15 “私”は、私
その後、他の依頼作品にも目を通し、感想を書いた。書評じゃない。感想を書いたのだ。
思った事を、そのままに――それは小説の書き方や、物語の構成、テーマ――そういったものに対する、私の思いを綴った。
時には、依頼された小説へ全く触れていない感想もある。全くと言ってしまうと変かもしれない。でも、間接的と言うか、一足飛びな感想があった。それにはさすがにやり過ぎたと、ちょっとした“おまけ”をプラスしておくのだ。それは、読者としての私ではなく、同じような場所で小説を書く“私”の感想だ。それは少し書評のようでもあったけれど、根本は一緒だった。
そして、私の書いた感想は、それぞれの相手へ――「これが、私の気持ちです」そう、言葉を添えて。
最後に、依頼掲示板で「感想を書きました」と、依頼をくれた人たちへ返信しておく。全ての文字を打ち込んだ時には、日付が変わっていた。
でも、疲れはなかった。むしろ、元気が溢れてくるようだ。
高鳴る鼓動が、私の心を刺激してエネルギーをくれる。もしかしたら、もうひとりの私が急かしているのかもしれない。
まるで、『書きたい事が見つかったんじゃない?』そう言いたげに、私の心をくすぐった。
書きたい。
何でもいいから、文章が書きたい。
そう思うと、物語が頭の中でぽうと浮かび、パンと弾けた。
次々に言葉が生まれ、暗い世界へ物語を縁取って行く。そしてそれは流れを生み出し、うねり、時には渦を巻く。かと思えば、清流のように静かに流れては、思いがけずに飛び跳ねた。そして、私の両手から零れた物語は、私の少し先で水柱を上げると、重力に引かれ人型を残す。それはあの頃の――セーラー服に身を包んだ私の姿だった。
そんなもうひとりの私が、『ついてこれるかしら?』と挑戦的に視線を向けてくる。
それが楽しい。面白い。
ひとつ息を吐き、目を見開く。
「当り前……」
絶対に、捕まえてあげる。
私の心を読んだのか、彼女は軽く地面から跳び、中空で止まると、背中を向けた。
『もう、立ち止らないから』
「望む所よ!」
そう言うと、もうひとりの私は滑るように前へと進む。それを追う私。
紡ぐ言葉が道となり、彼女へ伸びる。打ちこむ文章が私の道だった。時折道がなくなっている。そこに言葉を足して、乗り越える。分かれ道もあった。だけど、前を行く“私”は迷わず選ぶ。だから私も迷わない。立ち止らない。走り続けた。
息切れはしない。むしろ、足が早くなっている。道を作り続けている。
私の様子を伺うように、先を行く“私”が定期的にくるりとスカートを翻し、嬉しそうな顔を見せる。その姿が私に力をくれている。そう感じた。勘違いじゃない。彼女の笑顔が、私の力だった。
そんな彼女を追い、どれだけ走り続けたのだろうか? もう、時間の概念が消えてしまって、視界の隅がしらじらとし始めた頃、彼女がスポットライトの中心で止まり、ふわりと光の中に足を着く。そして、振り返り、右手を私に向け差し出した。
私は、速度を落とした。掛け足から、速歩へ。そして、ゆっくりと道を作りだしては、歩み寄る。少し手を伸ばせば、“私”の手がすぐに触れられる位置にあった。
「ここが終着点?」
『ええ、今の終着点。私に触れれば、今が終わるわ』
『さあ』と差し出される手。この手に触れれば楽しい時間が終わってしまうの? 少し、寂しい気がする。だけど……、それじゃ、ダメなのだ。
「今まで邪険にしてごめんね。あなたはいつも――」
そこで彼女は頭を振って、私の言葉を止めた。そして少し首を傾げる。
『それは言わないで。せっかくのいい所で、溜め息だわ。いい? 私はあなたに謝ってほしいんじゃない。認めて欲しいの。“私”があなたの一部である事を。切り離されてしまったけれど、今でも私はあなたの一部。ううん。これからもずっと一緒なんだから、ね』
最後の不格好なウィンクがとても私らしかった。それを笑い。私は彼女に歩み寄る。
「うん。ありがと」
そう言って握った彼女の手は小さくて、冷たかったけれど、とても柔らかかった。
夜明けと共に私が一気に最後まで書きあげた物語は、とても歪だった。
私が思う事など、限られている。私が書ける言葉も限られている。そんな中で必死に書いた小説は、不格好な程に歪だったのだ。
本当はもっと、適当で綺麗な言葉を選ぶべきだったのかもしれない。時間を持てば、選ぶ事もできた。だけど、その文章に私は、“私”を全て乗せたのだ。怯える私が邪魔をする前の文章――まっさらな私の気持ちを。
だけどそれは、不思議と私の心を打った。展開やオチを知りながらも心が跳ねまわり、自分で書いた小説に感動した。
そして私は作中で笑う――弱さばかりに目がいって、上を見上げられなかった自分。難しく考え過ぎていた自分――今までの自分を笑い飛ばした。
もっと世界は単純だって……。