12 さ、参考までにです。参考までにっ!
豪華ディナーと聞いていたそれは、カップラーメンだった。
富山ブラック――巷で少し話題のラーメン。
確かに、コンビニで売られているカップラーメンの中じゃ豪華な部類だと思うけど、騙された気分。
でも私はそれをずるずると啜り、ちゅるんと呑み込む。
悔しいけど美味しい。
「どうだ瑞穂、美味いか?」
「ま、まあまあね。私個人的に言えば、すがきやの方が上だと思うけど」
そう言うと、お兄ちゃんが鼻を鳴らした。
「そりゃ、すがきやに勝てるラーメンはそうないさ。あれは別格だからな」
「だよね。別格だよ」
あのとんこつ醤油は最高だと思う。麺がゆで上がった時の匂いとか、癖になりそうだもん。なんて思っていたら、お兄ちゃんの箸が私に向いた。
「で、瑞穂は今日の晩飯当番を忘れるくらい何をしてたんだ? 机に向かってウンウン唸って、悩み事か? そうだったらお兄ちゃんが相談に乗るぞ」
コラ、人に箸先を向けるんじゃない。と思いながらも、進路に関してはお兄ちゃんの意見であっても参考にしたい。ちょうどあの時だって、そう思っていたんだ。
「あのさ、お兄ちゃんって、いつ頃進路を決めたの? ほら、私もね。そういった時期じゃない。参考までに聞かせて欲しい、かも……」
「ああ、そうか、もう瑞穂もそんな時期か……。進路、進路ね。――俺が決めたのは、高三のはじめだ。ちょうど、今くらいか」
「きっかけは? どうして? お兄ちゃん大学行かなかったじゃない。どうして就職したの?」
私の質問に、お兄ちゃんはう~んと首を捻ってから、前髪を掻きあげた。そして少し照れくさそうに笑った。
「それはあれだ、式一のせいだな」
「え? ギーちゃんの」
「そうだ。あいつは東京行きを決めていたからな。それに負けじと、ひとり立ちを考えたんだ。あいつはひとりで生きて行く。なら俺も、ひとりで生きられるようにって感じか――」
お兄ちゃんが確かめるようにひとりで頷き、頭を掻いた。
「まあ、今になって考えてみると、そんな大層なもんじゃない。ただ単に、張り合っただけなのかもしれない。別に、何かに成りたいなんて式一のような夢はなかったし、高い志もなかった――」
天井に目線が行って――帰って来た。
「正直、あの頃はどう転んでも生きていけると思っていたからな。だけど、あいつの輝きに負けたくなかったんだ。だから、自分も輝けるようにと、ネームバリューのある会社に就職するため、必死になって勉強した」
「あれ? お兄ちゃんの会社ってそんなに有名だった? 全国区じゃないよね?」
私が言うと、お兄ちゃんは苦笑し、小さく首を横に振った。
「まあな……。実を言うと、今の仕事場は目指した場所じゃない。さすがに上手くはいかなかったよ」
「じゃあ、ギーちゃんに触発されて、就職を選んで、希望じゃない会社に入ったんだ」
「そうだな。簡単に纏めるとそうなる。だけど後悔はしてない。今の場所には、今の場所の良い所があって、俺に合った職場だった」
「結果オーライってこと?」
「そうかもな」
「でもさ、希望じゃなかったわけじゃない? だったら、どうしてそう思えるの?」
そうやって疑問符を飛ばすと、お兄ちゃんは「例えば……」と腕組みをして、「そうだ」と人差し指を立てた。
「もし希望の所に入っていたら、俺はこの家にいないかもしれない。大学に行っていてもそうだ、自分のしたい事ができていないかもしれない。こうやって瑞穂と話せていないかもしれない」
「そんなの、わかんないじゃない?」
「そのとおり、瑞穂の言うとおり。どうなるかなんて考えていた所で、そうなるとは限らないんだよ。人生ってのは、結構残酷なんだ」
「そんなの、全然楽しくないじゃん」
「だけどな、違うんだ。とどのつまり、成るようにしかならない訳じゃなくて、成るようにするって事なんだ」
「トドが詰まっても、わかりません」
「言うなれば、あれやこれやと悩んで未来を悲観するくらいだったら、今を楽しむ。少し先を楽しむ。そして、そのもうちょっと先を楽しめるように努力するんだ。生きる事の目的は、自分が楽しく生きる事の手段なんだよ。そんな事をほったらかしに、先の事ばかり考えていたら、どうやって死ぬかって事へ収束してしまう。まだ生きているのに、そこに目が行く。そんなのって、寂しすぎないか?」
「それは……、まあ」
飛躍しすぎだと思うけど……。
「だろう。今があるから未来があるわけだ。今を見つめれば、やりたい事も見つかるんじゃないか?」
「今……?」
「そうだ。もし、今、何かに熱中できるような物があれば、それを突きつめてみるのも面白いんじゃないか? 式一が選んだ道っていうのも、言わばそれだろう?」
「でもさ、あれはギーちゃんだったから選べたんじゃないの? 才能とか、技術があったから……」
「どうだろうな……。そればかりは俺だってわからない。けど、あいつは俺にない物を持ってた」
「ない物って?」
「非合理主義。そこからの模索と結果への結びつきか」
「は? なにそれ?」
「まあ、なんだ。つまり、やりたい事に全力を注ぎ、その為に、それすらも仕事にしてしまおうって考え方だ。そんな考えもある。だから、深く考えずにさ、やりたい事をやればいいんじゃないのか?」
やりたい事をやる。言葉は理想で綺麗だけれど、それをやってしまったから、私は高校デビューを失敗した。
溢れて、浮いて、孤立した。だから――
「できない……。無理」
そんな事をすれば、私は嫌われる。みんなから省けにされる。孤立して、あの頃に戻る。それに比べたら、未来なんてどうでもいい。今、この時、私はこの場所を確保できればいい。それだけできれば、いいんだ。
目を伏せた時間に、静けさが重なる。それは少しの間の事だったけど、何もかもが静まり返ってしまったようだった。そこに、お兄ちゃんの声が流れ出す。
「瑞穂は、昔の俺と同じだな。――慎重になり過ぎている。失敗を恐れてね。だけど、失敗って言うのは、行動を起こさなければ、起こり得ない。けどな、それが本当の後悔を生むんだ。人生よりも残酷なのは時間だ。もし瑞穂がひとりになる事を恐れているんだったら、このままじゃ時間に取り残されるぞ。それでもいいのか?」
見透かされた!? 真っ直ぐ向いた言葉とお兄ちゃんの目が、私の心をえぐり取った。
「どうして、お兄ちゃんはそんな事言うの!? 私の何をわかって、そう言うの!?」
思わず立ち上がって、怒鳴る。その後ろで私の椅子がガタンと倒れた音がした。けれどお兄ちゃんは、それには目もくれず、私の目だけをじっと見て、言葉をくれた。
「何を言ってる。俺は瑞穂のお兄ちゃんだ。顔を見ればわかる。だから、背中ぐらいいくらでも支えてやる。守ってやる。押してやるよ。だから、瑞穂は何も心配しなくていい。やりたい事を見つけるんだ」