4 いざ投稿
その後かれこれどれくらいの時間が経っただろう。私はずっと右手の携帯とにらめっこをしていた。カテゴリやキーワードを設定――それと、必要事項を入力し、“投稿”のカーソルへ合わせたところで、止まっていたのだ。
いざ投稿となると、手が震える。決定ボタンに添えた親指が、なかなかボタンを押しこめない。
『せっかく書いたのだから、投稿すべきでしょう』なんて、頭の中でもう一人の私が言った。
「でも、恥ずかしいなぁ……」
『恥ずかしい? どうして?』
「う~、わかんないけど。恥ずかしい……」
『ふふふ、それは拒絶を恐れているの』
「何難しい事言ってんのよ。私のくせに」
『何よ、これぐらい理解しなさい。私のくせに』
「うるさいわよ! 私のくせに!」
『あんたこそうるさい! 私の、くせにぃ~!』
「おい、なに一人でキーキー言ってんだ?」
へ? 不意に聞こえた声に私は固まった。脳内にギギギと錆びた音を鳴らしながら、声が聞こえた方へと首を回していく。そこに立っていたのは……
「お、お兄ちゃん!?」
「おう、ただいま」
ぎゃああああ! 見られた!? 見られちゃった? 小説書いてるのばれちゃった? しかもよりもよって、その日に? お兄ちゃんに?
「お、おい。なんだよ。どうした? その戸惑いっぷりは半端ねぇな」
「ななな、何でもないんだから!?」
口が回らない。恥ずかしさに支配されて、体温が上昇している。鼓動が早かった。
「何でもない割には、動揺が隠しきれてないな。よし、その震えを抱きとめて……」
そこでお兄ちゃんの言動が止まった。口が半開き、目が大きく見開かれている。その視線の先に私も目をやった。
「あ!?」
そこにあったのはお兄ちゃんの部屋からくすねて来た、パチンコ雑誌。
今度は血の気が引いていく。上がった物が下りてきて、なんだか頭がすっきりした。でも、これがばれたら、さすがに私も怒られる。でも、自分がやった事だと覚悟した。
「みみみ、瑞穂、ももも、もしかして俺の部屋の中、入ったのか?」
怒り。とは違う感じにお兄ちゃんは震えている。哀しみなのだろうか……
『狼狽ね』
頭の中に聞こえた私の声を無視。ここは素直に謝ろう。
「え、あ、うん」
そう言うと震えが強くなった。
「んでもって、漁ったのか?」
「うん」
さらに激しくなる。
「クローゼットの中とかも……」
「ううん」
そう首を振ると、お兄ちゃんの顔が急変した。なんだかパッと明るくなって、憑きものが取れた感じに……
「な~んだ。びっくりするじゃないか。あ~よかったよかった」
ん? 何を気にしてたの? と怪訝な顔を送ってみるけど、お兄ちゃんはへらへらと笑っていた。そして、手に持っていたコンビニ袋から……
「ほれ、プリン」
と、私の左手にぷっちんプリンをポンと置く。
「あ、ありがと」
そう言った俯き加減だった私へ、お兄ちゃんは笑う。
「今度は、一応声をかけてくれよ。さすがにガサ入れはビビるから」
「う、うん。ごめんなさい」
「わかればいいよ。でもなぁ……」
そこで途切れた言葉に、ドキリとした。“瑞穂が小説書いてるなんてな”と続きそうで……
「出会い系はやめといた方がいいぞ」
「はいぃ?」
「いくら寂しいからって、それに手を出しちゃダメだと思うぞ。お兄ちゃんは」
「なんで? どうしてそうなるのよ!?」
「ははは、隠すな隠すな。言っただろう、寂しかったら“俺”が抱きしめてやる」
最後にキリリと真面目な顔で、お兄ちゃんが言った。だけど……
「変態」
そう零れる。
「そう言われても良い。悲しくなったら俺の所に来い。受け止めてやるから」
優しい笑顔。もし私がお兄ちゃんの妹じゃなくて、変態っぷりを知らなければ、落ちてしまうかもしれない。だけど、私は、私だ。
「そんな事を言ってないで、さっさと出ていけぇ!」
両手の塞がった私は、必殺の回し蹴り。しかし、敵もさることながら、それをかわし、ひょいひょいと入口まで逃げのびた。
「いいか、出会い系より、お兄ちゃんを選べよ」
まだ言うか!? 私は右手を振り上げる。そして、持っている物を投げつけようとモーションを始めた。けど、それが携帯だと気が付き、慌ててブレーキ。なら左手、ああ、プリンじゃん。
「じゃあな瑞穂。メリークリスマス」
結局、追い打ちをかける事が出来ず、お兄ちゃんにはまんまと逃げられた。
そこで一呼吸。溜め息が漏れた。
「投稿は、また今度にしよう」
出鼻をくじかれた。だから、今日はもう無理。そう、携帯の画面を見る。
「あ!」
『ふふふ、これも運命ね』
もう一人の私が画面を見て笑った。
そこには“投稿完了しました”の文字。
どうやらさっきのやり取りの中で、ボタンを押してしまったようだ。
そんなこんなで初投稿の感慨もなく、私のなろう作家生活が始まったのである。
後で気が付いた事だけど、パチンコ雑誌には、例外なく出会い系サイトの広告が掲載されているのだと。
だから、お兄ちゃんはあんな事を言ったんだね……
って、勘違いにもほどがあるわぁ!