19 小説家になろう
図書館の正面入り口――自動ドアを抜け外へ出ると、寒さが身にしみる。さっきまで温かい空間にいたからだと思うけど、今日は特別に寒い。マフラーを少しきつく巻いた。そして振り返る。そこには陣内誠司が上着を着ないで一緒に付いて来てくれた。見送りだと思う。そんな彼に、私は微笑んだ。
「今日は、ありがとう」
そう言った私に陣内誠司は肩をすくめ、ひとつ息を吐く。
「泣きそうな顔して、なんだか僕が悪者みたいじゃないか」
やっぱり、笑えていなかった。
「ううん。陣内君は悪者じゃない。ただ、私が弱いだけ……」
そう首を振れば――心の中で繰り返せば、喉が詰まる。握り締めた指先の感覚がなくて――でも、痛い。必死になって切り結んだ唇が、震えてしまう。
どうしたのよ私……。こんな時こそ、笑顔を作らなきゃ。
そう思っても、私の視線は彼の体をぼかし、下へ下へと堕ちていく。
「ねえ」
陣内誠司が絞り出した言葉に、私はびくっと彼の目を見る。相変わらず鋭い目つきだ。でも、真剣な瞳だった。
「止めるのかい? 執筆」
続いた言葉に私は首を動かせない。正直わからないから……。でも、これだけは言える。
「今は……勉強しようと思う。基本からしっかりと。小説が書けるように……」
語尾が、かすれた。上手く言葉にならない。
「それで……その先は?」
「楽しいと、面白いと思えたら……、小説を書きたい」
何とか言いきった。でも今はまだ、わからない。自分が楽しいと思えるか。面白いと思えるのか。だって――今は苦しい方が強いから。このままじゃ、たぶん……。
ああ、ダメだ……泣きそう。
彼から反射的に目線を逸らし、瞼も閉じた。本当ならば、このまま走り去ってしまいたい。どこか遠くで、思いっきり泣いてしまいたい。でも……。
「なら、僕は待ってる」
「え?」
風に乗って来た彼の言葉――彼の言ってる意味がわからない。もう書かないかもしれないのに、どうして……、私の小説を待つの?
そうやって見返した彼の瞳は優しく。そして、力強く。もう一度その言葉を紡ぎ出す。
「君が小説を書くまで、いつまでも待ってる」
真っ直ぐ返される彼の優しさが痛い……。苦しい。――だからまた、顔を逸らしてしまった。
「それは嘘?」
口をつく言葉も、悲観的で、自虐的だ。でも――彼は……
「嘘じゃない。できる事ならその手助けもしたい」
「なんで……?」
そう零しながら視線を少しだけ戻し、彼を見る。静かさが、リーンと耳の奥で鳴った。その音が風のざわめきに変わって、陣内誠司の前髪を流す。それに瞬きもせず彼は拳を握った。
「好きだからだ」
初めての言葉――それは小さい声。でも、とても力強く、彼から背景を取り払ってしまう。私の思考が真っ白になった。それでも陣内誠司は、徐々に声を大きくしながらどんどん気持を紡ぎ出して来る。
「君の書く物語が、君の心が、僕が好きだからだ。もっと読みたい。君の物語を……その為だったら、僕は、僕の知識を全て注ぐ」
「どうして……」
呟く。彼の気持は嬉しい……。だけど、私の書く小説に、そこまでの価値があるとは全然――思えない。わからない。
「どうしてそこまで……」
呟きを言葉に変えて彼を見る。それに陣内誠司は下唇を噛み、視線を逸らした。もう一度、風が私たちの間に流れる。でも、今は冷たさを感じない。それをきっかけにと彼の口が動き出した。
「ごめん……。率直に言うと言っていたけど、ひとつだけ言えなかった事がある」
そこで一度言葉が切れた。少し震えている。それはきっと寒さからじゃない。
「悔しいけど、君の小説に心が震えたよ……。感動したんだ。泣きそうになった。だから言えなかった。――バカだろう……僕は君に嫉妬したんだ。でも、去り際の君を見て、この気持ちは伝えなきゃいけないと思った。僕は! 君には書くのを止めて欲しくない」
はっきりとした意思が、私の胸をドンと叩く。それは心地よい響きを生み、私の鼓動に重なった。
ああ、ダメだ……。
「う……」
涙が……溢れる。堪えようと思っても堪えられない。だって、嬉しいんだ。堪えられるわけがない。彼に読んでもらった物語は、読者にそう感じてもらいたくて書いた物だった。――それが、それが、彼に伝わっていたのだ。
