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「キスだって…!」
ヴェルホーヴェンスキーが大袈裟な手振りで驚く仕草をする。ストラベリングスキーは驚いて、レイアを強く抱き締めた。
「私が甘かったの。相手が何の気もないと思って、そのまま教えることだけに集中していたから。相手が男性だということを意識してなかったからこんなことになったのよ…」
レイアはストラベリングスキーの肩で息をしながら言った。活動家である彼らは、農村部に行き、読み書きができない少年少女青年たちに教えまわっていた。彼らは貴族の生まれだったので、自分たちと農村部の子供たちの学力の差を見るたびに、彼らを憐れんだ。自分たちにできることは、変革のための小さな貢献だと思い、無償で農村部の人たちに読み書きを教えることだと思っていた。文字が読めれば、考え方も広くなり、どんどん向上心を持って行動するようになると思っていた。
しかし、甘かった。農村部の者たちは、彼らの善行をありがたわるでもなく、毛嫌いした。その根底に流れる、特権階級ににじみ出るように感じられる、優越意識が憎かったからだ。変革を嫌う性質もあっただろうが、読み書きができたところで階級は覆らないことを骨身にしみて理解していたのだろう。そんなものはいらないと一蹴するのだった。
「僕がレイアさんをあの青年に指導するようにしなければよかったのか…」
ヴェルホーヴェンスキーは、悔やむ表情で自分が彼女に農村部の青年の読み書きを教えるように指示したことを悔やんでいた。
「殺してやる!」
ストラベリングスキーは、憎しみを持って農民の青年を殴りに行こうとした。それをレイアが、彼の服をぎっちりと握って制止する。
「やめて!ここで動いたら、何が起きるかわからないわ。あっちは喧嘩を売られたことで複数人で復讐するかもしれない。あちらのほうが数が有利だもの」
レイアの言う通りだった。彼ら活動家は貴族の身分ではあったが、圧倒的に数が少なく、農民は倍以上の数であった。農民の結束力は強く、活動家が一人死んだところで数人の農民が捕まるだけで終わってしまう。前に農村の娘に手を出した豪農の医者が、集団で殺された事件があったが、あの話も自業自得ということで話が終わってしまったのだ。
ヴェルホーヴェンスキーが舌打ちをした。
「なんて卑劣なやつなんだ。恩を仇で返すなんて。
まるで獣じゃないか」
「私が危機感がなかったからだめだったの。キスだけで終わったからまだ良かったのよ」
「俺は耐えられない。そいつをぶん殴らないとすまないんだ」
ストラベリングスキーは怒りに震えながら、絞り出すように言った。彼女をコケにした農民が許せなかった。狡猾に女性を利用し、情慾のはけ口とする腐った農民の考え方を抹消したかった。
「やられたらやり返す。教理にもありますからね」
ヴェルホーヴェンスキーが声音を低くして答える。
彼らには革命家としての教理があった。力でねじ伏せられた場合、こちらも力を行使してやり返す。それは血で血を洗う好戦的なやり方を示していた。
「お願いだからやめて。そんなことしたら、私たち全員何をされるかわからないのよ」
レイアは本当にやめてほしそうに言った。彼女にはやられたらやり返す方法が解決方法には全く思えなかった。それは新たな犠牲者を生むはじまりにすぎないと。何度もそんなことをしていれば、いくつもの犠牲者がでて溢れかえるだろうと。自分が些細な性的な犠牲になって済んだのなら、それでよかった。これ以上、犠牲者を増やしたくなかった。
「落とし前をつけに行きましょう、やったらやられることを教えないと分からない馬鹿もいる」
ヴェルホーヴェンスキーがそう言うと、ストラベリングスキーも彼のあとに続いて、レイアを襲った農民の青年の住処に向かった。