっと話は大きくなり、殺戮の状態になるのは明らかだった。活動家はこの地域に十数人しかいない。それよりも多い農民に襲われればひとり残さず殺されることもあり得そうだった。そうなってしまえば、自分たちがやってきた活動の意味もなくなってしまう。積み上げてきた物が粉々になるのだ。
「ヴェルホーヴェンスキー、とにかく君は冷静になったほうがいい。僕と一緒に湖のあたりまで散歩しよう。そうすれば、落ち着くはずだ」
ストラベリングスキーがそう言うと、ヴェルホーヴェンスキーは放心したようになって言葉を探していた。
「君たちにこんなことをされて、頭が働かないよ。
お願いだから離れてくれ」
「あなたがやり返さないなら離します」
レイアがヴェルホーヴェンスキーをきつく抱きしめながら言う。
「わかったよ。行かないから」
ヴェルホーヴェンスキーが呆れ果てた声を出すと、レイアはニッコリと笑って腕を離した。
「約束ですからね」