「だから……」と動く彼の唇――それを遮る私の気持ち。
「嬉しい……」
頬を伝う溢れる涙が、もう彼の姿を見せてくれない。だから私は、思いのままに、彼の胸へと飛び込んだ。
「私、絶対書く。絶対。私小説を書く。物語じゃ収まらない、“小説”を書くから。だから、だから……。私に小説が書ける力をちょうだい」
悔しさと、情けなさ――それと、少しの希望を吐き出した。それを、陣内誠司は優しく、でも、力強く、両手で、心で、抱きとめてくれる。
「約束する。僕の知識全てを君に、伝えるよ……。そして、絶対に、絶対に君を“小説家”にする。だから、見せて欲しい。読ませて欲しい。君が作り上げる世界を、一番多く、一番早く」
「うん。私も約束する」
最後に一際強く吹き抜けた風――それに乗って来た白い粒――今年初めての雪が、私の頬に触れ、融けて、消えた。
図書館からの帰り道、私は書店に立ち寄った。趣味のコーナーで“小説の書き方”なんて題名の本を手に取り、レジへと向かう。今まで学校の授業を含め、自分から勉強なんてした事がなかった。それを胸張って言うのはおかしいけれど、本気になった事は一度もなかったんだ。それなのに、私はこの本を買おうとしている。それが何だかおかしくて、ついつい顔に出てしまいそうになる。
横目にチラリと鏡張りの柱が映った。それに私は立ち止り、柱へ自分を映してみる。鏡面は歪だった。でも、真っ直ぐ私を見せてくれた。
ほら、やっぱりね。
楽しんでる。
これなら次回は小説が書けるかなぁ。
『まだ、早いわよ』
うるさいわよ。もう一人の私。
なんて柱に映った自分のおでこを、人差し指で突いてみた。柔らかく撓む彼女の顔が、少しだけ不満そう。でも、それが面白くて、つい吹き出しそうになる。そんな時……、私の携帯が鳴った。
メールだ。
それは陣内誠司から。
“僕も君と同じサイトに登録した。短編ひとつ上げてあるから、今度感想でも聞かせてよ”だって。
ペンネームも、題名もわからないのに、どうやって読めばいいの?
私は「ふふふ」と笑いながら、返信文を打ち出した。
小説家と言うのは、小説を書く人の事だ。別にプロじゃなくてもいい。それは私の勝手な考えだけど、それでいいと思う。プロだろうがアマチュアだろうが、小説を書く人はみんな小説家なんだ。
きっかけや意味はどうであれ、人は言葉を紡ぎ、文章を書く。それは何の為だろう?
それは、伝える為。自分の心を相手に。それを私はこの時知った。思うだけじゃ伝わらない。つまり、そう言う事なんだと思う。
せっかく考えて、積み上げた物語――それが伝わらないなんて悲しいでしょ。
だから、私は勉強しようと思った。基本から、しっかりと小説が書けるように。
そしていつか、胸を張って小説を投稿できる、小説家になろうと私は思ったのだ。
【小説家になろう――第一部[私と小説]――完】
読了ありがとうございます。藤咲一です。
この物語は、「小説って何ぞや?」って考えながら記した物語に、オンライン小説を投稿させていただいている「小説家になろう」さんを絡めてみました。
もしかしたら、「え? ここで終わるの?」と思われるかもしれませんが、ひとまずここで完結です。
人が集まるこの場所には、題材がゴロゴロしていますから、いずれ続きをなんて考えていますし……。
でも、先に記しました「何ぞや?」の答えは本文の中です。
人によっては、「違うぜベイベー」でしょうけど、私の根幹は瑞穂と同じです。
だから、ここでラインを引きました。
あと、本文中においての“小説”ですが、極論を含んでいますから、不快や不安に思われた方もおられるかもしれません。ですので、この場をお借りしてお詫び申し上げます。
ごめんなさい。
さて、ごめんなさいも済んだ事ですし、そろそろ幕引きです。
今回の物語もやはり、偏った内容です。でも、この物語を読んでいただいた際、何かを感じていただいたり、考えていただけたら、私はとっても幸せです。万歳三唱――小躍り付きで喜びます。
え? いらない? すいません。
さ、それでは、またどこかでお会いできることを夢見ながら、今回はこの辺りで筆を止めます。
ありがとうございました。
三月某日
藤咲一