14 評価は時にハンマーの如く
千尋との約束。“ふたりでいる時は、携帯で遊ばない”だ。だから、私が“なろう”にアクセスするのは家にいる時間だけとなった。正確にいえば、独りだけの時間だ。
でも、それが普通なのかもしれない。今までが過剰だったんだろうね。反省、反省。
だから、ポチリと評価を投稿した私は、自分のベッドの上にいた。
内容としては普通の事を書いた。文面から見て相手は私の様な初心者じゃない。だから、普通に一読者として、率直な言葉を書き出し、上手いと思った所や、感心した所、見習いたいと思った所などはそのまま――これはと思った所は、陣内誠司の様にはっきり書かず、内容的には同じ事を言っているのだけれど、穏便に示した。
たぶんわかるだろう。そう思って。
あと、おまけと称して、誤字脱字の報告も追加してある。全て拾えているとは思っていないけど、修正する時に役立つと思う。
つまり、自分が書いて欲しい感想を書いたのだ。それに沿って評価の星も付けた。相手には悪いと思ったけど、最初だし満点じゃない。私がこれから評価をする際、もっと上手い文章を書く人や、面白い物語を書く人に出会うかもしれない。だから、最高位は開けておいたのだ。
にしても、評価を書くのは大変だった。陣内誠司を真似た訳ではないけど、それなりに細かく見た(つもりだけど……)。小説を書いていない時だったら、“面白かった”と“つまんない”の、ふたつにひとつだったと思う。その事から考えても、私は成長しているのだね。偉い、偉い。
と自分で自分を褒めてあげた。はっきり言って自己満足です。
でも、もうそれはお終い。
だって、私が依頼した人たちから、良くも悪くも評価が来るのだから……
そう、悪い評価が来るのは覚悟している。だって、陣内誠司の様な人だっているのだ。歯に衣着せず、何でもズバット解決。あ、違う。ズバっと物を言う人だっている。だから、悪い所をズバっと指摘される事だってあるのだ。それにまだ、読み専と呼ばれる読者の人から感想を貰っていないだけで、小説を公開している以上、酷評が飛んでくる事だってある。
貰う前に、心の準備ができていて良かった。もし、陣内誠司の様な酷評を受けたら、私は立ち直れなかったと思う。それこそ、そこで諦めて試合終了だ。私はまだ、恵まれているのかもしれない。
そこまで考えて、大きく息を吸い込んだ。そして、吐き出す。見つめた携帯の液晶には、感想欄へリンクする場所でカーソルが止めてある。
実は、まだ見ていないのだ。
心を強くするために、と言うよりは、見たくないとも思っていた。自分で矛盾していると思う。依頼をしておいてそれはないだろうと、思われるかもしれない。けれど、私の物語が、手から離れてしまう様で、溺愛の印象が変わってしまう様で、見れないでいたのだ。
だけど、それらの覚悟はできた。“行動に責任を”。千尋が言った言葉。陣内誠司に突き付けた言葉。それを最後に、自分へ送ろう。
もう一度深呼吸。そして私は刮目する。
いざ、尋常に……
「勝負」
ドカンとハンマーで殴られた。
正に、その比喩が当てはまる。自惚れていた自分が、撲殺された。
全身の力が抜ける。今はまだ動けない。ベッドでうつ伏せのまま、私は死んだ。
その評価は順番で行くと最後だった。順を追って説明すると、こう……
最初の評価は相互評価の人だった。むず痒くなるくらい褒めてくれ、評価も満点をくれていた。逆に、中途半端な評価を付けてしまった事へ後悔と言うか、罪悪感が生まれるくらい。
次の人も、内容は似た様なものだったが、文章に対して指摘があった。こうした表現もあるよと、例文を添えて評価してくれていた。
次の人は、構成についての指摘だった。物語は面白いのだと言う。でも、ここがこう物足りないのだと説明をつけてくれていた。
次の人は、設定についての指摘だった。ここがこれならば、この文言と矛盾していませんか? そんな内容だった。
それぞれにお礼と、検討する旨、返信し、[勉強になりました]と言葉を付け足した。
そして、凶悪筆頭最後の人――それは、陣内誠司そのものだった。いや、それ以上だ。
“つまらない”
“面白くない”
“情景が浮かばない”
“何が言いたいの”
“もっと基本を勉強しろ”
“こんなもの小学生でも書ける”
“作文以下だ”
“馴れ合いじゃ上手くならない”
と、それらが箇条書きに書かれ、評価は両方星ひとつ。
あまりの衝撃にコメントが打てなかった。私の存在、全否定だ。行きすぎた罵倒を受けると逆に清々しいなんて言うけど、確かに……頭の中が真っ白になる。指先ひとつ動かせない。血の気も少し引いている。
瞼を閉じて考えた。コメントも反芻した。だけど、こんな私に答えが出せるはずがない。
『ははは、つまらない。だって』
そして、私はわからなくなった。恐れていた事だ。自分で面白いと書いた物語が、面白くないと思えてしまった。