21 極刑を求刑いたします
「終わったぁ~!」
ディスプレイに映し出される保存完了の文字。とりあえず出来上がった。これから推敲をしなくちゃいけないけれど、今すぐしたところで、テンションが同じだから、できたとしても誤字脱字のチェックくらいしかない気がする。まあ、一晩寝かせたカレーが美味しくなるように、書きあげた小説も少し寝かせてから推敲した方が感じ方も違って、もっと効果的にできると――
陣内誠司が言っていた……。
浮かぶ彼の姿。表情は笑顔じゃない。夕方見たあの鋭い顔。
「僕に感想がない。だから僕の言葉は聞けないと、そう君は言いたいのか?」
頭の中で繰り返される。それが、とても苦しかった。心が締め付けられる。ギュウと、鷲掴みにされて、そのままつぶされてしまいそうだ。
でも、彼は感想をくれた人をバカにした。それはやっちゃいけない事だ。
感想をくれる人はロボットじゃない。人間なんだから……。
右手を握る。ギュッと。
その時、扉がガラリと音を立てた。って、お兄ちゃんが帰って来た!?
ヤバイ! “なろう”のページを閉じないと。
「侵入者発見、我が最愛の妹と認識。ようこそ我が城へ」
スーツに身を包んだままのお兄ちゃんは相変わらずテンションが高い。本人的には後ろにバラか、星でも散らしているつもりなのかもしれないけど、私はそれを一瞥で無視した。それよりも慌ててウィンドウのバッテンをマウスでクリック。ディスプレイから“なろう”が消えた。よし、これで。
そんな私を見てか、お兄ちゃんが視界隅、私の傍らで止まった。そこへ私は上半身を捻り愛敬を一杯に振りまく。
「ああ、おかえりなさいお兄ちゃん」
声も作った。笑顔もばっちり。たぶんこれで大丈夫。な、はず。
「何だ、何だ? 猫なで声だなんて、欲しい物でもあるのか? 言ってみろ? お兄ちゃん何でも買ってあげるから」
財布を取る出そうとするアホタレを半眼に、私は溜め息をついた。でもまあ、とりあえず注意は逸らしたかなぁ。
「あのね。ちょっとパソコン借りてたから、それだけの事。別に、お兄ちゃんから何か買ってもらおうなって思ってないし、要らないし」
「ん? ああ、ネットでもしてたのか? 別にいいぞ、今日は使わないつもりだし。存分にお兄ちゃん部屋にいるといい。使用料は熱烈な兄妹のハグで手を打とう」
「まっぴらごめんです」
笑顔のままバッサリと切り捨てる。だけどそれで止まるお兄ちゃんじゃない。だから、くるりと椅子を回し、嫌になるくらい予想通りに、今にも抱きついてきそうなお兄ちゃんの足の甲を踵で踏み抜く。
「ワンパターンだと言う事に気がつかんのか、このド変態がぁ!」
「ぎゃあぁー!」
悲鳴の前に、ごりっとそれなりな音が鳴ったきがするけど、まあ、それはそれって事で。
そんなやり取りをしていると、階段下からお母さんの声がした。
「真一、瑞穂、ご飯だからおりてきなさい」
反射的に時計を見ると、もう七時半。お母さんも帰ってきて、食事の準備ができた時間。他の家より少し遅いけど、家族がいる時は大抵こんな時間だった。
「はーい」
と私が返事をし、部屋の扉に手をかける。けど、後ろから続かないお兄ちゃんの気配に振り返った。お兄ちゃんは、足の甲をさすりながら、私の方を見ている。
「どうしたの? 行かないの?」
「ああ、行くけど」
「だったら、早くいかないと。お母さん怒るよ。きっと」
あれ? もしかしてやりすぎちゃった? ごりっとしたけど、骨とかはイってないはず。そこらへんの力加減は、今までに学んだ事だから、間違いないと思うんだけど。一向に立ち上がらないお兄ちゃんに、私は首を傾げた。
「どうしたの?」
「なあ瑞穂――」
お兄ちゃんの声が俯きながら零れ出す。どこかいつもと違うみたいだった。なんだか凄く神妙で、お兄ちゃんじゃないみたい。
「な、何よ?」
「お前さ――」
ゆっくりとお兄ちゃんの顔が上がる。すうと真っ直ぐ向けられた目。一文字の唇――それが、ゆっくりと――動いた。
「俺の着替えが見たいの?」
「はあ!?」
「いやさ、さすがにスーツで飯にはいけないだろう。別にお前に見られた所で嬉しいだけだが、攻撃されるのは本意ではない――」
言いながら変態はしゃきっと立ち上がる。痛みなんてまるでなかった物だ。
「それにお前も制服のまんまだろ、そのまま行ったら母さん怒るぜ、きっと」
あ、そっか。私も帰って来たままだ。このままじゃダメだよね。
「ああ、ホントだ。じゃあ、着替えないと」
「そゆ事だ。ほれ、着替えて着替えて」
野良猫を追い払う様にお兄ちゃんの掌が動く。それに促され、私は自分の部屋に戻ったのだけど、どうもおかしい。そう、おかしいのだ。いつものお兄ちゃんだったら、私を追い払う事はしない。なにせあのお兄ちゃんだ間違いないと思う。
だとするなら、あの行為に裏があるとするのが妥当かもしれない。
怪しい。怪しすぎる。
そう思いながらも私はクローゼットを開け、紺色にオレンジのラインが入ったジャージとTシャツをポンポンとベッドへ投げた。
そして、制服をかけるハンガーを手に取り、ブレザーを脱ぎかけた時、はっとした。
まさか……。
じろりと扉を見た。微かに見える隙間。もうダメだ。溜め息も出ない。
この後、お兄ちゃんがどうなったか。知らない方が良いかもしれません。